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【アニメ映画】・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」についての感想

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ここからの続き。

で、「序」についての本論。
私はまあ、これは全肯定せざるを得ないんですよね。確かに、映画化すると聞いたときは「またかよ?」と思ったし、見る前はけっこう醒めてたんですが、平日でもけっこうお客さんが入っていて、12年前とは違う熱気を感じたんですよ。
何というか、「すでに鉄板化しているんだな」という印象だったんですよね。

・その1
「鉄板化」というのはどういうことかというと、「エヴァ」というのは12年前は、古参のアニメファン以外には「かなりとんがった作品」だと受け取られていたと思う。それが、現在では「普通のエンターテインメント」として受け入れられている、と。
それは12年間の積み重ねで、事実としてあると思うんですよね。だって雨上がり決死隊の宮迫がエヴァに言及する時代ですよ。
それは受け入れるべきだということが、私が「本作を肯定する」理由のひとつ。

もうひとつは、もうそろそろ、ここらで送り手も受け手も、「エヴァ」を振り返るべき時期に来ているのではないかと、観ていて思ったということ。

「この映画の鑑賞は、過去の確認作業にすぎなくなるのではないか」っていう意見はあって、それは確かに正論だとは思います。
しかし、私個人はその確認作業こそが、現在大切なのではないかと観ていて思い始めました。

というのは、「エヴァ」はほぼ同時代にオウム事件と阪神大震災があり、その後、2001年にアメリカ同時多発テロがあったからです。
私の個人的興味のひとつは、「さまざまなエンターテインメントが、時代の転換点である911以降の世界に耐えうる強度を持っているか」にありまして、現在エヴァをつくる以上、製作者側もそれを意識せざるを得ないでしょう。

つまり、私にとって今回の「序」を観ることは、少なくとも「ヤシマ作戦」くらいまで、1995年の段階でどれだけ2001年以降の世界を先取りできていたか、あるいは今回の映画化にあたって2001年以降的な改変がなされているか……というところにあったわけです。
その辺を注意して観ていく作業が、あくまでも個人的にはすごく面白かったと。

でも、「エヴァ」ってある意味青春アニメだったと思うんですよ。12年前40代だった人でも、ハマったのならそれは青春ですよね。たとえば「古畑任三郎」とかにハマるのとはちょっと違う。三谷幸喜は「大人のコメディ」とか言われることもあるけど、エヴァはその正反対。青春アニメであり、思春期アニメだから、同時にそれは人生のある時期に振り返るべきアニメではないかと思いました。
だから、今映画化するのもアリかな、と。

で、「序」だけに限って言えば、見終わって最初に思ったのは「ああ、やっぱり個人的な物語に終始しているんだな」ということでしたね。それがいいか悪いかは別として。
シンジというのは、ものの考え方として「ヒロイズム」というのがなぜか最初から剥奪されている印象を持ちました。
まあ「なぜか」ってぜんぜんわからないわけじゃなくて、まずシンジ側で父親に向き合えない。それともうひとつは、父であるゲンドウ側でシンジと向き合っていない。
今回の映画のラストまでを観ると、「父と子の確執」という古典的な問題を扱っているようでいながら、
実は問題の根源はゲンドウがシンジに父親としてふるまっていないことにあるのがわかるんですよね。
(まあ、テレビシリーズのときはどうだったか忘れましたが今回の映画ではそうでした。)

しかも、ゲンドウは綾波には笑顔を見せる。確か綾波はシンジの母親となんか関係しているんでしたよね?
だからシンジとゲンドウは、妻(母親)を取り合っている関係なんだけれども、
「綾波」というのがいったい何なのか、母親本人なのか単に強烈にイメージさせる存在なのかシンジにはわからないという意味では、エディプス・コンプレックス的な関係性をもきちんと認識できない構造になっている。

ここでも、シンジは父を(イメージの上ででも)殺して綾波を奪うという手段が剥奪されている。
さらに、ゲンドウが父親らしからぬ行動を取っていること、シンジと綾波を接近させることをもすべて「ゼーレの計画どおり」ということになっている。
これはシンジにとっては(いじけてる性格であることを除いても)すごい閉塞状況ですよ。

で、この関係性ってたぶん、監督は計算してないですよね。
まあ、エヴァの面白さの(アクションとか以外の)本質って、ここにしかないと思うんですよね……。

このあたりはきわめて日本的な閉塞状況だと言えます。そしてそれは、911以降の時代の閉塞感とシンクロするものである、と思いましたよ。

・その2
それと、この後のシリーズでどういう展開になるのかまったく知らない状態でこのテキスト書いているんですが、私個人はきちんと伏線を始末して、普通のエンターテインメントとしていったん完結させてほしいんですよ。もうちゃぶ台がえしみたいなことはしないでいい、と。
さすがに、庵野監督ももうオトナとして、手堅いエンターテインメントとしてつくってほしいという要望は私にあります。使徒とは何者なのかとか、人類補完計画とは何なのかとか、その辺をきっちりしてほしい。

そして完結するのが何年後かは知りませんが、最初の「エヴァ」から12年なり15年なり経って、「最初のテレビシリーズのときははとんがってたから破綻したストーリーが面白かったけど、まあ手堅くつくったらこうなったよね」ってみんなで確認する、そういうアニメにしてほしいと個人的には思います。

まあどうなるかわかりませんけどね……。劇場の予告編で「こわれていくシンジ」みたいなふうに言っていたから、またぞろシンジが苦悩してアスカが鬱になって……みたいな展開になるのかもしれませんけど。

私は、エヴァの作品としての重要性は認識していますが、ただこの作品はどう転んでもひっくり返っても、破綻させても手堅くつくっても、「現代」というか具体的には90年代半ばから2001年を経た現在、我々がどう生きればいいのか、ということを提示することは、あらかじめできないと思いますはっきり言って。
どのようなベクトルであれ、製作者の苦悩とのたうち回っているさまをゴロリと観客の前に見せる作品だと思っているので、どのような苦しみ方が今後示されるのか、それを待つのみ、という感じです。

そして、95年に「エヴァ」がよくも悪くもアニメとしては最大の話題作になり、現在でもその呪縛が続いているということこそが、「日本のエンターテインメント界」とその背後にある日本人の考え方のどんづまり感を示していると思うんですが、それはまあ言わずもがなのことなんでしょうかね。

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