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・「ムーたち」(2) 榎本俊二(2007、講談社)

Mootati02
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施川ユウキとはまた違った方向性の「神経症的ギャグマンガ」とでも言おうか……。あるいは発狂寸前まで自身を追い込む精神的チキンレースと言おうか……そんな感じの作品である。

内容に関しては、1巻の感想を読んで何となく把握してもらうとして、

手短に、巻末に掲載されている斉藤環の解説文について。

まあ、こんなマンガの解説、書くのはむずかしいに決まっているんだが、気になったところが一点。

規理野視組という男が出てくる。ニートだかなんだかわからないが、ひたすらに物事の法則性を見出そうとしているやつだ。
斉藤環は、彼に関して「ゲームに参加しようとせずに、ひたすらルールの発見とその実行にいそしんでいるため、ミノル(ムー夫の父)と対決することもある。しかし最終話でついに和解する」(大意)と書いているが、本当にそうだろうか?

規理野視組とは、本作の基本コンセプトである「いろいろなもののルールに基づいてゲーム的な思考をする」ということを、作品内で実践してしまっている人物である。
すなわち、作者の思考パターンを作品内で踏襲しているのだ。

だから、彼の出現によってだいぶ物語としてはわかりやすくなっているはずだ。彼が、本作の、一種の解説者だからである。彼の存在は、作品の構造の、ネタバレなのだ。

もっとも、斉藤環が言うように、ミノルがそれをよく思っていないことはじゅうぶん考えられる。なぜなら、規理野はミノルとほぼ同じようなことをやりながら、明らかに孤独で、生産性がなく、狂っているからである。
おそらくミノルのやっているゲームは日常生活の思考実験のレベルにとどまっているが、規理野はそれに全人生をささげているのだ。

自分と違っているようで似ている、似ているようで違っているからこそ、ミノルは規理野をよく思っていないかもしれない。

しかし、この巻の最終話(moo.72 トリプルウェルカム)で果たしてミノルと規理野は和解しただろうか?

いや。そんなことは作品内にひとつも書かれていない。
ここでは、今までまったくの徒労ではないかと思われた規理野の法則発見が、実は実践で役に立つこともある、ということがほのめかされているだけである。

繰り返すが、これはミノルとは何の関係も無いだろう。

この話で描かれているのは、作者が自分の分身(のひとつ)の規理野に対して見せた同情、とでも考えた方がしっくり来るかもしれない。単行本にしたときの区切りでもあるしね。

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