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【雑記】・おたくVS新人類

もんどり打つ『おたく史観』と『新人類史観』の相克としての『80年代論』論」
なかなか面白いです(リンク先の下の方)。

私、宮沢章夫の80年代論の本はまだ読んでないんですが、言ってることは間違ってないと思います。

(以下は、リンク先の文章とは直接関係ない、私の「連想」です)

ただ、私は最近「新人類」の肩を(わりと)持っています。
たとえば「ピテカンって、いったいどれくらいの人間が関わったのよ?」という批判に対しては、「かかわった人数が少なくても、才能ある彼らがいったいどれくらい他のところに影響したか」みたいなことを書けばそれで済んじゃうわけです(もちろん、次の段階で「どのくらい影響を与えたか」を検証していかないといけないわけですが)。

おたく論にもさまざまな観点があるんですが、大塚英志のおたく論の特徴としては、

・SFファンダムになじみが薄い
・海外モノになじみが薄い
・おたく内センスエリートよりも、草の根的な動きにシンパシーがある

以上をおさえておく必要があります。
逆に言えば、これさえおさえておけば、「おたくの精神史」が正史になるかもしれない、と新人類側が恐れる(?)必要はないんです。

それと、「おたくVS新人類」というのはどんどん話をややこしくするだけで、
実は重要なのは「おたくVSヤンキー」だと私は思ってます。

なぜ「おたくVS新人類」ではややこしくなるのかというと、「おたく」が知的大衆であるのに対し、「新人類」がセンスエリートであるからです。

「大衆VSエリート」というとらえ方をしてしまうと、ポップな領域でエリートに勝ち目があるはずがない。まず絶対数が少ないんだから。
また、大衆論とアンダーグラウンドにおけるセンスエリート主義、というねじれも生じます。

余談ですが、「オタクにおけるセンスエリート主義」とでも言うべきものを80年代に掲げていたのがガイナックスではないかと。そして、もちろん彼らは「エリートではないおたく」もお客さんとして(たぶん)大切に扱っていたわけであり、だからこそ21世紀を迎えられたともいえるんですが。

話を戻します。
まあどうせだれも聞いてくれないと思いつつ何度も書いていますが、おたく論は大衆論、ということを念頭においてから話を始めないと、いつまで経っても「新人類」とのギャップ、ねじれは埋まらないんですよ。
まあ、埋まったからってどうなるものでもないとは思いますけどね。

でも、同じ「うぞうむぞう」、「大衆」という意味では、おたくVSヤンキーというのはまだ意義のある比較ができるのではないかと思うんですよ。
両者が、クラスの「普通の少年少女たち」から多少ズレていたこととも関連させて。

それともうひとつ、現在の「東京」の文化の価値の下落、というのが新人類にとっては痛いところでしょう。
80年代当時の「東京」文化の価値の大きさもコミでないと、そのアンダーグラウンド文化である新人類の状況も理解しにくいです。

たとえば80年代のお笑いのビッグ4、欽ちゃん、たけし、タモリ、さんまのうち二人は生粋の東京芸人、タモリは師匠を持たず、おそらく「東京人」、もしくは「東京的文化」を担った人に見いだされた芸人で、関西芸人はさんましかいない。
お笑いのオーヴァーグラウンドにしても東京勢がこれだけ強かった。

あるいはとんねるずや秋元康の80年代の勢いは、「おれたちが時代の中心にいる」という自負が無ければ成り立たないものでした。東京には「それ以外」のものはほとんど無かった。
彼らが自信満々に言う「ギョーカイ」というのは、それこそ宮沢章夫が「ピテカン人脈」をどうのこうの言うのと、人数的には同じ程度だったのではないか、と勘ぐってます。ただし、権力とか影響力は段違いだったと思うけど。

とんねるずの言う「ギョーカイ」の中心に、まあものすごい決めうちで50人くらいがいたとして、その50人を崇拝する人たちがたぶん何千人、その周囲にさらに何万人という人がいた。
で、その中心にはすごい求心力があったはず。
80年代って、多様化、多様化と言いながら「多様化」を願望にして動いているようなところがあった。だから今の多様化に比べるとまだまだ世界が狭かった。

それが理解できないと、「新人類系」の現在の40代、50代のクリエイターの自信や郷愁の根拠がわからないとは思います。

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