« ・「地上最強の男 平松伸二短編集1970-2000」(2002、ソフトマジック) | トップページ | ・「マカロニほうれん荘」全9巻 鴨川つばめ(1977~1980、秋田書店) »

【雑記】・「昨今のルール問題」

韓国が先発メンバー変更 紳士協定を無視 野球アジア予選
この件、実際にそういうことをやった韓国より、「ルールの範囲内だから当然」とか言っているやつの方がむかつくわ。
いや、「むかつく」っていうよりは、若い人の多くはそういう考え方になってんのかね、って思う。

まあ、私は一貫して昨今の、スポーツにしろ他の分野にしろ、「ガチ志向の果ての戦術論・戦略論偏重」というネット上の論調に不満を表明してきたわけですけどね。

「空気を読め」ということに対する反発の一部も、この「戦略論偏重」から来ていると思う。

私は、何も「空気」とか「不文律」とか、かたちの無い「文化」にすべて従うべきと言っているんじゃないんですよ。
ここを誤解されると困るんだけど。
そういう論調の人もいると思うけどね。すべて空気にしたがうべき、という。

自分は、そうは言ってないです。

ただし、「空気」を問題にしたときには、必ず逆に「明文化されたルール」が問題になることは念頭に置いておくべき。
そして、今回がそのケースだと思うわけです。

なぜルールが存在するのかというと、法哲学的にはどう解釈されているのか知らんですが、
ものごとを平等にするためですよ。
いや「平等」が最重要項目ではないかもしれないけど、そこはぜったいに考慮されなければならない。

そうでなければ、ルールはだれのために存在するのかということになる。
強者のためでもないし、ましてやルールそのものに人間が奉仕するためでもない。

あるいは亀田問題とも通じるかもしれませんね。タイトルマッチでの反則は明確な反則でしたが、
それ以外の罵倒とかパフォーマンスは、少なくともルール違反ではなかったわけだから。

自分の考えでは、
「そんなのがアリなら、ルールなんて守る必要ねえじゃん」
って思われたら、そのルールを設定する意味がまったくない、ということになる。

「人間は口で言っただけではルールを守らない」からこそルールがあるのに、
それをすりぬけるようなマネを支持するというのは、
モラルハザードを煽っているとしか思えませんね。

まあ、簡単に言えば今が過渡期なのかな。
慣習とルールの間で、日本人が揺れ動いているように思えますね。

後は前述のとおり、若い人の「ガチ志向」を感じますよね。
若者の興味が人間関係だけになった、って言われてから25年くらい経っていて、人間関係ってまさに「空気を読む」世界でしょう。
だからその反動で、他の部分では(私から見て)異様なまでにガチ志向、戦術論・戦略論的になっているということがひとつ。

もうひとつは、上の世代が、体育会系は「気合」とか「根性」とか言い過ぎたし、学生運動とかやっていた人たちも基本的には理屈で動いてないですからね。人の説得に「理屈」を持ち出すことがあまりなかったということの反動がある。

だから、世代的に言うと糸井重里(全共闘世代)の物言いとかは面白いんですよね。

あの人は、理詰めで説くことと、人の心情に訴えかけることと両方やっている。
だれでもそうっちゃそうだけど、糸井重里は同時代人の心がどこで動くのか、ということをわかってる気がするんですよ。

で、そのすぐ下の世代あたりから学生でもマーケティング理論(一種の戦術)を学ぶことがブームになって。
そのさらに下になると、ホリエモンみたいにもっと慣習なんか関係ねえ、っていう人物が出てくるという。
(もちろん、一方ではその反動としての「水からの伝言」やヤンキー先生のもてはやしなんてのもあるわけです。「心情」の部分に過剰なウェートを置く言説がある。)

これからの時代は、慣習/ルール、義理人情/戦略・戦術論という触れ幅のどちらにも偏らないバランス感覚が必要になってくると思いますね。

|

« ・「地上最強の男 平松伸二短編集1970-2000」(2002、ソフトマジック) | トップページ | ・「マカロニほうれん荘」全9巻 鴨川つばめ(1977~1980、秋田書店) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事