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【雑記】S か M か

それってエゴマゾだよな無間地獄
言いたいことはスゴイよくわかるのですが、ポッドキャストの「にじいき」を毎週聞いている私の感想からすると、本田透およびアニメ会の画期的なところは、「痛いのはイヤだ、妄想だけでいい」ってオタク文脈で言いきったことにあると思うんですよね。

これはSMだけではなくて、彼らがよく言う「めんどくさい女属性」っていうことにもつながると思うんですが。
「妄想の中だけでめんどうくさい女を愛でる」というのは、私・新田五郎個人としては、あまりにも現実を無視した話じゃないかと思いますが、ただ、彼らのスタンスとしてはアリだと思います。他にそういうことを言える人って、いませんから。

それと、ネットで見る限り、「奇譚倶楽部」とか「SMマガジン」あたりからのSMファンでも、実践をしない人はけっこういるようです。

「実践派」と「妄想派」というふうに、分けているサイトも見たことがあります(どこだかは忘れてしまいましたが)。

たとえば「女性運動家が軒並み逮捕されて刑務所で調教される警察国家」とか「女性は全員、馬として扱われる惑星」とか、「男が全員マゾで女は女王様の世界」とか、そういうちょっと現実とはかけ離れたタイプの小説をネット上で書いている人は、「妄想派」の人が多いように見受けられます。

想像するに、これは今のオタクが妄想するのとはちょっと違っていて、SMクラブなどに気軽に行けない時代、同好の士を見つけにくい時代、SM雑誌だけで想像力を膨らましていた層がすごく多かった時代からのSMファンなのではないかとは思いますが。
だから、上記で「オタク文脈での妄想のみで言いきったことが画期的」というふうに書いたんですけどね。

リンク先でも疑問が提示されていて、それに関して同感なんですが、
オタク系のSM文脈って、それ以前のSM趣味の人たちとはちょっと違うところがあるらしいんですよね(これもネットで知った知識)。

たとえば、80年代のSMエロマンガって、首輪とかすごくいいかげんに書いてあるんですよ。
きちんと犬の首輪とかを見て書くようになったのって、もうちょっと後じゃないでしょうか。
「奴隷戦士マヤ」のこのどんとも、「本物の首輪って見たことない」みたいなことを自身のHPで書いていた記憶がありますし(今、検索したら消されてるみたいですので、ソースあいまいですが)。

あるいはメイドブームもそうですね。「メイド」って、従来のボンデージとかSM文脈ではちゃんとあるんですよね。具体的に言うとマンガでは柴田昌弘なんかはそっちからの人だと思うんですが、当然「エマ」とかは違いますよね。

SMに限って言えば、オタクと旧来のSMファンって意外と接点が見つけにくいです。たとえばこのどんとが「花と蛇」や「家畜人ヤプー」を読んでるかどうかとか、作品を読むかぎりではぜんぜんわからないんですよね。
まいなぁぼぉい、毛野楊太郎、しのざき嶺、海明寺裕さん、あとコミックフラミンゴに描いていた人々などは、おそらく旧来のSM文脈の影響があるんでしょうけど、見よう見まねで描かれても人気が出ちゃったりしてよくわからない場合もある。

まあ、そもそもが「アニメっぽい絵のエロマンガ」そのものが、それ以前のエロ劇画とは断絶してるんで、やっぱりエロの非・連続性こそオタクとそれ以前のものを分けるネックになるかもしれないですねえ。

つまり、本田透やアニメ会の、「五反田」を象徴するSMとの非・連続性は、オタク史からみると当然、と言えるかもしれないわけで。

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