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【雑記】・「キサラギ」について最後のフォロー

たまたま「キサラギ」を酷評しているブログをまた見つけたので、なんだか「キサラギ」という映画をフォローしたくなってフォローしてみる。
しかし、これが最後としたい。これ以上は不毛だと思うから。


実は自分は「キサラギ」に関して「台本の朗読会にすぎない」といった指摘は当たっていると思っているが、自分の映画全般に関するハードルは低く、
「2時間弱を、退屈しないで観られるか」
が大問題となる。そして、後はサマツなことなのだ。

で、「キサラギ」は、そんなに映画を観ない人でも観ている間は楽しめたということは現象として間違いないと思う。
そこをもうちょっと重視したいと思うのだ。
映画マニアにはガマンできないところがあったにしても、だ。

たぶん、「キサラギ」を蛇蝎のごとく嫌う人の感覚は、私が倉科遼原作劇画や赤松健の作品を読んだときのいらだちに近いと思う。
要するに特定の表現ジャンルの「文法」にのっとておらず、あるいは軽視し、なおかつそれがその表現ジャンルの発展に何の貢献もしていない、というふうに感じてしまうのだろう。

ここらも誤解されないように書いておくが、倉科遼作品をたとえば「IKKI」に載っているような作品と比較して、そのプリミティヴなパワーであるとか「水商売」という超庶民的な題材がマンガ界を活性化させる、みたいな観点もあるのだろうとは思うが、
「それ以前にネームの多さを何とかしろ!!」
と私などは思ってしまうわけで、

「キサラギ」に対する映画マニアのいらだちは、それに近いのだろう、と思う。

だが、それを前提としたうえで、
「2時間弱を退屈しないで観られる」
ことに関しては、私個人は重視せざるをえない。

倉科遼のネームの多さは退屈だが、
「キサラギ」のセリフの多さは聞いていてそんなに不快ではないからだ。

それにしても「キサラギ」の問題はむずかしいと思う。
だって「おもしれーおもしれー」って言ってる一般人に対して、(一部の?)映画マニアの人が、
「おまえらがおもしろいと思っているものは実はこんなにつまらないんだよ」
って言うようなモンでしょう。
それって一般人にとっては「ハア?」ですよ。

倉科遼作品に関して言えば、
彼の「ネームが読みにくい」と思っている人はマンガをたくさん読んで、それこそ1ページの中に配置されたフキダシの位置によっていかに読者の目線の移動がスムースに行われるかとか、そういうことを考えている人で、それは「読み飛ばせる作品」を「うん、読み飛ばせる」と認識しながら読んでいるということで、

何も感じていない人の方が、フキダシの中の文字を熱心に集中して読んでいるのかもしれない、というのがある。

なんだか、何がいいたいのかわからなくなってきたな。
でも、わかる人はわかるでしょ。

あ、便利だなこのシメ。

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