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【雑記】・高度なプレーをすることとプロであるということ

谷沢発言の真意を考えてみる。見物人の論理

スポーツかエンタメか昨日の風はどんなのだっけ?)で知る。

ああ、なるほど。
要するに、「高度なプレーをする」ということと、「プロである」ということは別で、
果たしてそれをスポーツの送り手や受け手がわかっているかどうか、という問題になると思います。

いきなり格闘技ばなしになりますが、
私、周囲にいわゆる総合というか、今「U系」って言わないのかな。とにかくヴァーリ・トゥードとかPRIDEとかに否定的な人がなぜか多いんで、アレですが、

もともとどうしてUWF以降の総合格闘技系のムーヴメントに一定数以上の客が飛びついたかというと、
「高度な、スポーツで言うところのプレー」が見たかったからだと思うんですよ。

「プロレスと、明文化されたルールはほとんど同じで、それで最高水準のプレーをしたらどうなるか」っていうのが、みんな見たかった。
「最高水準のプレー」と、「プロの仕事」っていうのは、似て非なるものだから。
「最高のプロレス」はあっても、「最高のスポーツとしてのプレー」は、かつてはなかった。

たとえば、野球のことはよくわかんないけど送りバントを多用して1点ずつ取っていくようなプレーなら、それは高校野球がやればいいことだし、実際みんなそのつもりで見てるでしょ。アマチュア野球として。
プロは高校野球と違って見せる野球をするべき、ってのがある。

野球はプロとアマが両方人気がある。
(送り手がそれをどのように意識しているかは知らない。)

広義の格闘技の場合、「プロレス」に対応するアマチュア競技が、UWFができるまでなかった、もしくは知られていなかった。
アマレスはプロレスに対応するものではないし、柔道も違ってた。
ただ単に「プロレス」ってのものだけが、あった。
だから、みんな「アマチュアスポーツ的なプロレスってのがあったら観てみたい」って思っていて、それが現在の総合格闘技につながってると思う。

「スポーツではない」のなら、「アマチュアのプロレス」って、学生プロレスとかになるんだろうけどね。そういうものは昔からあっただろうけど。

で、理念としては「アマチュアスポーツ的なプロレス」から始まってる総合格闘技も、お客を入れなきゃなんない。
そうすると、どうしてもエンタメ化しますよね。
私個人は、そういうエンタメ化の部分とガチの部分を見分けるのが面倒くさくなって、かなり前にPRIDEとか観るのをやめちゃいましたが。

野球の話に戻す。
野球は、プロとアマと、両方人気があって、観る側にも漠然と線引きされているとは思う。
前述のように、アマなら許されるがプロなら許されないプレー、局面というものがあるんだろう。

ただし、「厳密には」区別を付けていないのではないか。
いや、そもそも厳密に分けられるか、という本質論的な問題もあるわけですよ。

そういえば、新庄がマスクかぶったりなんかしたりしていたことに対する批判と、この間の落合采配、
この辺が混沌としているのが問題なんだな。

張本がテレビで一貫して新庄を批判していたのが個人的には印象に残ってるんだが、
たぶん張本と新庄と、落合と、そしてリンク先の話題だと谷沢ですか、
みんな「心のプロ感」ってのがあって、
それがみんな平行線をたどってる。

そうそう、馬場がU系に対して「自分たちはそういうのを通過してきて今がある」と発言したと聞いたことがあるが、それは馬場のプロ感で、暗にU系をアマチュアだと批判したわけですよね。
しかし、観客にとっては、プロ=成熟、アマ=未熟、という線引きではくくれない欲望がある。それはたとえば「ルールにのっとった最高水準のプレーを見たい」ということだったりする。
で、「ルールにのっとった最高水準のプレー」をプロが目指すと、とたんに「見せるプレーをしなければならない」という矛盾を抱え込むことになる。

つまり、プロとアマは、実は対応関係にないことが少なくないんだよね。
どうなんだろ、ゴルフとか囲碁・将棋あたりはきちんとヒエラルキーがあって、理念としては矛盾しないのかな?

でも、野球や格闘技の場合はたぶんそうじゃないんだろう。

アマチュアスポーツの規定がときに頑迷なまでに窮屈なのも、「見せる」要素が加わると簡単にエンタメ化してしまということがあるからなんだろうな。

で、私はリンク先の谷沢発言が、リンク先のとおりの解釈だとしたら、
落合は、もしも山井を交代させなかったらスゴイ人だったと思うけど、
交代させなかったからダメな監督だとは思わない、という立場かなあ。

落合の得るものと失うものとのバランスを考えたとき、交代させて失敗したら失うものが大きすぎるんですよ。
「プロ的采配」っていうものが「見せる采配」だと考えたとき、「見せる」ってことは「勝つ」ってこととベクトルが同じだとは限らないわけだから、通常は余裕のある状況で要求されるものでしょ。

「余裕のある状況」ってのを極限まで突き詰めれば、けっきょく悪い言い方で言えば八百長、別の言い方をすればストーリーをつくるとかエンタメ化するとかいうことになる。

日本シリーズの場合はそれがなかった、逆に言えばガチだったわけだから、
それを落合に要求するのはちょっと酷かな、という気がしますけどね。

負けたら「よくやった」って言われないでしょう、あの状況なら。

あーあ、長々書いちゃったけど……。
結論を言うと、スポーツ全体のエンタメ化路線は、もう元には戻らないと思いますよ。
純粋に競技としてのスポーツを面白がれる人間というのは、数に限りがありますから。

ただ、総合格闘技の例があるんで……。
まがりなりにも定着してますから。
プロレスも、もう元には戻れないと思うんですよね。
それは野球とかとは逆で。
競技的要素を捨てきれなくなると思う。
だからこそ、「ハッスル」がアンチテーゼに見えるんですよね、今。
プロレス・格闘技においてはエンタメ路線の方がマイナーになっているという事態。

その感覚で言うとK-1っておそろしく安定してるなと思うんだけど、それはまた別の話で。

・過去ログ
【雑記】・今さら、落合采配をめぐる議論について

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