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【萌え談義?その3】・「本当にもうやめようかな~」

この「萌え」のカテゴリで、もうやめようかな、やっぱりやめようかなって毎回書き続けるのはどうかと思った。
「萌えについて語る」ことの新しいスタイルじゃないか!?

でも、何で続けてるかっていうと、
「萌え概念に対する攻撃者」
に思われたくないから。

なんか、周囲に最近そういう人が多いんで、どうしても巻かれちゃうんですよ。
私は別に「萌え概念」を持ち上げているわけでもないので、どうしてもそうなる。

それと、リアルで会話してて「新田さんってああいうのが好きなんですか~」とか言われると、困るというのがある。
困るというのは、別にそのことについて話がしたくないということなんだろうね。
別に「こういうのに萌えるんだよ~」とか話してても、面白くもなんともない。むしろ自分がミジメになる!

手を出しても届かないものについて熱く語るということに、どうしてもついていけない。
コンビニのバイトで暮らしているやつが、高級外車うんちくを傾けるようなもんだ!!

うん、そういえば、確かに、「昏(くら)さ」のないものは語ってもしょうがない。太陽の下に出てきたようなものに対しては。

あと、最近の萌え傾向についても、正直付いていけない。
とくに、自分はやおいとかショタについてはまったく興味がない。女装少年とかにも興味がない。
そういうの流行ってるでしょ。
だからぜんぜん乗っていけない。

ふと思ったけど、今の若い衆はAVとかが充実しているから、普通にかわいい女の子が見たいならわざわざアニメを観る必要がないんだろう。

……と、ここまで書いて本当に意味のない文章だと思ったので、以下に多少意味がある(と自分では思っている)ことを書く。

私は、東浩紀の語る萌え談義というのは、第二次ベビーブーム以下のオタクの人たちが、自分の立ち位置を確かめる足がかりにしているから受けているのではないか、と思うことがある。

ふと思いついて、彼が2002年に書いた立ちから萌えへというテキストを読み返してみた。
確かリアルタイムにネット上で異議を唱えた記憶があるけど、あらためて読んで確信したのは、このテキストの主旨は実際に「立ちから萌えへ」という変化があったかどうかということよりも、

「1995年あたりから、果たして萌えにまつわる革命的な変化があったか? そして、どうして革命的な変化がなくてはならかったのか?」
ということに尽きると思う。

私は「データベース消費」という考え方自体に同意しかねるし、そもそもそれは客観的に証明しづらい概念である。あると思えばあるような気もするし、ないと言えばないような気もする。
それよりも重要なのは、「1995年あたりを境に変化が起こった」とすれば、それはだれによって必要か、ということである。

で、それはたぶん東浩紀とその下の世代にとって必要なんだろうね。

そして、何で必要かというと、それは「オタク」という概念を第一世代と切り分けるためである。

真剣に考えて、95年にオタクにとって変化があったかなかったかと考えると、
まあ、あったと思う。
ただし、それが劇的な変化かどうかは、人によると思う。

まずまず、客観的に認められるのは、
・「萌え」概念の浸透と拡散
・オタク趣味の一般化

……の二点くらいじゃないか。
ただし、「革命的な変化」かというと、なかなかむずかしいものがある。そこは慎重にならざるを得ない。
たとえば東浩紀以上の世代のオタクでも、「萌え」という概念に積極的に乗っかっている人もいるし、「私たちにはそういう概念は無かった」と断言する人もいるし。

かといって、まったく連続的な、グラデーションな変化だったかというとそうとも言いきれない。
95年あたりを境に、初めて、「すべてのオタクが描いたものがすべて最先端」だったオタク的なエロ描写や美少女観が、この時期初めて「古い」ものと「新しい」ものに分かれるのである。

だがそれはあくまでも表現の問題であって、リンク先のテキストにあるように受け手が変化したからだとは、ちょっと言いがたい。

まあ、そんな曖昧なこと書いてても商売にならないんだろうけどね。

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