« ・おもしろ太郎ブルース | トップページ | ・「ゆうれい小僧がやってきた!」(上)(下)  ゆでたまご(2007、集英社) »

【お笑い】・「素人いじり、『空気を読む』ということについてなど」

登場人物の名前が思い出せないから説得力まるでないんですが昨日の風はどんなのだっけ?
私が知っているのは、ラジオで関根勤が「最近、若手芸人で素人の頭をはたく人がいるけど、あるいはまずいわー、あれはやめた方がいい」って言っていたことですね。それは20年くらい前の話かな。
その件に関しては、総論賛成です。

40代以下の芸人が、タモリ・さんま・所・鶴瓶を脅かせない一番の理由昨日の風はどんなのだっけ?
で、やっぱり気になるのはこちらのエントリなんだけども、
趣旨として「40代以下の芸人は、テレビにおいて仲間うちでしか力を発揮できない、自分たちのお笑いに関する約束事を理解してくれない素人とからむのがむずかしくなっている」ということでいいですよね?
それがまず大前提。

で、そのおおまかな趣旨に関しては、まあ異論ないです。
以下は、今のテレビで活躍する芸人に対する私の勝手なフォローです。

・第1部
まずフォローとして、現状のバラエティの基盤をつくったのって、80年代のさんま、欽ちゃん、たけし、とんねるずだと私は思ってます。
とくにさんま、とんねるず、欽ちゃん。
最も影響を与えたとしたら、さんまです。

どういうことかというと、「今、自分たちはテレビのバラエティ番組のお約束ごとに基づいて行動しているんだ」ということを、視聴者側に開示したということが一点。
もうひとつは「ゲストを下げることが歓待の表現なんだ」ということを、視聴者側に開示したことです。

この点、司会者としてのたけしはどうしても一角おちるというか、「毒説芸人」としての自分のキャラクターをまっとうするという意識はあったでしょうが、バラエティ番組の約束ごとを素人に開示するということには意識的でなかった気がします。
逆に、欽ちゃんはむしろ自分の方法論を隠蔽することでほとんど素人いじりだけで「視聴率100パーセント男」と言われたとさえ思ってます。
今現在、欽ちゃんファミリーのバラエティの浸透度はすごいのに、欽ちゃん自身はバラエティ番組から大幅に後退しているのは、「素人いじり」ということに関して視聴者がある程度批評眼を持ってしまったからではないかと。

欽ちゃんを本気で面白がるのって今はお年寄りだけだと思うんですが、それはお年寄りはまだ欽ちゃんの「方法」を知らないからではないか、と。

自分ははてなダイアリーにも何度か書いてますが、「欽ドンにさんまが出た日」というのが忘れられない象徴的な事件なんです。
「欽ちゃん的方法論」を含むバラエティの約束ごとを開示する、あるいは開示しているかのように見せたのがさんまで、それがバラエティ新時代の幕開けだったと思うんですよね。

関東人では80年代のとんねるずがそれをやってました。ただ、とんねるずの場合は若手時代は「ギョーカイ」という、現在よりずっと一般人のあこがれが強かった、あるのかないのかわからないフィクショナルな芸能界、という説得力をバックボーンにしていたところが、あやうい感じでした。
現在では彼らのツッコミは、「芸能界で生き抜いてきた実績」がバックにあるのでゆるぎないものになってますけどね。

一方、さんまの方は若い頃からとんねるず以上に強かった。それが何でなのかって明確な答えが今ちょっと出ないんですが、もしかして「バラエティのお約束を開示する」ことに、とんねるずよりもさらに意識的だったからかもしれないですね。
とんねるずは「ギョーカイ」の幻想をどっか守りたいってのがあったから。カッコつけたいというかね。

それと「ゲストを下げることが歓待の表現なんだ」ということをさんまがやっている、と指摘したのは具体的にはナンシー関ですが、この「あえて上げるべきものを下げてみる」というのは80年代以降の、まあパラダイムシフトですよね。
タモリ・さんま・所・鶴瓶もそのパラダイムの中にいる。

話を大きくすると、70年代後半あたりまで当たり前のように存在していたテレビバラエティのお約束を解体していったのがテレビではお笑い芸人だった、と言えると思います。

その上に、ダウタウン・浜田の「ゲストの頭をはたく」というのが成り立っている。
あるいは、「アメトーーク」が形成する雰囲気がある。

だから、あまり今の芸人を批判するのもかわいそうかな、という気はします。

・第2部
それともうひとつは「テレビに出てくる素人の変質」がありますね。
DVDで「元気が出るTV」を観てみると、ハプニングに巻き込まれる素人さんのリアクションがあまりに素朴なので驚かされます。
「元気が出るTV」は、次々と変な素人を発掘することがウリでしたが、テレビに出たいやつとテレビを意識してない変わり者と、テレビに出ることが今よりもずーっと「事件」だった一般人が乖離してたんじゃないかと思います。
まあ、80年代ってそういう時代ですよ。

ところがだんだん「いじられたい」とか「テレビで目立ちたい」っていう、悪慣れした素人が増えてきた。
ここ10年くらい、バラエティにおいて「素人」の参加自体が減ったと思うんですが、それはそこら辺が原因だと思います。
そして逆に「ガチンコ!」のようなセミドキュメンタリーが主流になるわけです。逆説的な言い方ですが、ドキュメンタリーなら素人が素人として自然にふるまえるし。

で、悪慣れした素人を出すくらいなら、「全員が約束ごとをわかっていてチームワークで行動できる」芸人さんの方がよっぽど面白いわけですよ。
それのもっとも突出したかたちが「アメトーーク!」であり「やりすぎコージー」なんでしょうね。

もちろん、タモリ・さんま・所・鶴瓶はどんな素人でもいじれるだろうと思います。今の中堅・若手に比べるとそれだけのレンジの広さはあると思います。
ただし、彼らもテレビによく出る芸人である以上、「バラエティのお約束ごとを解体する」という流れには逆らっていない、ということはおさえるべきなんじゃないかと。

それともう一人忘れてた! それは紳助。コージー冨田のマネする紳助が「ここはこうしておいた方が面白い」など、ゲストに耳打ちするときだったりするのは象徴的で、紳助もさんまと同じような方法論で来てますね。バラエティを進行させながらバラエティのお約束を開示していくという。
ただし、紳助は完全にばらしてしまうことはしないで要所要所でチョコチョコっとやるので、「時代を変えた」みたいなとらえられ方はされていないし、それこそが彼の強みと言えるでしょうね。

要するに、まとめると80年代以前とバラエティの状況が違ってきてしまっているというのはあるでしょう。
「素人」、「一般人」も変わってしまったので。観る方も、出る方も変わってしまった。

・第3部
それと、「空気を読む」という問題についてもふれておきます。
確かに、「空気を読め」というのがテレビバラエティ内で一種の同調圧力になっていることは確かでしょう。
しかし、視聴者はそれを望んでいる部分がある。
この20年間、どれだけのバラエティ用語、お笑い用語が一般に浸透してきたか。
つっこむ、ボケる、ふる、ふられる、うける、すべる、空気を読む、おいしい、おいしくない、ネタになる、いじる、など。

で、なんで浸透したか、というと、日常の「場」の中で、それらがあてはまる状況があまりにも多いからですよね。

具体的に言うと「とくにどんなプロフィールかよく知らないやつ、明日は違う職場にいるかもしれないようなやつらと複数で一緒に仕事をし、あるいは遊ばなければならない」という状況が、テレビバラエティの相似形になっているからです。

これが夫婦間、恋人同士、職人の師弟関係、嫁姑、親子、町内会、小さい頃から顔を知っている近所のおじさんおばさんや幼なじみ、という関係性だと、それらの言葉はあまり使いませんよね。

一過性の人間関係の中で、一瞬一瞬が大切で何十年もの積み重ねとか関係ない。あるいは学校の「教室」のような、単に年齢で輪切りにされているだけでそこに集まっていることに必然性はほとんどない(偏差値以外)。そういう場で反射的に動く。動かなければならない。
そういうことが要求されるからこそ、一般人がテレビバラエティの方法論に食いついたということは言えると思います(「食いついた」っていう表現もテレビバラエティ的ですが)。

私も「空気を読む」って言葉に多少抵抗がないではないですが、現実問題としてそれを逃れられないという面が、現代の生活には抜きがたく存在していると思います。
否が応でも、「空気」は存在しているので、それをどうするか、ってのがみんな頭を悩ませている点でしょう。

それと、私が「空気を読む」という表現への抵抗の表明、に多少違和感を覚えるのは、
「なんでもかんでもゼロから人間関係を築く」ということが果たしてできるのか、という疑問があるからです。
たとえばプロフィールだとかその場の状況なんかで、人は無意識に空気を読んでます。

「空気」っていうフワフワした表現でない場合は、それは「慣習」ってことになります。
「空気を読むか読まないか」は、「慣習、因習に従うべきかどうか」という問題にまで広げた方がいいように思います。
「慣習」まで顕在化、可視化していると、都市部の感覚としては「わざとすっとぼけて無視する」ということもできますが、
「空気」というのはまだそこまで醸成されていない、一過性のものですから、TPOで対応が異なる。
それが、「空気」を問題にしたときなんだか煮え切らない結論になる理由なんでしょうね。

|

« ・おもしろ太郎ブルース | トップページ | ・「ゆうれい小僧がやってきた!」(上)(下)  ゆでたまご(2007、集英社) »

お笑い」カテゴリの記事