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・「エイケン」(7)〜(18)(完結) 松山せいじ(2002〜2004、秋田書店)

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雨ふりだからエイケン部の話をしよう……ということで「エイケン」の話。
週刊少年チャンピオン連載のこの作品、小萌の「うどんふみ」でゲラゲラ笑ってたのがもう5年も前の話とは……。時の流れの速さは恐ろしいですな。

実はリアルタイムでは単行本の7巻あたりで飽きてしまい、ずっとほっぽっていたのだが「フリークス的萌えマンガ」とも言うべき本作がどういう流れで結末を迎えたのか、それと「エイケン」という言葉の意味が何だったのか、知りたくて最後まで読んだ。
リアルタイムの私の感想は、6巻あたりまでここらあたりを読んでもらうとして、7巻以降について書こうと思う。

・第1部
6巻あたりの感想でも、自分はメインヒロイン・ちはるをおびやかす存在として登場したちはるの妹で積極的少女・小百合と、ちはるのいとこ・美八留はいらないと思っていたのだが、けっきょくその後の展開はこれら後発キャラが中心になった。
要するに、さすがに変わったものが大好きなチャンピオン読者も穏当なラブコメ的展開を取ったということだ。

伝助とちはるのエピソードも、二人でデートするのしないのといった話が多くなり、他の後発キャラも伝助とデートするのしないといった話が多くなり、最終的には伝助がデートするのしないのといった話が多くなった。
散発的に変な話も入ってくるが、あくまでも本道であるラブコメの箸休め的展開だったのではないかと思う。
まあ作者の作家としての定着、ということで言えば、それはたぶん大正解だったのだろう。それは現在でも彼が連載を持っている作家であることが証明している。

・第2部
7巻以降、本作が「ぶっとんだ学園もの」であることを示すようなエピソードもいくつかあることはある。エイケン部をつぶそうとする生徒会かなんかの女の子が登場し彼女と戦う話と、
ラスト近くの、学園を乗っ取ってちはるをアイドルにしようとする女性凄腕経営者が登場する話がそれだ。
たぶん、昨今の「萌え」批評だと、このあたりは「ラブコメ王道作品として軌道に乗った本作が変化を付けるためのもの」とか「永遠に続く設定にとりあえずの結末を付けるためだけのもの」という評価になるのではないか。

「萌え」観点の批評というのは、ストーリーよりもキャラ設定を重視するから。

しかし、自分はこれらのエピソードは作者のいい意味での古さを表していると思う。
というのは、どちらも「頭ごなしに何かを押しつけてくる強い権力との戦い」ということになっていて、
これは「自分のやりたいことをやりたいようにやる」というポリシーなきポリシーを持っている「エイケン部」の存在ともきちんとリンクするからである。
まあ多分に類型的な話ではあるんだが、「類型だから」こういう話を描いているわけではないだろう。作者の中には「自分のやりたいことをやるべき/押しつけられたことには従うべきではない」というポリシーがあるはずだ。

たとえば、ラブコメ部分でも伝助が「自分らしさ」を出したり相手に「自分らしさを出せばうまくいく」と言ってそのとおりになるというエピソードが多い。それは「女の子とつきあうときに何らかのハードルを乗り越えなければならない」とするラブコメよりは一世代前の考え方である(自分は、それが悪いとは思わないが)。
まあその考えで行くと、「ハードルをどう越えるか」という面白味がメインの「電車男」はきわめて今日的なテーマを含んでいると思うんですけどね。

こういう作品が武闘派のチャンピオンに載ったというのも、まったく唐突な話ではなかったのだなと今にして思ったりする。

・第3部
「押しつけられたことに従うのではなく、自分の気持ちに正直に生きる」というエイケン部の(たぶん)ポリシーを体現しているのが裏主役とも言える御園霧香。大女で巨乳で、豪快で伝助を振り回すキャラクターである。
こういう「謎めいた、世間の常識にとらわれない人物」が主人公に影響を与えるというのもけっこう昔からある設定だ。
まあ具体的にどれがどうとか言えないんだが……。たとえば梶原一騎が描く、一般常識からははずれて孤独に生きるヒーローと、造形はぜんぜん違うが立場は近い。
あと異論があると思うけど「忍者武芸帳」の影丸とか、バイオレンス・ジャックとか、そういう一般人とは違う常識のところで生きているアウトローの、直系の子孫なんですよ本当に!

それは生徒会かなんかとの対決で、一人だけ「理事会」(学園の真の意味での権力を握っている人々)の不正を暴きに行ったという霧香の役割からも言える。

アウトロータイプのキャラクターというのは、80年代に入って世の中が落ち着いてから急速に居場所がなくなり目立った存在ではなくなっていく。
たとえば「究極超人あ〜る」の横暴な先輩たちが明確な目的から(ポリシーとして)逃走していたり、アニメ「うる星やつら」のメガネが歯がみしながら「絶対得られない存在」としてのラムちゃんを追い続けたり、というのは、「主人公以外の、一般常識外の基準で動くキャラクター」がどういうふうに生き残っていったかという事例であり、その系譜に霧香がいると思うんだけど、まあ「はぁ!?」って思う人も多いだろうねこの辺については。

自分もその辺、説得力に自信がありません。

で、「エイケン」というタイトルの意味はけっきょく本編ではふれられることはなかった。
連載は生き物だから、読者の反応からすればそれでよかったのかもしれないし、エイケン部そのものが「なんだかわからない部」という設定だからそんなに無理が生じたわけでもない。

しかし、単行本あとがきで書かれた「エイケン」の、連載当初に構想されていた設定にビックリ!!

これは知らない人は読んだ方がいいですよ。
というのは、完全な憶測・勘ぐりの域を出ないんだけどもともとの霧香の設定というのは、作者の中に残っていた70年代劇画の記憶を、それ以降の浮ついたラブコメと結びつけようとしたものだったのではないかと思えるから。
まあ、エロゲーなどにまったくそういう作品がないとは言いきれないし、佐藤友哉の小説のメチャクチャさなどを思い起こすとそれも「時代」なのかもしれないけど、この作者のテーマの「古さ」を考えると思考過程としてまあ自分の考えていることも間違いではないんじゃないかな、と。

あ、でもむしろオタク系作品におけるヴァンパイアの多さと関係してくるのかな。今ちょっと思ったけど(じゃあ今まで書いてきたことは何だったんだ)。

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