・「無意味ブログ入門」第4回「最終回の前に:無意味ブログの意味」
まあ最終回にするのは簡単なんですが、思いついたことがあるので書きますよ。
お笑いにくわしいライターの吉村智樹さんが、どこかに「漫才というのは、どんどん解体させていく芸。最後に『もうええわ!』で終わるのは、解体し続けることに終止符を打つ、みたいなことなのかもしれない」と書いておられました(あくまで大意。違っていたらすいません)。
「無意味ブログ」ってのは、似たような考えで書かれます。決まりきったテキストをいかに解体させるか、から始まるんですよね。
逆に「物語」、「小説」っていうのは「いかに作り込んでいくか」というところから出発している。もちろん、どんどん解体していくような小説もありますが、自分はそういうタイプの小説の構造を、まだきちんと解析できていない。
物語が完全に解体しきったら物語の体をなさくなってしまうはず。
そうならないのは、物語を物語たらしめる単純な骨組みが通っているか、あるいは物語の進行に合わせて解体と構築を繰り返すという非常にアクロバティックなことが必要になってくる。
私が「小説が書けない」と嘆くのはその辺に理由がありそうである。
「無意味ブログ入門」は、当初「書き出しから結末まで」という観点から無意味なブログを書こうとする試みだったが、別の観点からみると、
「決まりきった文章をいかに解体させるか」を考えると無意味に到達する、ということも言えるのである。
言えるから何だって言われると、知らないんだけどね。
シラナインダケドネー。
ホッタイモイジクルナー。
ワタシニデンワシテクダサイ ドゾヨロシクー(古い)
古い! 古すぎる!
泣けた
みんなが未来を見ているというのに……。
それなのにおれは何だ!?
わかーんなーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!!!!!!!!!!!!!
……とまあ、こんなふうにしてどんどん形式を解体しても、ブログ的なテキストというのは何とかカッコがつくものなのではある(そう思ってない人間もいるかもしれないけど、そんなやつのことは知らん)。
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