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【アニメ】・「戦国魔神ゴーショーグン」(2)〜(6)(完結)

1981年
原案・構成:首藤剛志

謎のエネルギー「ビムラー」をめぐって、瞬間移動装置を搭載した移動要塞・グッドサンダーと悪の組織ドクーガの攻防を描く。

いやー面白い!! ラストまで興奮しながら観ましたよ。
では、まあ後出しジャンケンになってしまう部分もあるけど、「2007年からみたゴーショーグン」について考えてみたい。

1巻の感想では、「メカとキャラクターが乖離しすぎている」と書いたけど、最終的にケン太少年の「メカを友達だと思っている」という設定が活かされているのには感心。

で、全体の構成を見てみると、ややうがった見方ではあるが、「70年代的なドラマに、80年代前半的なラストがくっついている」という印象だ。
真吾、キリー、レミーそれぞれの過去ばなしはいかにもな70年代アクションの雰囲気を醸し出しているのに対し、博士の忘れがたみであるケン太が「覚醒」していくラストは、これはまあはっきり言って「未知との遭遇」ですよね(「未知との遭遇」は、77年。78年に日本公開)。
一種のニュータイプが地球を救うというプロットはこの時期「ガンダム」を代表格として、いくつかつくられていると思う。「未知との遭遇」で選ばれる男がとりたてて何もできない普通の人間であるのに対し、「ガンダム」やこの「ゴーショーグン」は、「上位存在に選ばれる」理由を全編にわたって付けていく展開、とも言える。
まあこの辺は、「未知との遭遇」が飛びすぎているとも言えると思うんだけど。

この「超人類の誕生によって人類全体が導かれていく」という発想は、ちょっと詳細なオカルト史としては浅学にして知らないんだけど、ポップ・カルチャーとして先進性を持ち得たのは80年代半ばまでなんじゃないかと思う。そういえば、小説版の「幻魔大戦」もそんな内容だった。
これが、80年代後半からバブル崩壊くらいまでは、まだ物語としては生きているんだけどどこか「ああ、ねえ」っていうところがあって、一方でオウムなんかが醸成されていくわけです。

この辺の残滓というか、最後の世代が95年の「エヴァンゲリオン」という見方もできる。「セカンドインパクト以降に生まれた子供が搭乗者」というのに「新世代」のイメージがあるから。
でも、テレビ版ではそれが輝かしい未来を提示するというよりはどんどん内省に向かっていくという点で、「子供たちが世界を救う」というイメージを徹底的に壊したと言えなくもない。

首藤剛志自身はその後も同じことをやっていくのかもしれないけど、今見ると「ゴーショーグン」の会話の軽妙さというのは、自分はどうしても「70年代に何かが終わった後の、あきらめもあるけど前向きにやっていこうよ」みたいなふうに感じられてしまう。
同時代だと松田優作の「探偵物語」とかね。「探偵物語」の工藤って、たぶんぜったい過去にすごい悲しいことがあって、ああやって軽くふるまっていると思うんだよ。実際、グッドサンダー乗組員には全員、暗い過去があることがわかるんだけど。

SF的設定としては、「どうして闇の世界に深く入り込んでいるドクーガが、軍事的に地球を侵略しなければならないのか」っていう理由がはっきりしないとか、雑駁なところはいろいろある。けれども、それはいい意味で作品に作用している。
これが10年経つと、ここまで大胆な設定というのはたぶんSF仕立てでは無理になっただろうし、「世界全体」の掌握の仕方も、まあ81年という時代じゃないと(具体的に言えば冷戦下じゃないと)成立しにくいとも言える。
「ゴーショーグン」は21世紀の物語として、「ドクーガ」を除いては米ソのような対立はないように描かれている。が、世界全体としては「冷戦下の単純化された世界観」のうえに成り立っているはずだ。

逆に言えば「エヴァンゲリオン」の時代には、世界はなぜか把握しにくいまでにブラックボックスが多い状態になっている。時期を前後してオウム事件が起こり、「不可視の敵がある日とつぜん襲いかかってくる」というイメージを人々に植え付けた。
さらにその後、911の同時多発テロ事件が、「世界は簡単に把握できるものではない」ことを明らかにする。

「ゴーショーグン」の世界は、そうなる前の一種のユートピアなのである。

そもそも、「21世紀(作品発表時から未来)の世界各国を描く」ということも、現状ではそうとうむずかしいはずだ。

「市井の人々の反乱」によって物語が終わっている点も、現在では見られない部分だ。
「ゴーショーグン」は、子供(ケン太)、女性、孤児、死者(ケン太の父)、動物(1回だけ出てきた超能力を持ったネコ)、未亡人(「さらば青春の日々」に出てきた)、そしてケルナグールに毎回八つ当たりで殴られていたロボット・ケルーナ、さらに名もないメカたちといった弱者が強者に勝利する物語であるとも言える。
随所に伏線としてそういう構図が用意されているから、見ていてとてもカタルシスがある。

もうひとつ、「80年代半ば的」ということで言えば、今で言う「キャラ萌え」と「パロディ」に対する評価が強調された点がある。
実際、グッドサンダーのメンバーよりもドクーガの三幹部の方が人気があったらしいし。
それまでの作品と違い、おそらく送り手が「キャラ萌え」と「パロディ」を意識していた、という点でも、80年代半ば的なのだ。
これが80年代後半になると、完全に「狙った」作品が登場することになり、「極端にくずしたナレーション」なども当たり前になってしまうのだ。

……とまあ、25年くらい経った今観た感想はそんなところである。
その後、映画にもなったそうだしノベライズも何冊か出ているが、「ゴーショーグン」という作品は「語られやすい/語られにくい」という二元論で行くとかなり微妙な位置にある作品である。
「美形キャラ」を語る際は、「コン・バトラーV」のガルーダやもうちょっと前なら「ガッチャマン」などのタツノコ系が出てくるし、80年代的なパロディを語る際はまた別の作品が例に出される(たとえば「ミンキーモモ」とか)。
70年代と80年代半ばのちょうどいろんな意味での中間的存在、と私は考えるけれどどんなもんでしょうかね。

ビデオ1巻の感想

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