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【アニメ】・「強殖装甲ガイバー」(1986年版)

1986年

監督:渡辺浩
脚本:伊武紋太

ごく普通の少年が、謎の組織「クロノス」から逃亡した「獣化兵」の「モルモット」により持ち去られた「ガイバー」のユニットによって、超人的な力を身に着けてしまう。そして、そのために友人や周囲の人間が次々と殺されてゆく……。
少年は、戦いを決意する。

「ガイバー」、何度もアニメ化され、なおかつそのたびに最初からやり直している印象があるのでこんがらがって手を出さないでいたが、ウィキペディアで製作順序を確認してから視聴。

アニメとしての出来はまあまあ。「戦いはこれからだ!」みたいな感じで終わっているのも仕方のないところだろう。
以下はたわごとなので、忙しい人は回避を推奨する。

「ガイバー」という作品は、1985年から現在まで連載が続いている。実は私はかなり初期に追いかけるのをやめてしまっているので、最近の話は置いておく。あくまで80年代当時の時代との関係について考えてみたい。
ちなみに最初は「少年キャプテン」連載であった。

本作と似たようなプロットの作品として、荒木飛呂彦の「バオー来訪者」がある。こちらは84〜85年の連載。
特撮もの、さらに古いタイプであった「抜け忍もの」とでもいうべきジャンル(組織から抜け出してきた忍者が追ってくる敵と戦う)を80年代も半ばに再現したという点で、両者は共通している。

どちらかというとマイナー路線である「少年キャプテン」に先んじて、少年ジャンプが「バオー」を連載していたことになる。
これは、当時のマンガシーンのカオス状態、あるいは少年ジャンプの先見性、またあるいは「生体兵器的な表現」が80年代を通じて当然のものとなってゆくことの証左でもある。
「ガイバー」と 「バオー」の連載時期の若干の差はあまり問題ではないように思われる。ただ、時代がそのような物語を要請していたのだと思う。

80年代当時は、まだ「巨悪」が物語の中で生きている時代だった。オカルト的陰謀論を含みながら、「裏で世界を操る組織」にリアリティがあり、なおかつそれは超人的な力をもった少年によって倒される運命にあった。
先に「抜け忍もの」と書いたが、ウィキペディアによると「ガイバー」の基本コンセプトは「グロテスクな仮面ライダー」であり、「仮面ライダー」の基本プロットはたぶん「サイボーグ009」であり、「009」とは「抜け忍もの」のSF版とでもいったものだった。

つまり、この手のパターンは「仮面ライダー」の頃から20年近くも有効だったということである。
もうひとつ特筆すべきは、「ガイバー」というユニットは一種の生体兵器であり、敵の獣化兵もそうだということである。80年代にもメカっぽいサイボーグなどは存在したが、やはりトレンドはバイオチックな設定と造形であった。
この辺はレンタルビデオブームにともなうスプラッタ・ムービーの影響もあるだろうし、たとえば小松崎茂のSFイラストからガッチャマン、そして初期の宇宙戦艦ヤマトあたりまで存在した「重工業的なSF兵器」が古くさく感じられていた時代でもあった。
まあ正確に言えば、「ザブングル」とか「ダグラム」は多少その辺の趣を残してはいたが。

それともうひとつは「少年が巨悪と戦う」という図式である。
これは「オカルト陰謀論的な謎の組織」と呼応するものであるが、なぜか80年代にはこの手のパターンが多い。
テレビ版の「スケバン刑事」などもそうだった。初期の「北斗の拳」も多少、そんな傾向がみられる。

エンタテインメントの世界では、70年代半ばあたりから「敵」のイメージをいったん失ったかのように思えるが、現在ほど深刻な問題(だと私が思っているだけだが)ではなく、その次の段階でまるでRPGの魔王のような「巨悪」が立ち上がってくるのである。
これがどうしてなのかは私にはまだいちがいに言えないが、仮説としては、

・70年代にも定型パターンであった「善VS悪」の図式が、80年代に入ってよりカリカチュアライズされたかたちで生き残った
・冷戦下の無風状態の中で、「いつまでもこんなに平和であるわけがない、いつか巨大なカタストロフが起こるに違いない」という漠然とした危機感が送り手にも受け手にもあり、巨大な「敵」として描かれた
・70年代半ばの政治の季節が終わっても、さまざまな場面で「個VS組織」という図式での問題が残り続けた

……というようなことがあげられる。
まあ、「70年代半ばで政治の季節が終わった」と言ってはみても、「ガンダム」だって「ダグラム」だって、かなりむき出しの「政治の物語」だと言えなくはないので、80年代っつったらみんながみんな、必ずしもヘンタイよいこでおいしい生活で「軽チャー」でわーいわーい、というわけではないことは確かである。

以上が、自分のためのメモ書き。

80年代の「ガイバー」というと、やはり「バオー」と違うのは「仮面ライダーの基本コンセプトがあった」ということからもわかるようなそのオタク性だろう。
荒木飛呂彦は、あくまでもバタ臭いのである。荒木飛呂彦はオタクに好まれるマンガ家だが、「日本的オタクにとってのおとしどころ」を意識して物語をつくることは滅多にないと言っていいだろう。
むしろ荒木飛呂彦のすごさは、「いっさいのオタク的ベタを使わずに、オタクに支持されている」というところである。
しかし、それは荒木飛呂彦のすごさもあるだろうが、逆に言えば荒木飛呂彦が用いてきた「翻訳のサスペンス小説」的であったり、「ハリウッド映画」的であったりといった要素と「オタク」とをあまりにも切り離して考えたらまずい、という教訓がそこにあるとも言えるだろう。
海外モノにアンテナを張っている人にとっては言わずもがななんだろうが、何かと「日本オタクの独自性」ばかりが強調されている気もするのでちょっと書いてみた。

閑話休題。
「ガイバー」のシルエットが何となくウルトラマンっぽいことや(というか何年か前に映画でやったオリジナルのウルトラマンは逆に「ガイバー」っぽかった)、「獣化兵」の特撮映画を思わせる怪獣っぽさ、いい意味での初期設定の単純さが、本作の魅力であると思うわけである。

その後どういう展開になったか知りませんけどね。「エヴァ」みたいに変なことになってたら、どうしよう。

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