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【映画】・「グラインドハウス」

公式ページ

「プラネット・テラー」 監督:ロバート・ロドリゲス
「デス・プルーフ」 監督:クエンティン・タランティーノ

「グラインドハウス」とは、往年の「新宿昭和館」みたいな、ヤクザ映画やアクション映画などを二本立て、三本立てで上映していた映画館のことらしい。今でもそういうところはあるけど、年代的には60〜80年代くらいによくあったらしい。
映画「グラインドハウス」では、タランティーノとロバート・ロドリゲス二人の監督にその辺の映画をコンセプトにして撮ってもらった、ということらしい。「らしい」が多いのは、私が公式ページをきちんと読んでいないからである。

解説のページによると、明日までの公開ではアメリカヴァージョンとして二本立てプラス何本かのニセ映画予告編、という構成。その後の公開では二本立てヴァージョンでカットされていたシーンも入れて「デス・プルーフ in グラインドハウス」、「プラネット・テラー in グラインドハウス」として個別に上映するらしい。

それにしても今回、ニセ予告編も通して見て「やられた!」という印象。これは本来自主映画やマンガ、雑誌企画などの領分であるはずだ。普通、妄想やヨタ話をここまでカネと時間をかけてはやれないからである。それを、ある程度のカネをかけて実力をもった監督が撮ったのだからたまらない。
むしろこういうお祭り的な企画ほどチープなものが多い印象があるから、なんだか「一流の食材によるテリヤキバーガー」を喰ったようなチグハグ感さえ感じた。
こういう企画モノを観て真っ先に思い浮かぶのは、多くのガイナックス仕事かな。本気とお遊び、本歌取りの部分とオリジナリティが同居しているかなり刺激的な内容である。

さて、それではそれぞれの本編について。

・「プラネット・テラー」 監督:ロバート・ロドリゲス
なんとなく自分探しをしている美人ゴーゴーダンサーが、ゾンビに襲われてなんだかんだあるうちに戦わなければならなくなり……という話。

なんと「古いフィルムについたキズ」さえも再現している。アメリカ人はどうだか知らないが、昔中野だの高田馬場だのにあった名画座や、雨に打たれてボロボロになった路上のポスター(昔は、なんだか知らないが映画のポスターを貼る専門のスペースが町中にあった)を想起させる傑作。
なぜかB級作品の再現にはあるまじきお話のとっちらかり方をするので前半少しハラハラしたが、中盤以降は立派な、手に汗握るゾンビ・アクション。ほとんど一発ネタのゴーゴーダンサーの武器、やたら強いダンサーの恋人、ベタな伏線、ベタな自分探し、ベタなロマンス、ベタなラストにダメな映画ファンほど大喜びしてしまうだろう。
「往年のグランドハウスにかかる映画の再現」ということで言えば、たぶん「デス・プルーフ」よりこっちの方が完成度は高い。
その代わり、映画に先進性を求める輩には「単なる過去の再生産ではないか」と思われてしまう危惧はある。
私は大好き。大好きすぎてやばい。

・「デス・プルーフ」 監督:クエンティン・タランティーノ
ビッチでいい女が集まる飲み屋。そこにやってきたチョイ悪な男一人……。カート・ラッセル演じるスタントマンだ。彼が出演した映画を若い女たちはだれも観たことがないが、そのうちの何人かは彼のナイスミドルな魅力にひかれていく。
しかしそこには恐ろしい罠があった……。

まあ「偉大なるバカ映画」という観点からすれば、こちらの方が話題になるだろう。実際、ラストシーンでは観客が拍手喝采!! こんなにも爽快感のある映画を最近観たことがない。

で、その辺はよく言われているところだと思うので半可通ながら別の思ったことを書くと、
タランティーノの、会話やかなりどうでもいいエピソードをえんえんと続けるクセは何なんだろうね?
たとえば本作も「カリフォルニア編」と「メキシコ編」に分かれているんだけど、本来の「グラインドハウス」的なB級映画の、テンポまで再現するなら当然つままれてもいいエピソードが、タランティーノの場合かなり長々と描かれる。

「キル・ビル」が二つに分けての公開になったのも、その辺が理由だろう。そもそもあの映画で中国拳法の修業シーンやゴーゴー夕張の過去など、あそこまでえんえんと描いていいものやら、と思ったものであった。

だからタランティーノというと映画オタクの監督、という印象がすごくあるけど、「お話の持っていき方」、「テンポ」という点は模倣していない。むしろ、本当にオタク監督がオタク的に過去の作品を再現しようとするなら、その「テンポ」が問題となるはずである。えーと、怪獣映画とかはそうではないかもしれないが、少なくともアクション映画はそうなるのではないかと思う。
が、タランティーノの描く映画の時間の流れ方、テンポはかなり独特だ。そして、そのいい意味での冗漫さが、映画にある種の「格調」をもたらしていると言えるのではないか。

そういうわけで、本作もその独特の間の取り方、必要なエピソードを描くための必要な時間の取り方が気になった。う〜んと、要するにタランティーノの映画はオタク的かもしれないが、「過去のものを忠実に再現する」という意味ではオタク的とは言えないのではないかということだ。むしろそこには独自の「間」があって、過去の映画的な遺産をガジェットして用いて、違ったものを構築しているという印象である。

それと、過去のB級映画では単なるお色気要員であったセクシーな女性たちが、むしろ積極的に「戦う女、何かに立ち向かう女」として描かれていることにも注目したい。セクシーなもの、男性向けなものを読み替えて、おそらく女性から観てもそう不自然ではない「戦う女」を描こうとしているのが興味深い。

なお、双方ともアメリカの「グラインドハウス」的ではあるが、タイトルが日本の「名画座」的ではないので、みんなやっているかもしれないが邦題を勝手につけたいと思う。

「プラネット・テラー」は「SF 死霊のマシンガン」ってのはどうだ?
「デス・プルーフ」は「美女殺人 暴走スタントカー」はどうだろう?

「デス・プルーフ」補足

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