« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »

2007年9月

【映画】・「高校生番長 ズベ公正統派」

1970年、大映東京
監督:田中重雄、脚本:須崎勝弥
出演:八並映子、松坂慶子、篠田三郎

「非処女同盟(アンチ・ヴァージン・サークル、 略称:AVC)」をつくって盛り上がるズベ公リーダー(名前忘れた)(八並映子)。この女優さんはキツめの目が魅力的。
模擬試験ボイコットに失敗する、どこかヌケたところもある男番長グループと張り合う。

「処女なんて無意味」という観念に取り憑かれたズベ公リーダーは、好意を持っている男番長ではなく、単に「精神を惑わせたい」という理由だけで優等生と初体験。傷ついたりすったもんだあるが、最後は優等生たちもまじえての大立ち回り、終わってみればみんなで顔を見合わせて大笑い……って、青春ものじゃねえかこれ! でも懐かしい。

現在の映画ではありえないくらいのヌードシーンが一瞬出てくるところ、不良グループへの入団の条件がなぜか勃起したチンチンにコーヒーカップをかぶせてどれだけ落ちないかを競う不毛すぎるゲームだったりといったところが見どころか?

「処女には意味があるかないか」なんていう葛藤は、たぶん現在の女子高生を主人公にした映画ではまずあり得ない。つまり、そういう意味では現代はポストモダン。プレモダンは「卒業よ。」(←おれ、今うまいこと書いた!!)

この映画の公開は終わってまして、ラピュタ阿佐ヶ谷で本日から大信田礼子主演で「ずべ公番長 東京流れ者」

|

【映画】・「女子学園 悪い遊び」

1970年、日活
監督:江崎実生、脚本:山崎巌
出演:夏純子、江守徹

私立白バラ学園中等部に転校してきた涼子(夏純子)は、もともといたズべ公グループとはちょっと違った孤高な雰囲気。新番長の座をめぐって対立するが……。

中学生って設定なのに、ウィキペディアで調べたら夏純子はこのとき21歳くらいですよ。エロ過ぎ!!
身体はスレンダーだが、その目力(めぢから)と官能的なくちびるで殿方の生気を吸い取ります。
お話はエゲツないところもあるが、基本的には担任の教師(江守徹)への涼子の純愛が貫かれているのでどこか「青春もの」の匂いがする作品。

|

【映画】・「ずべ公番長 夢は夜ひらく」

1970年、東映東京
監督・脚本:山口和彦、脚本:宮下教雄
出演:大信田礼子、梅宮辰夫、夏純子、藤圭子

「女ネリカン」と呼ばれる少年院みたいなところ、赤城学園。そこを退園した影山リカ(大信田礼子)は、バーでホステスとして働くことになるが、当然のごとく(?)ヤクザが出張ってきてすったもんだの末、ズベ公・リカの怒りが爆発する!

冒頭の、赤城学園における「花嫁着付け教室」がムチャクチャになるシーンが単純ながら象徴的で面白い。ツカミはOK。
手足が長く、グラマラスな大信田礼子は今のタレントに無理矢理たとえると根本はるみテイスト。

内容的には、梅宮辰夫扮するやくざの典型的殴り込みエピソードにむりやり女の子たちをからませた印象で、「うーん……」な感じかなあ。
まあ、続編があるみたいなんでそっちも観たいけど。

・「ずべ公番長 東京流れ者」(→感想

|

絶望

同じことを何度か書いているが、以前ある人に就職の相談をしたら「おまえもそういうことを考えているんだなと思って、ホッとした」みたいなことを言われて、強いショックを受けた。
私のことを、芝居の書き割りの一部とでも思っていたのだろうか? 私だって切れば血の出る人間です。

ヌーボーとしているから勘違いされるのかね。

この間、ドランクドラゴンの塚地主演による「裸の大将」が放送されましたが、
私は映画版の「裸の大将」を見たことがあります。

出来としては普通の手堅い感動もの、といった感じですが、
山下清の個展に来たアベックが、清の絵を見て、
「すごーい、なんでこんなに細かいのができるの」
と聞いた女に対し、男の方が、
「バカだからだろ。」

と言って、それを影で聞いていた山下清がとても悲しい顔をする、というシーンがあったと記憶しています(あくまで記憶)。
私は、テレビ版のフンワカした「裸の大将」も好きだけど、ユーモア部分とともにこういう本当に心ない差別者をもきちんと描いていたという点だけで、映画版のことについてときどき考えます。

何を考えているかというと、
「ふだんヘラヘラしているように見える人間も、ものを考えないと生きていけないんだよ!!」
……ということです。

よく「天然ボケ」などと言いますが、まあ別にいいですけど、「天然ボケ」とはニュアンス的に、自分たちと違う感性を、その人物が持っていると線引きするわけです。
もちろん、そういう人は変わった部分もあるんでしょうが、
変わらない部分もあるんです!!

山下清だって、面と向かって「バカ」と言われりゃ、怒るに決まってますよ。
それだけの話。

|

・「実録 ドーピングの真相」(2007、宙出版)

コンビニペーパーバック調単行本。マンガです。
ベン・ジョンソン、ジョイナーなどのドーピング事件や疑惑についてマンガ化されているのだけど、わざわざマンガ化する理由がよくわからん……。
個人的には執筆者として渡辺健一が懐かしかった(むかーし、少年キングとかでよく読んでた)。

|

・「実録 歴史を変えた呪いの真相」(2007、竹書房)

コンビニペーパーバック調単行本。マンガです。
けっきょく検証のしようがないのが霊の世界だと思うが(細かいこと言えば可能なんでしょうが)、検証可能な超常現象と検証がめんどうな心霊現象の中間あたりにあるのが「呪い」であるような気がする。
「呪い」の根拠は、たぶん「いかにもありそう」なその時代時代のお膳立てだから、時間が経つとほとんど風化してしまう。にも関わらず不気味な印象を与える場合があるのは、「だれかの呪いで連続して人が事故死した」などの、何というか擬似的な因果関係が見受けられるからだろう。

たとえば「ファラオの呪い」が、「病原体説」という因果がはっきりしているかのように思える説で、いまだに語られるのはその辺のことがあるからだと思う。

そういうことをちょっと考えたが、まあ内容自体は監修が並木伸一郎先生なので並木テイストです(普通、というほどの意味)。

あ、犬木加奈子が描いてます。

|

【雑記】・「キサラギ」について最後のフォロー

たまたま「キサラギ」を酷評しているブログをまた見つけたので、なんだか「キサラギ」という映画をフォローしたくなってフォローしてみる。
しかし、これが最後としたい。これ以上は不毛だと思うから。

続きを読む "【雑記】・「キサラギ」について最後のフォロー"

|

【映画】・「処女監禁」

1977年
監督:関本郁夫

主演:三崎奈美、伴直弥
さえないアシスタントカメラマン・政男(伴直弥)は、向かいの家の美女(三崎奈美)をのぞき見することに執着している。
1年経ったある日、いよいよ彼女に告白しようと決意した政男は、自分がのぞき見している美女に男がいるところを目の当たりにし、なおかつその男には妻子がいることを突き止めてしまう。
がまんできなくなった政男は、ついに女を襲い、自分の部屋に連れ込んで監禁・強姦する。

誤解を恐れずに言えば、監禁ものの大傑作。
とにかく政男の気持ち悪い描写がきわだっている。カメラマンなのに、女の部屋を覗いては等身大のヌード模写をしたり、微にいり細をうがち彼女の日常をメモしたり、毎日彼女を妄想してオナニーするときにはコンドームに日付をつけ、それに射精し、なおかつそれを1年分、冷蔵庫に入れて貯めていたりする(オエッ)。

女性を監禁してからも本当にいちいち描写が狂っているので、まず観てほしい(渋谷のシネマヴェーラで28日にもう1回、上映される)。
主役のストーカー男が二枚目の伴直弥なだけに、その異常性がきわだつ。随所にブラックユーモアなところがあるが、それがすべて主役の男の異常性につながっている。「バカ映画」などとはとうてい言えない何とも言えぬ迫力が伝わってくる。
あまりにすごいので、観ている間中唖然としてしまった。もちろん見世物的なすごさもあるが、それだけではないから大傑作と書いている。最後の最後に訪れるのは男にとっての「絶対の孤独」。この孤独っぷりもあまりにもすごいので、感心してしまったのであった。

ネットの評価をざっと観たが、女性と思われる人で本作に関する不快感をやんわりと表明しているところが数カ所、あった。しかし、それは上品にすぎると思う。これほど女性が観て不快になる映画はそうはないのではないかと思うくらい、描写がひどい(暴力描写はそんなでもないと私は感じたが、ストーカー男の気持ち悪さは女性の生理的な部分にうったえるのではないか。そういうたぐいの「不快さ」である)。

しかし、「つくった人に、上映した映画館に悪いから」みたいな理由で、やんわりと批判するなんてよくないと思う。はっきりと「不快だ」と書くべきだ。そもそもが、女性が観て喜ぶようにはできてないのである。
たとえば、女性客のために男性が女性に監禁されてヒドイ目にあう映画があったら、男性である自分は不快になるかもしれない。そういうことはハッキリさせておいた方がいい。

また、中島貞夫監督の映画に「ポルノの女王 にっぽんSEX紀行」というのがある。こちらもさえない男(荒木一郎)がガイジン女を監禁してレイプしてしまうという映画だ。この「SEX紀行」は、まだ監禁する者とされる者との間に愛情がめばえる。
まあ私はその映画はその映画で好きなんだが、最初から最後まで監禁する者とされる者がほぼまったく心を通わすことのない本作「処女監禁」の方が、個人的には衝撃的に感じる(一度、政男のレイプに女が感じてしまうシーンがあるがあれはポルノの文法上、いかにも入れましたという感じで基本的には政男と女の間には何の交感も生じはしない)。

繰り返すがこれは女性が観るにはキツいだろう。だがその逆で、男性が観るとキツい映画だってあるはず。まあ時代の流れとしてこれからはトランスセックスの世界になるんでしょうけどね、自分はそれに至る過程でのつまずきの方に興味がある。
そういう意味では本作は、作中の人物も、現代の観客としての男女も断絶させているからこそ、意味があると思う。時代を超えるとか性差を超えるとか、そういうおためごかしはいらない。

|

【雑記】・無題

http://tsurumitext.seesaa.net/article/57215408.html

(以下引用)
>>また覚醒剤についても、『人格改造マニュアル』(やその次に出した『檻のなかのダンス』)のなかで、いい面を強調して書いたことも今では後悔している。

>>そもそも本来、こういったものを使ってまで覚醒しまくらなければやっていけない世の中のほうがどうかしている、我々はもっとのんびりと安心して、自殺などしたくならずに生きられるはずだ、という考えもあって、今では社会批判をやっているわけだ。
(引用おわり)

「覚醒剤」についてきちんと調べたわけではないが、「人格改造マニュアル」を読んだときに「さすがにここまで安全ではないだろう」と思っていた。
だから、今頃になってこういうこと書かれると「えーっ!? 今さら!?」と思ってしまう。

「こういったものを使ってまで覚醒しまくらなければやっていけない世の中のほうがどうかしている」ってのは本当にそう思うけど、ここから先ってきっと言語化できない領域に行っちゃうんだよな。
「毎日規則正しい生活をして、気に病むことを少なくして……」っていう、文章で書いてて当たり前のことになってしまうはず。
テキスト書く以上、それをどう突破するかを考えるか、あるいは「これ以上はもう文章化できない」とあきらめるか、という瀬戸際になると思います。

でも、鶴見済はしれっと「これ以上は言語化できません」って書きそうな気もするが……。

まあ、どっちにしろコリン・ウィルソンとかそっち系に行くのかどうかにすごく興味がある。
こういう問題って、袋小路に入っちゃって明確な路線ってないですからね。
「心の平安」って、追究するのがむずかしいんですよねえ。しかも他人に説くのはさらにむずかしい。

この人、「完全自殺マニュアル」を出した頃から、たとえば鬼畜的、悪趣味的興味とか、あるいは社会問題を意識してとかじゃなくて、「自分が生きていることそのもの」に欠落感というかジツゾン的な絶望を抱えている人だと思うんだが、

それに対してイラッと来るかファニーと思えるか、で評価は変わってくるんでしょうね。

……私はファニーだと思ってしまいますけどね。たぶん世代的には「生きざま」とかについて語ることが超カッコ悪いと思われた時代の人でしょ。
その人が、屈折したり悩んでりしているのが見えるところがあるから。

|

【アニメ映画】・「ベクシル 2077 日本鎖国」

公式ページ

監督:曽利文彦、脚本:半田はるか、曽利文彦

21世紀、日本は国連からの圧力を逃れハイテク鎖国した。
アメリカの特殊部隊員・ベクシルが鎖国して10年経った日本で観たものは……?

わたし的にはこれ、ぜんぜんダメだった。途中で寝てしまった。

続きを読む "【アニメ映画】・「ベクシル 2077 日本鎖国」"

|

【映画】・「きつね」

1983年
監督:仲倉重郎
主演:岡林信康、 高橋香織

シネマヴェーラ渋谷のの上映ラインナップ「妄執・異形の人々II」のひとつとして上映された作品。

北海道で氷の結晶の研究をしている科学者(岡林信康)と、病気療養している14歳の少女(高橋香織)との純愛を描く。

映画館では、熱心な青年に話しかけられている初老の紳士がおり、どうやらその人が監督本人らしい。
監督のブログも発見した。どうも製作者サイドの「視線」を感じてしまうと感想が書きにくいが、そんなこと考えて遠慮していたら何も書けなくなってしまうので思いきって。

本作は、今でいう「ロリコン」とは違った意味の、83年当時のもうちょっと切実な意味のあった「ロリコン映画」としてかなり正しい。リアルタイム、あるいは数年遅れたかたちで「時をかける少女」(原田知世のね)や「カリオストロの城」に得も言われぬ感覚を味わった人たちは、観るべき映画なのではないか。

続きを読む "【映画】・「きつね」"

|

【雑記】・「我々はテレビに覗かれている」

ここに関する追記。
「サラリーマン的生活をテレビバラエティは反映している、そしてそれが現実のサラリーマン生活にフィードバックされてくる現実がある」というようなことを先に書いた。

が、誤解されると困るので書いておくが、自分は日常会話がテレビ的メソッドによって規定されるのは大嫌いだったりするのである。

つまり、「理想」と「現実」は違っていて、
「現実」にはテレビ的メソッドを使った方が会話の潤滑剤になる場合が、まぎれもなくあるということがひとつ。
しかし、そこには常に同調圧力が存在しうることも事実であるし、また「テレビ的会話」によって日常がすべて浸食される危険性も、常にあるということである。

まあ、テレビで聞きかじったお笑い用語を使って会話するくらいならかわいいもんだが、ある日、喫茶店かなんかで話をしていて(これ前に書いたかな)、
だれかが放送禁止用語を口走ったときに、
「あ、これって放送禁止用語ですよね?」
と言ったのが、自分は心底不快だった。

だって、その場は「放送」されてないんだよ?
だれが見張ってるっていうのよ。日本はまだそこまでの監視社会ではないはずですよ。

いちおう、くだらない反論が来るかもしれないので細かく書いておくけど、
私だってさまざまな、差別的な言葉を何の思慮もなくのべつまくなし使っていろと言っているのではない。
しかし、「差別語」と「放送禁止用語」は、近いけれどもイコールではないはずだ。

自分はその場のニュアンスで、「これって放送禁止用語ですね」と言われたとき、
それがあたかもその場がテレビバラエティであるかのようなノリの中で、似たような文脈で言われたと判断した。
だから、ものすごく気持ち悪かった。

ぜんぜんカンケイないが、この「テレビバラエティノリ」を、「不完全なかたちで完成させる」という希有なことをやっていたのが「スーパーフリー」の和田サンだろうね。他にもああいうグループはあるんだろうけど、象徴的には和田サンだよ。
彼らのやっている「合コン」の方法論が、ほとんどテレビから来ていることを思い出されたい。
まあ和田サンが「ねるとん」やってたかどうか知らないけど、「ねるとん」だってもともとテレビから出てきたんでしょ?
いやもしもその方法論が学生から出てきたとしても、広まったのはやっぱりテレビから、だからねえ。

ナンパや合コンの場ではだれもが「芸人」にならないといけないらしいですよ。
その場でいやとか何とか言ってもしかたないよね。会社の忘年会でくだらない余興を強要されてもやらなければならないのと同じで。
(そう、自分はここら辺のことが言いたいんだけどね。)

あーあ、それにしても本当に会社の忘年会とかの余興ってくだらないのが多いよなあ。

ホリエモンが逮捕される前年のライブドアの忘年会のビデオが何度も何度もテレビで映し出されたけど、
二人、レイザーラモンHGのかっこうをしているやつがいたんだよね。

ああいうのって、強要されているのか? それとも単なるお調子ものなのか?

タイガーーーーーーマスク。タイガーーーーーマスク。(むかーし、ダウンタウンの松本がなんかでやってたなんかの叫びで、シメ。)

|

【雑記】・「おいおい、シュミと仕事は別でしょうが」

ローゼン麻生(麻生太郎) 秋葉原演説会&握手会レポ
ここ2、3日、巡回先の知り合いのブログなどで麻生氏の演説にはしゃぐアキバのオタクたち、という図式で報道されたテレビ番組やネット上の記事について、危惧する声がチラホラと聞かれる。

確かに、オールドスクールなオタクからすると「政治家がオタクだから」といって浮かれるなんて、ちょっと信じられないのである。
そういうわけで、あくまで個人的視点ではあるが「オタクと政治」について歴史をひもといてみよう。
以下、データとか出さないでぜんぶうろ覚えなので、その辺はメディア・リテラシーとか何とかを考えてよね。

続きを読む "【雑記】・「おいおい、シュミと仕事は別でしょうが」"

|

・「牌鬼無頼 ボクは殺曲家」 小池一夫、叶精作(2007、小池書院)

Haikiburai_3
1976年頃の作品。
謎の雀士、危険墨斎(ションパイボクサイ)。彼は依頼を受けては麻雀を通して殺人を犯す殺し屋であり、モノにした女の身体に必ず麻雀パイの刺青を彫って去っていくという性癖(?)を持っていた。
かつて彼を愛したインターポールの捜査官・ティナーの背中には、九連宝燈(ナインゲイト)の刺青が彫られてしまっている。
ティナーに追われつつ、麻雀を通して金儲けし、殺人を犯し、女も犯し続ける危険墨斎の生きざまを描いた麻雀劇画。

これぞ70年代小池一夫の真骨頂!! 普通の単行本ならたぶん全2巻、私が読んだコンビニペーパーバック調単行本では全1巻なので、手っ取り早く小池劇画を味わいたい人にはオススメである。

あらすじは本当に上記のとおり。読めば読むほど、小池一夫がマンガ界に投じた問題提議は大きいと自分は最近考えている。

どういうことかというと、アニメや映画、特撮ドラマでたびたび論じられる「リアリティとは何か」という問題がある。
たとえばスーパーロボットアニメよりもリアルロボットアニメの方が本当に「リアル」なのか? あるいは「リアル」ということが本当に「面白さ」に貢献しているのか? という問題のことである。
昨今の技術の進歩による「CGの導入」にも、似たような議論がつきまとう。

ところが、マンガでそのような議論が起こったことはあまりないように思う(以前書いた気もするがミステリにおける新本格論争がこれに相当し、おそらくラノベをめぐる言説でも似たような議論があるかもしれない)。

なぜマンガに似たような議論が少ないかというと、マンガはさいとうたかを・梶原一騎・小池一夫的な「劇画」を受け入れたからこそ発展・拡大した、ということが言えるからではないかと思う。

そして、存命中からパロディ化されまくった梶原一騎とは対照的に(パロディも批評の一種だと考えられる)、本人が恐い人なのか何なのかは知りませんが、小池一夫はあまり語られてこなかったし、パロディの対象にも梶原一騎ほどにはなっていなかった。

もしかして、これってすごい問題なんじゃないのか!?
……と思う今日この頃である。

|

・「ゆうれい小僧がやってきた!」(上)(下)  ゆでたまご(2007、集英社)

[amazon]

週刊少年ジャンプ連載。コンビニペーパーバック調単行本として再刊された。
108匹の悪行妖怪を倒すため、正義の妖怪、恐山百太郎・琴太郎の双子の兄弟が人間界にやってくる。
彼らは合体し、最強妖怪・亜鎖亜童子に変身するのだ!!

ひと言。
「つ、つまらん……。好きな人には悪いけど。」

続きを読む "・「ゆうれい小僧がやってきた!」(上)(下)  ゆでたまご(2007、集英社)"

|

【お笑い】・「素人いじり、『空気を読む』ということについてなど」

登場人物の名前が思い出せないから説得力まるでないんですが昨日の風はどんなのだっけ?
私が知っているのは、ラジオで関根勤が「最近、若手芸人で素人の頭をはたく人がいるけど、あるいはまずいわー、あれはやめた方がいい」って言っていたことですね。それは20年くらい前の話かな。
その件に関しては、総論賛成です。

40代以下の芸人が、タモリ・さんま・所・鶴瓶を脅かせない一番の理由昨日の風はどんなのだっけ?
で、やっぱり気になるのはこちらのエントリなんだけども、
趣旨として「40代以下の芸人は、テレビにおいて仲間うちでしか力を発揮できない、自分たちのお笑いに関する約束事を理解してくれない素人とからむのがむずかしくなっている」ということでいいですよね?
それがまず大前提。

続きを読む "【お笑い】・「素人いじり、『空気を読む』ということについてなど」"

|

・おもしろ太郎ブルース

おもしろ太郎がやってきた
「なぞなぞブック」を手にもって
「あ、なぞなぞ出すのかな?」
みんながそう思っていると出さない
謎の男 おもしろ太郎

おもしろ太郎の おうちはね
深い 深い 森の奥
そのまた奥の その奥の
森を抜けたら 住宅街
そこの一角に住んでいる
あんがい 普通な おもしろ太郎

おもしろ太郎の大好物
それはヤマザキのチーズ蒸しパン
もうだれも覚えていない
ヤマザキだったかどうか忘れたが
「チーズ蒸しパン」のCMの歌が
バンド「有頂天」の曲だったということを
ナゴムギャルにも抵抗がない
サブカル野郎 おもしろ太郎

おもしろ太郎のライバルは
「つまらな二郎」と申します
とにかくコイツがつまらない
「ですよ。」を観ながら大爆笑
「とぅいませ〜ん」
ものまねさえムカつく つまらな太郎
その度胸は ある意味 勉強になる

おもしろ太郎と別れるとき
それはキミがオトナへの第一歩を歩み始めたとき……
オトナへの第一歩、
それは企画もののAVに手を出したとき
……と、そんな下ネタは申しません
本当は二十歳になったとき
あんがいマジメなおもしろ太郎
儀式はきちんとするタイプ
プロポーズのときグラスの底に指輪を沈めて相手に見せるようなタイプ
だがそれを思いついたのは
「スパイダーマン3」を観たからだ
案外ミーハーおもしろ太郎
「ラッシュアワー3」も観るつもりだとか つもりでないとか

|

【雑記】・「微妙に挨拶をしない人の話から関係ない話へ」

「微妙に挨拶をしない人」が苦手。こっちも挨拶していいかどうかわからないから。
心理学用語で「半知り」という言葉があるそうだ。ググると漠然と意味はわかります。現代はサラリーマン社会。フリーの人だってサラリーマンから仕事もらってる。接客業でも来るお客の多くはサラリーマンだろう。

この間、古い映画を観ていて夫婦でやっているクリーニング屋に若い衆が住み込みで働いているシーンがあった。今のような商店街衰退の状況では考えられないことだ。今は、おじいちゃんおばあちゃんでやっているものすごく寂しい店か、あるいはコンビニやスターバックスしかないという二極分化である。
そういえば、40年くらい前は普通のいわゆる「おみせやさん」で、一人か二人従業員を雇うのは普通のことだった。

たとえば私の親戚の店には「若い衆」といまだに呼ばれている老人がいたりする。従業員と言える人はその人だけ。若い頃に就職してそのままずーっと、その店に勤めているのだろう。

そういう人間関係は、少なくともよくも悪くもサラリーマン社会では無かった。

続きを読む "【雑記】・「微妙に挨拶をしない人の話から関係ない話へ」"

|

【雑記】・「ブログを書くときの精神状態をコントロールするのはむずかしい」

一部の人は知ってのとおり、私ははてなダイアリーにテキストを書くのをやめてしまった。しかし一時期ははてなダイアリーのシステムを愛していたこともある。耽溺していたといっていい。だって、たとえば「仮面ライダー」の感想が知りたいと思ったらキーワード一発でドバッと出るんだから。
しかし、新人類だかいちご世代だかアプレ・ゲールだかウェブ2.000000000だか知らないが、「つまんね。明日試験だ」とかそういうのしか書いてない、なんかメモ代わりみたいなページも増えた。
あと「はてなブックマーク」なんかはダークな精神状態がエスカレートするのに拍車をかけるシステムなので、けっきょくやめてしまった。

そもそも、私は言いたいことがたくさんあってあってありすぎるのであるが、その大半はおおやけにはできないことであり、常に自制していないとダメなのである。
それが、つい調子に乗っていろんなことを書いたりすると、世の中には心ない若人がいっぱいいて、いたいけな中年オヤジのわたくしに精神攻撃を仕掛けてくるのである。

だから、バカバカしくなってやめてしまった。

だいたいがとこ、なんで私が「いろんな人の意見」を見ようと思っていたか。それは大衆がものごとを決めるのであり、また文化的には多くの局面でそうでなくてはならないからだ。たとえばいしはらしんたろうがいいと言ったからといって、たとえば「コボちゃん」全3000巻、ハードカバー、1冊2000円、国書刊行会・刊(注・そんなものはありません)をみんなが買う世の中にになったらどうする?
喜ぶのは国書刊行会とコボちゃんだけではないか。

そういうわけで他人の動向、下世話な言い方をすれば「顔色」を10年以上にわたってうかがってきたわけであるが、
ふと気づいたら自分は最大公約数的な日本人像とはおよそかけ離れた生活を送っているわけである。
だれがどういう生活をしようが、少なくともチョクで私の生活には何も関係ないわけで、
急に虚しさを感じたのさ。

もういいだろ、10年以上だよ! 10年以上、どうでもいいさあ、だれが前髪切ったとか、だれが高いスニーカー買ったとか、そんなことばっかり気にして「え? そうなの」だって。私が。「そうなの?」じゃないんだよ。興味ゼロだよ! 私は私の身近な人の動静だけ気にしてればいいことに気づいたんですよ(同人誌の売り上げとかイベントの集客とかに関してはまた別だけど)。

これは大げさに言えば一種の悟りですよ。

急に話は飛ぶように思われるだろうが、とにかくみんな基本的にコリン・ウィルソンとかバカにしてるでしょう。頭のいい人はみんなそうだよ。私も頭いいと思われたくてコリン・ウィルソンをバカにしていた時期もあった。風にころがる映画もあった(椎名誠が確かそんなことを言っていた)。
でも、コリン・ウィルソンって「いつまでもいつまでも楽しい気分が続くにはどうしたらいいか?」を、ドラッグとか抜きで考察した人じゃん。
これって、もしかしてすごいことなんじゃないか?
野球でも革命って起こせるんじゃないのか?(「アストロ球団」より抜粋でございます)

普通の知識人ってのは目的と手段を取り違えてしまうんですよ。手段が楽しいのは一部の天才と物好きだけですよ。後はねえ、みんな結果が欲しいの結果が!!
とくに日本人は苦悩の果てに幸福がないとダメだと思ってる。でも本当にそうなのか?
(いちおうマジメな話をすれば、苦悩したり苦労したりした果ての幸福の方が一般論的に逃げにくい、ということはあるかもしれない。たとえば教育。一度覚えた日本語は、みんな最低レベルでは忘れないでしょ。そういうことだよ。)

だからコリン・ウィルソンの「生きざま」は、再考した方がいいと自分は思う。

おっと、タイトルと何の関係もない話になっちまったぜ。

うわあー(号泣)

おわり。

|

【イベント】 ・「集え!正義!!ローカルヒーロー祭り・2」

9月8日(土)、昼。於:ロフトプラスワン。
「集え!正義!! ローカルヒーロー祭り」の第二弾。
地域を盛り上げるために活躍するローカルヒーローが登場するイベント。今年も観てきました。

最初に登場したのは東久留米市のヒーロー、「クルメイザー」。狭いプラスワン内でアクションを展開。感心するが、アクシデント発生。「ゾル大佐」みたいな悪の幹部が、足をケガしてしまったらしく、プラスワンの舞台につかまりながら演技継続。片足を床に着けることができない(後からスタッフの人に聞いたら骨折だったらしい)。

自分はよくあるヒーローショーのように、舞台に他の2人のお客とともに前に出されて悪人に体操させられたりする(笑)。しかしその間も悪幹部の足が気になってました。しかし最後まで演じきったプロ根性がすごかったです。

次、「オレパンダー」という謎のサブカルチック単体ヒーロー登場。
何しろ、どうやらピエロみたいに直接顔を白塗りにして扮装しているのである。完全にギャグ路線なのだがそのマイペースっぷりがたまらない。後から聞いたら芸人さんというわけではないらしい。デザインフェスタに出ているというから一種のパフォーマー? つまり、ガツガツ笑いを取りにいかないところが味になっているのだ。
ちなみに、今年の「Tシャツラブサミット」というイベントで、外をこの人が歩いているのをチラリと見かけたのだが正体がわかって、満足。

なお、オレパンダーは人々の心に巣くう「ココロノマイケル」と戦っているそうだが、これはふざけたふりしてなかなか秀逸な設定だと思う。

そして酒徳ごうわく氏編集による「『ローカルヒーロー大行進』イベントレポート」。 まあこの辺は安心して観られて鉄板ですね。楽しめました。また映像を説明する酒徳氏のポイントを突いた解説も良かったです。
ミナミユー監督の「地方戦隊キタカントー」、フォトシネマンという人が鹿児島の「アイラ仮面」をレポートした映像などが流れる。それとローカルヒーローというよりインディーズヒーローとも言うべき「Pマン」、カエルのヒーロー「フロッガイン」というのも流れました。

その後、昨年同様のヒーロー合同ショー。「クラッシャーカズヨシ」、「パンダーマスク」、「ビンボーグ」なども前回同様登場。やっぱり楽しいよねコレ。
ビンボーグというのは、何というか「悪の女幹部」みたいな感じのキャラクターなのだが、この人がイベント全体のプロデューサーらしいです。しかしふだん何やってる人なのかは、激しく謎。

……という感じでした。
昨年同様、拙いながらレポート書きました。私はイベントに行ったらいちいち細かくレポートを書くことを習慣としないのですが、この「ローカルヒーロー祭り」は、着眼点、イベントならではのライブ感、演者の真剣度などどう考えても現在の三倍はお客が入ってもいい良質なショーなので、都合上1年に1回しかできないそうですが今後も続いて欲しいという思いを込めて書いたのでした。

ローカルヒーローはもうほとんど日本の文化だな、と思ったイベントでありました。

|

【雑記】・「何度も何度もしてしまう話」

まあたとえば、家族が亡父の、過去のやりきれない失敗話などを思い出すごとに話している。私が生まれる前のことなので知らないが、とにかく取り返しのつかない失敗らしい。
なんで同じ話をするのだろうと思うが、こういうのはしょうがない部分がある。
自分も、同じ話を何度もしてしまったり気づかないうちにブログで繰り返し書いていたりする。
できるかぎりしたくないもんであるが、あくまで自分本位なことを言えばそういうことの中に自身の問題意識が深く根ざしている場合が多い。

というわけで、何度もしている話を書く。

続きを読む "【雑記】・「何度も何度もしてしまう話」"

|

【雑記】・もう死にます

一生懸命何をやっても報われないのでもう死にます。「甘ったれてんじゃねーよ」と言ってきた人真っ先に道連れです。
それと眉毛のつながっている人と、ッDふぁDっGs{FっH@っH@ZH@ZっっJGPVCXZ、XXCF;FHJTJJ

|

【イベント】・「面白漫画倶楽部〜4〜」開催!!

Omosiro002_2
第4回目は【怪獣・怪人・異形のモノ】特集!?!
俺たちは漫画が大好きだ!漫画はこんなに面白い!昼から酒を飲みつつ漫画作品作者への愛を語る!漫画好きなら一緒に飲もう!
今回も、世の面白漫画・独特表現漫画を商業誌/同人誌・オタク/サブカル・日本/海外面白漫画紹介!100本ノック!珍作・奇作・傑作・怪作・変作・ぶっ飛び漫画。昭和の怪奇漫画・エロ漫画、漫画家研究発表、海外漫画!

【場所】LOFT/PLUS ONE 新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2
【MC】バッドガイナベ(バカ映像伍虎将軍)、かに三匹(かに温泉)
【Guest】鶴岡法斎(漫画原作者)、新田五郎(ふぬけ共和国)、ヒライ&スーパーログ(エレクチオンナウ)、江戸栖方(萌え萌え同人誌ナイト☆主催)、KRONOS(SFC Crash and Burn)、成田優介(JJポリマー)他、交渉中
【日時】2007年9月9日(日)OPEN12:00/START12:30
【料金】1000(飲食別)※当日のみ

mixiコミュニティー

*グラビアアイドルなど多方面でご活躍の、谷岡佳奈(みやび!!)さんがアシスタントとして参加が決定しました。
みやび!!のお部屋

|

【アニメ映画】・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」についての感想

公式ページ

ここからの続き。

で、「序」についての本論。
私はまあ、これは全肯定せざるを得ないんですよね。確かに、映画化すると聞いたときは「またかよ?」と思ったし、見る前はけっこう醒めてたんですが、平日でもけっこうお客さんが入っていて、12年前とは違う熱気を感じたんですよ。
何というか、「すでに鉄板化しているんだな」という印象だったんですよね。

続きを読む "【アニメ映画】・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」についての感想"

|

【アニメ映画】・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」についての「序」

「エヴァ」について語ると、たいていの場合「うまいこと言う合戦」、「おれがいちばんアニメに詳しい合戦」、「おれがいちばんいいところを見ている合戦」になりがち。
……っていうか、12年前、パソコン通信ではそういう事態になっていた。
膨大な「エヴァ論」が書かれ、自分も素朴な感想を書いたが、ものすごい数のテキストに埋もれてしまって感想を書いていてちっとも楽しくなかった。

「序」が公開されて、今やるべきことは12年前の時代状況、「エヴァという作品の先見性」、「現象にまでなったと言われたのはなぜか」等の考察、そして「当時の議論の整理」といったところだろうか。
まあ、だれかがやると思うのでやりませんけど(できないとも言う)。

……と言いつつ極視的な感じで書いてみるか。

続きを読む "【アニメ映画】・「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」についての「序」"

|

【雑記】・「見なくなったブログにはやっぱり理由がある」

私はなぜか、特定のブログをある一定の時期、半年とか一年とか読み続けて、ある日何かの飽和状態に達したような気がして不意に読まなくなる、ということがある。
まあ、他の人もあるかもしれないけど。

で、ふと思い出して「今頃何書いているんだろう」と思って検索して読んでみると、やっぱり「ああ、こりゃダメだ」と思ってちょっと鬱になる、そんな虚しい行為を繰り返しています。

たとえば文庫本1冊くらいなら読むけど、2冊目はもう読まない、というような感じだろうか?
しかし、文庫本で明確に「1冊目は面白かったが、もう2冊目からはいいや」と思うことは少ないのである。
まあ、この辺は掘り下げても自分でわからないからいいや。

最近の自分は「人間の弱さとは何か」というテーマでもっていろいろと考えているので、そういう問題意識を持っていないブロガー、あるいは文庫本の話を出したけど書籍の著者にはまったく興味が無くなってしまった。

たとえばたまたま読んだどっかのブログで、どっかの大学教授で「自分のつきあいの悪さ」を公言して通常やるであろう行為(親戚の結婚式や勤め先のパーティーに出席するなど)を欠席し、「それでも生きてこれたよ」みたいなことを書いている人がいるらしい。

で、そういうのに自分は興味がまったくゼロ、と。

そもそも「私は人づきあいが苦手だし虚礼に従うのはゴメンだから、そういうものからはさっさと退場させてもらいます」と言っている人の職業は何か? というと、たいていは「まあ、ああいうことされてもしかたないか」とかなり変人度が受け入れられやすい職業であったり、単に金持ちであったり、あるいは特定の職の個人スキルが異常に高いためにわがままが許されたり……といった人たちがほとんどである。

ああそうですか。そりゃよかったですね。でもマネできないよねそれ。というようなことの羅列なんだよね、そういうのって……。

まあここは慎重に行きたいが、たとえば大学教授には変わり者は多いですよ。少なくとも私が昔、仕事上つきあいのあった大学の先生たちはウンザリするほど変わり者だった(慎重に行きたいから、もちろん変わり者でない大学教授もいるんだろうけどね)。だけど、言うこときかないとしょうがないからみんなだまってそれに付き合わされてました。

そりゃだれだってたいしてなじみのない人間の結婚式にも葬儀にも出るのは面倒かもしれないし、ウン千円もお歳暮だのお中元だのに金をかけるのもイヤかもしれない。実際に「虚礼」とされて廃止された儀式なんかも過去から見ていけばけっこあるかもしれない。

だけど、そういうのに従わないでやっていけるのっていろんな意味で強い人間だけでしょ。
しかも「いいですねそれ!  おれもやってみよう」って思ってできることでもないし、
かといってスポーツ選手やプロレスラーのような何か崇高なものを見せつけてくれるタイプの強さでもない。

「そりゃアンタの境遇ならできるでしょうよ」くらいのことでしかないので、読むだけ時間のムダだよねそういうの。

だいたい、「殺生はいけない」という教義を信じる宗教家だってモノを食べなければ生きていけないように、まったく「虚礼」に従わないで生きていけるほど、人生甘くない。
そこはぜったいどこか妥協しているわけで、じゃあその妥協はどういうふうになされているかというと、「虚礼には従わない」と思っている人間が勝手にきつくしたりゆるめたりしているだけでしょ。
それはダイエット中の女子高生が「今日はガマンできないので温泉まんじゅうを10個食べよう、明日からガマンしよう」と思っているのとそう変わらんですよ。

たとえば教義上の妥協というのは、古い宗教なら話し合いやいろんな議論の末にくだされた決定だろうと思うからそれは自分は文化の蓄積として納得するわけ。アーミッシュが仕事のときには携帯電話を私用していいことになっている、とかそういうことは。
だけど個人で決めたルールを個人できつくしたりゆるめたり、しかもそれを本に書いたりしてさあ、そこまで付き合いきれないですよ。

えーと、何の話だっけ。ブログ?
自分が本来持っている「強さ」に無頓着なまま、気づかないままに、他人にもその「強さ」を、そこに至るまでのルートを示さずに求める主張というのは、自分には納得できない。もちろん「納得できないけど面白い」というたぐいのブログも存在しますけどね。そりゃーまあそこまで世の中単純じゃないですよ。

いやホント、20代〜30代後半くらいまでのオタク/サブカル周りの多くのブログにおける問題意識って、ほとんど「人間の強さ/弱さ」をどうするか、受け入れるか拒否するか、といった問題に集約されるような気がするんですけどね。

たとえば北方謙三は人生相談において「ぶん殴れ!」か「ソープへ行け!」しか言わないらしいとどっかで聞きましたが、
「ぶん殴れ!」とは自分の強さの再確認であり、「ソープへ行け!」とは弱さの再確認なのではないか。

そして、人を殴る蛮勇もなく、ソープへ行く金もなく、そういう人たちはそこからどんどんどんどんこぼれ落ちていくんだよねえ。

誤解を恐れずに言えば、「殴るかソープか」という二元論的な価値観に納得できない人たちが広義の妄想文化を形成しているのかも知れず。
ジム行って身体を鍛えてしゃれたバーとかで女の子をくどいて、聞いたこともないヒップな(こういう言い方って今もするの? わからん)洋楽聞いて、ホテルのプールサイドで寝そべりながら翻訳ものの純文学を読んじゃったりしている人間は、どんなにマトリックスとかエヴァンゲリオンとか観ていてもおれぁ信用しないんだ!!

まあでも、もちろんただいじけてるだけのやつにも問題あると思うけどね。
そこは強調しておきますよいちおう。
何様だと思われるかもしれないけど。

要は、「いじけ」をどのようにテキスト化して自分の中で消化し……。

わーこの文章つまんねえ。つまらなすぎる。

近所の小学校の片隅に打ち捨てられた花壇があって、何も植わってないの。いや雑草は植わってるけど。
あとよくわかんないヒーローのソフビ人形とかが突き刺さってたり、発作的にやったと思われる掘り返された穴などが開いています。

自分はそれを見つめて生きていこうと思います。

探さないでください。

|

【映画】・「三匹の牝蜂」

1970年、東映京都
監督:鳥居元宏/脚本:中島貞夫、掛札昌裕
出演:大原麗子、夏純子、市地洋子

大阪万博の時期に、関東からやってきたズベ公(夏純子)と地元の大原麗子、市地洋子の三人が「ハクいシノギ」を求めて大暴れする。

「女番長」シリーズでは、クライマックスは大ゲンカ、と決まっていたが、「ズベ公」というくくりだといったいどうなるのかと思っていた。
作中での「ズベ公」とは、あくまでもうまく立ち回って小銭を稼ぐ不良娘というほどの意味で、あまり肉弾的なケンカをやることはないんだよね(「女番長」に必ずあった、昔の渡世人みたいな挨拶をするシーンもないし)。

で、どうなるかというとまさかのストーリー横滑り!! 終わると思ったシーンで終わらず、シリアス路線で突っ走ってきたのが最後はなんだかひょうきん族みたいな追いかけっこになっちゃって。ラストは「デス・プルーフ」並みの唖然状態ですよ。
でもよく考えたら、脚本に中島貞夫が関わっているからなのかな……よくわからん。

とにかく主演格の三人の女の子がキュート。大原麗子の小悪魔っぷりは特筆に値する。あと本当に時代とシンクロしていたかどうかわからないけど、今観るとものすっごいとんがっていて、オシャレ……かどうかはわからないけどとにかく新時代を予感させるいきおいがありましたよ。

|

【映画】・「デス・プルーフ」補足

私の「グラインドハウス」評補足。
映画に詳しい人に聞いてみると、「デス・プルーフ」の前半からクライマックス直前のダラダラ具合は、元ネタとなった当時の映画がそういういびつな構造をしていることまでコピーしているからだそうなんだが、
私の「タランティーノの映画って何となくダラダラしたところに詩情がある」という仮説はまだくつがえってないと思いますので、そのままにしておきます。
いや私も、「レザボアドッグス」とかも観てんのよ。

でも、あまりにもタランティーノは引用がディープすぎるというのがあるので、この仮説がくつがえった場合、もう二度とタランティーノの映画に関して論評しません!! 向こうから頼んでこないかぎり(世界一自分が偉い。だって自分が消えたら世界も消えるもん)。

|

・「超常現象ファイル 未確認飛行物体 UFO編」 あすかあきお(2007、学研)

コンビニ売りマンガ単行本。
たぶん「ショック・サイエンス」とかあの辺のやつのタイトルを変えての再刊だと思うが、初出データは掲載されていなかった。

あすかあきおはアメリカのUFO情報開示は新兵器開発のためのカムフラージュだと思っていて、その辺の主張が描かれている。
グレイの正体が突飛すぎて、多少面白かった。
1個のウソをつくためにどんどんウソを継ぎ足していくような感じで。
まあ、本人は「サイエンスエンターティナー」を名乗っているから、本気度はわからず。

しかし、新兵器説はあきらかに「冷戦」が説得力になっていたので、マンガの間の解説文はそこら辺が少し考慮されている。
逆に言えばアメリカの新兵器説というのは、しばらくの間は説得力を持ち得ないだろう。具体的には、イラクとの関係をどうにかするまでは。

|

・「超常現象ファイル 未確認動物 UMA編」 あすかあきお(2007、学研)

コンビニ売りマンガ単行本。
たぶん「ショック・サイエンス」とかあの辺のやつのタイトルを変えての再刊だと思うが、初出データは掲載されていなかった。

内容はネッシー、シーサーペント、チュパカブラ、モケーレ・ムベンベ、人魚ミイラ。
まあ発想としては面白くなくはないが……。たぶん意図的にトンデモ論を展開しているという趣旨は、理解できるけど。
「MMR」もそうだが、こういう「謎を追って旅してどうこう」という超常現象ものにはあまり興味がもてないんだよな……。
どうせ最後はものすごい独断か曖昧模糊とした結論になるに決まってるし。
自分が「川口浩探検隊」や、90年代に入ってからの矢追さんの番組にハマらなかった理由もそこにある。

|

【同人誌】・「よりぬきこれ以上さん 2002-2007」

石川梨華ヲタのテキストサイト、もうこれ以上。の最初の方からある時期までを抜粋した同人誌。

私がオタクとしてリスペクトしている人は大勢いますが、「もうこれ以上」はずーっと読み続けている(私にとって)数少ないハロプロ系テキストサイトのひとつです。
なんでリスペクトしているかっていうと、とにかく状況を楽しもうという姿勢、楽しみを共有したいというのが(たぶん)テキストを書く動機、それと要所要所にあらわれるちょっとしたオタク論というか「オタクのあり方」みたいなものが大いに共感できるというのがあります。

で、この本は過去ログの抜粋のチョイスがうまいのと、現在からのコメントを付けることで立体的になってるんですよね。ちくいちハロプロの情報に対してネットで感想を書き続けてきた強みがある。
ポジティブなこともネガティブなこともネタにして、でも基本的にファンの立ち位置は崩さないから徹底的にこきおろすということはないし。読んでいて、非常に気持ちがいいんですよ。

バックボーンはプロレスとお笑いと……あと何だろう。もちろんアイドルファンとしてのスタンスもあるんでしょうが、「ネタにしつつ愛す」っていうのを体現できているところがいいです。コレがハロプロを多少なりとも知っている人にしか伝わらないかもしれないかと思うと、歯がゆいくらいですよ。

鶴岡さんのブログで指摘されている「論のための論」に陥っちゃってる人や、あるいは本当は楽しいからやっているヲタ活動のはずなのにとことんネガティヴに落ちちゃっている人、そういう人に読んでもらいたいと思ったりするんですよ。

あ、通販もやっているそうです

|

【お笑い】・「再び、小島よしおの件」

24時間テレビのダチョウとの件。
「いいとも」でバラエティ的な手打ちとなって、良かった良かったと思う。
繰り返すけど、「これで小島よしおは終わり」とか「ダチョウがダメだ」とか、ものすっごい真剣なレベルで非難するつもりはない。ことを大きくするつもりは毛頭無い。

だが、カンニング竹山のポッドキャストを聞くかぎり一種の「事故」であったことは間違いがなく、その場に居合わせた芸人たちもそういう感想らしい。
だから「たいしたことなかったんじゃないの、騒ぐほどのことじゃないんじゃないの」という意見もあるが、
「24時間テレビ」という枠内で、小島がしくじり、それをだれもフォローできなかったことは厳然たる事実だと思う。

そりゃみんな芸人で、口から先に生まれてきたような人たちなんだからラジオなどの自分のメディアで後フォローはするだろうし、それはそれでいいとは思うけど、でもやっぱり、大騒ぎになってしまったのはダチョウや小島だけじゃなく、ディレクターだとかなんかそういう裏方的な人たちのしくじりでもあるし。それは事実として、ある。

ひとつ思ったのは、「バラエティ適応能力」と「アドリブ力」というのはちょっと違うものなんだなということ。
ダチョウの場合、バラエティ能力はすごいものがあるけど、最近ではある種パッケージングされている感がある。
自分たちの枠外の事象に対しては、弱い気がする。

以前、「おはガールフルーツポンチ」だったかな、「おはスタ」で、バトンを使ったダンスのある歌を出すことになり、「最初のお披露目で失敗したら解散」というようなことになっていた。
で、実際にやってみるとだれかがバトンを落としたりなんだりして成功とは言い難く、プロデューサーが最後に出てきて「解散だ!!」っつっておはガール大泣き、異様な空気に包まれる、というのがあった。

当然、その後の「おはスタ」ではリベンジしてプロデューサーに認められてばんざいばんざいとなったのだが、
出勤前に中学生くらいの女の子が悲しくて号泣する姿を見せつけられた私は非常に不愉快になり、その後「おはスタ」ファンサイトの掲示板などを見て回ったが、「どうせ仕込みだろう」とかそういう意見しか出ていなかったと記憶する。

私の想像としては、プロデューサーのダメ出しは本当のサプライズだったが、おはガールたちが想像以上に動揺したので変な空気になってしまった、というところが事実かと思うのだが真相はわからない。
だが真相はともかく、「そういう雰囲気」になってしまったことは事実で、「そういう雰囲気」が「おはスタ」という番組でアリかナシか、ということが問題なのである。ハプニングだったのか演出だったのかは関係ないのである。
そして、この件に関して言えば私はダメダメだったと思う。

小島よしおの件から離れるが、もともと「おはスタ」における出演タレントの新曲が出る前の盛り上げというのは、ふた昔前の「電波少年」とか「ASAYAN」の劣化コピーのような「メンバー同士が不協和音を起こして仲直りするまで」とか「だれかから拒絶されて認められるまで」をミニドラマ風に流すというののワンパターンで、それをやりすぎたのがおはガールの件だったのだろう。
(まあ、その後も似たような演出でずっとやるんですけどね。)

閑話休題。
とにかく、だれの責任であるにせよ24時間テレビである種のしくじりがあったことは事実。たとえば「現場では爆笑だった」みたいな意見が後から出たとしても、それは視聴者に伝わらなければダメなんですよ。
そしてそれを踏まえたうえで、私はお笑いっていうのは「ダメ」がダメじゃなくなる空間、そこで終わりじゃなくてそこから始まるものだと信じているから、バラエティ的な、「お笑い」としての回収をしたのはよかったな、と思うわけです。

|

« 2007年8月 | トップページ | 2007年10月 »