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【雑記】・「『教養』を自分のもの」にするという行為

このエントリ、「あえてリンクしない」って書いたのにどこのテキストについて書いたのか見破られて、2、3、リンクされてしまった(笑)。
まあそれはそれでいいし、知り合いなどを覗いて上記の自分の書いたテキストに対する感想などは読んでない。

今度は、「リンクしなかった先(SF者がラノベに勝手なこと言うな、って言っていた人)」を勝手にフォローしてみようと思う。

どうも、「教養」というのは「これはおれのものだ、おれたちのものだ」という意識がないと育たないらしいんだよね。

「教養」というのは、なぜそれを覚えなければ、体得しなければいけないのかに本質的な意味なんてない。アフリカのどっかの部族で「どこそこの大岩を持ち上げないと大人と認められない」とか言われても、それはそう決まっているんだから仕方がない。
メインカルチャー(「大岩を持ち上げる」っていう場合でも、メインカルチャーって言ってもいいんだろうなァ)でこうなんだから、「自分で選択する」というイメージの強い広義のサブカルチャーに至ってはなおさら「それ」をやる理由というのは、無いというか、あっても「みんながやってるから」とかそんなものだろう。

だが、広義のサブカルチャーが大きく飛躍するには、それをやっている者の側に「これはおれたちのものだ、そしてそれが何かを変えるのだ」っていう意識がないと、うまく発展しないという面はあると思う。
(あまりに囲い込みすぎても衰退すると思うのだが、それはまた別の話。)

で、今現在、若者が何を「おれたちのもの」だと認識しているかというと、そのひとつが「ラノベ」というカテゴリかもしれない、っていうことだ。
それは認識してあげてもいいんじゃないかと思う(毎度まいど、上から目線で申し訳ないけど)。

かつての「SF」には確実にそういう機運があったし、マンガやアニメもそうだった。「おれたちが担ってるんだ」っていう意識がないと、発展しない。「だれかが既得権を握ってて私らそれにおこぼれをあずからせてもらってますウヘヘ」という状態で盛り上がったサブカルチャーのジャンルなんて、聞いたことがないしね。

それと、前のエントリでミステリについて思い出していたんだけど、ミステリで似たようなことがあったとすれば15年くらい前の「新本格ブーム」だね。
まあ自分はもはやミステリのことはひとつもわからなくなっているけど、私は「新本格」っていう意気込みは好きだったし、あれも現代のミステリというものを、過去の古典的名作の形式を自分たちが継いで未来につないでいくという自負があってこそ成り立っていたものだった。

アニメ・ゲーム関係で近年のことと言ったら「萌え」だよね。「萌え」は、かつてのオタクたちにも確実にあった感覚だけど、年代的にはオタク第二世代〜第三世代が、「オタク」というものを「自分たちのものだ」と宣言するために強調した概念だという気がする(もちろんそれだけじゃないんだろうけど)。

この「特定の表現形式とかジャンルといったものを自分たちのものだと宣言するための何か」っていうのは、必ずどんなジャンルにもあるし、どんな世代にもある。

ただそれを歴史的な流れにそって見る、ということの必要性が極端に失われている(リンクしなかった先の人は、「SF」に噛みつくということはむしろ歴史意識を持っているとも言えるけど)。

でも、これもヒトのことは言えない。一部の特濃オタク(日本に100人くらいしかいない)を覗けば、少なくとも80年代後半からのオタク文化というのは、過去のいろいろなもののくびきから逃れようとしたと言えなくもないからだ。
より正確に書くと、「過去からの連続性を理解しているオタクとそうでないオタク」がいた。
これは間違ってないと思う。というのは、「オタク」が新興文化である以上、「オタク」という特別な呼称ができたのであって、新興文化は必ず過去の歴史に対して排他的な面を持つからだ。

とまあ、そういうことも思ったりする。

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