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【雑記】・ちょっとした欠落をちょっとしたことで埋め合わせる時代であるならば

私はリンクしないで特定のサイトのテキストに対して意見や反論を書くことが多く、それゆれにえらい見当違いなところから憎しみを買ったことがある。
でも、どうせ意見交換したっていい意見が出るとは思えないだんもん。主に私が未熟であるがゆえに。

ということで今回もリンクしないで書かせてもらいますが、

まず今は、ちょっとした精神的な欠落(それにはさまざまな種類がある)を、対症療法的にそれぞれに対応する何かで埋め合わせる時代であるという。
しかし、そこに総合的に効用のある何かをこめるべきではないのか、という話をどこかで読みました。
その考えには、具体的なイメージはわかないけど賛成ではある。

さて、ここからきっと話がずれてくる(私の理解力のなさで)と思うのでリンクしなかったのだが、
私はそういうものは何かというと、
基本的には「人間どう生きるか、そしてどう死ぬか」を考えさせる仕掛けをつくってやる、ということなのではないかと思うんだけど。

ズレてること書いてるかな。
自分ではズレてないと思っているんだけど。

たとえば、昔は梶原劇画を「人生の指針」として読んでいる人間が大勢いたはず。
現に、昨日か今日、テレビに出ていたTRFのSAMだったかあの女の子(名前忘れた)だったかの心のバイブルが「空手バカ一代」だと言ってたし。
今はどうなのかな? そういうふうに人生のバイブルとされるような作品はあるのだろうか。

で、昔はたいがいそうだったと思う。たいがいって言いきるのは思いきりが良すぎるかな?
でも、日本人って何にでも求道精神を持ち込む国民性だったわけじゃないですか。

そういう考えが敬遠されるようになってきたのにはさまざまな要因があると思う。
たとえば求道的にふるまったあげくに殺人まで犯したオウムの存在があったり……。
そのずっと前には学生運動があって、その反動からすぐ下の世代は無邪気な求道精神といったものを胡散臭いと思うようになったのではないか、と。

「おもしろ主義」的なエッセイとか、そうだったし。
呉智英だって、80年代には道化的にふるまっている感じがあったし。求道自体が流行らなかったから。

あるいは、「人生の指針」がどこにもないから「オーラの泉」とかが流行るんでしょ。

そうそう、指圧だとか気孔を使った民間療法などからすぐに「宇宙」だとか「精神」だとかにつながっていく、そういうことをやっている人がそういうことを説きだすという胡散臭さもあったな。オウムと隣接したかたちで。

で、そういうことがいろいろあったから民間療法もある意味唯物的にならざるを得なかったわけで。たぶん。

でも、「人生どう生きるか」っていうところにさえブレがなければ、答えが出なくっても大丈夫な気がする。

いちばんダメなのが議論のための議論をすることで、
そういうときには「それっておれにとって本当に大事なのか?」ということを考えれば指針が見えてくるはず。

今は、戦略論的なことは多く語られるから、一種のゲームとして問題を解決するメソッドは昔の精神論が幅をきかしていた時代よりはみんな身に着くかもしれない。

だが、それだけだと足りない感じにぜったいなるから。

そこになんか考えていけばいいんじゃないの。

私がワンパターンの大作ハリウッド映画とヤンキーマンガをどこかで信用しているのは、
どちらも「人が生きるためにはどうすればいいか(あるいはどういうことが無駄か)」が、非常に明瞭に描かれているから(だと思う)からなんですが。

まあお金にはならない考え方だとは思いますけどね。私のは。何かを盛り上げようってんじゃなくて、日常どう生きるか、ってだけの話だから。

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