【映画】・「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」
監督:馬場康夫
脚本:君塚良一
数年後に日本は破産するーー恐ろしい結論をはじき出した財務省の下川路(阿部寛)は、1990年の政府のなんちゃらかんちゃらという政策がバブル崩壊、ひいては現在の不景気につながっていると確信。偶然発明された洗濯機式のタイムマシンに発明者・真理子(薬師丸ひろ子)の娘である真弓(広末涼子)を乗せて、90年の政策発表を阻止することによって現在を変えようとするが……。
さー、バブルをいちおう経験したおっさんの私が来たよ! 面白かったです。感想書くこといっぱいあるなあ。
以下、ネタバレ全開で。
・その1
まずこの映画に興味があったのは、「バブルを良かったととらえているのか、悪かったととらえているのか」ってことだった。これが結論から言うと、うまいことよくわからないように描いている。
札びら見せびらかしてタクシーを止めるとか(実際にそんなシーン、観たことないけどね)、そんなの普通、観客だって「おかしい」って思うわけで、その辺は「足下を見つめていれば、もう一度バブルが来てもうまくやれるんじゃないか」みたいな「第三のレールがある」といった印象で終わっている。
そこがすごくうまい。
バブルを経験していない真弓にとってはタイムトラベルで行った1990年に起きたことはちょっとした冒険でしかなく、90年当時の下川路にとっては自分の未来を見直し、足下を見つめる契機となってる。二重構造になってるから、そんなに「あれぇ?」っていう感じにはならないんだよね。
そして最終的なおとしどころは「家族の大切さ」。
最近、この辺のことに自分は注目してるんだ……いったいどこまで「家族の大切さ」が「鉄板」のおとしどころとして通用するのか? ってコトに。
たぶんこの映画を観た若い人……二十代後半くらいまでの人にとっては、しらじらしく感じられるんじゃないでしょうか。現状では三十代半ばのベビーブーム世代と、そのもうちょっと下の二十代後半くらいの世代でこのあたり「断絶」があるんじゃないかと、漠然とにらんでます。
それよりさらに上の世代の私にとっては、「そりゃそうしないとお話が終わらないでしょ」という意味では「家族」がおとしどころでもぜんぜんアリです。
・その2
まあホイチョイのデートムービー(若い人が本当にデートでコレを見ようと思うかどうかは知らん)なんで、マジメなこと言ってもしょうがないとは思うんだけどコレだけは言わせてほしい。
たぶん、「バブル」って知らない世代にとってはウザいだけだと思うんですよ。ただ、90年頃というのは、どんなに小さな恩恵にしても(タクシー券をバンバンもらえるとか)、当時の働き盛りの世代というのは、「日本が戦後の焼け跡から復興した、その延長線上での恩恵」というふうにとらえていたと思う。
実は経済学的なことはよく知らないんですがね、少なくとも高度成長期とその後の低成長時代がないと、「バブル」ってのが上に乗っからなかったと思うんだよね。たとえ経済学的にそうではなくても「史観」としてはそうなる。
んだから「バブル」というと、イメージ的にはだれもが金に狂ってたみたいに思うけどそうではなくて、「日本の戦後復興」という「物語」の帰結、という考えがあったと思う。「とうとうこういう時代が来た!」というような。
まあこれは主に、チョクで恩恵をこうむっていない人たちの感覚だとは思うけど。
ただ「チョクで恩恵をこうむっていない」ということと「恩恵をこうむっていない」ということは違うからね。その辺、現在そらっとぼけてる人もいるよね。
・その3
あと、自分で思ったのは「文化的な恩恵は、本当に、まったく、ひとつも受けてないなあ、おれ」ということ。
経済的とか気分的には恩恵は受けましたよそれは。今の格差社会の問題点というのは「先が見えない」ということで、「そのうち何とかなる」と思えていただけでも恩恵は恩恵だからね。
そしてまた、「ここまでのことはいつまでも続かないだろう」とは当時、みんな思ってたしね。
でも、本当に文化的なことには恩恵受けてないんだ私。
……っつーか、これははっきり言えると思うけど、バブルの時代の若者文化って大ざっぱに言って「おしゃれか、おしゃれじゃないやつ」の二極しかなかった。
映画の中に出てくる、一流銀行に就職が決まった学生(劇団ひとり)の遊び方……あれが完全にすべてで、文化的なオーヴァーグラウンドとアンダーグラウンドの差は、現在とは比較にならないくらい激しかった記憶がある。
だからまあ、今の人もいろいろ大変だとは思うけど(おれも大変だけど(笑))いまどきの「非モテ」なんて泣き言にしか思えん。あ、なんかいろいろ思い出してきた(笑)。
だって本当に何もなかったからね。「おしゃれ」な場では、ださい人間は透明人間だとして「認識されない」か、もっとも被差別的な人間としてとらえられたから(だから、その逆ベクトルで突っ走って価値観を保持したのが、「ナゴム」とかのアングラバンド群やゼネプロ〜ガイナックスだったんじゃないかな。実はガイナックスの方は当時よく知らないんだけど)。
チェスタトンの短編で、「郵便局員は人間だとは見なされないから見過ごした」って有名なのがあるでしょ。あれとおんなじ。「おしゃれな何か」に乗っていないと、「いない人間」、「みえない人間」だったんだよねえ。しみじみ思い出したわ。
イカ天〜紅白出場、なんていうのはちょっと「珍獣」的な扱いであって、それもバックボーンがまったく理解されてないから少し前のレイザーラモンHGより「珍獣」度は高かったと思う。さすがに今は、HGが吉本の漫才師だくらいのことはみんな知ってるけど、当時「たま」がどこでどうやってああいうふうになったのかとか、理解している人そんなにいなかったと思うもの。
「ださい人間」、「それほどおしゃれじゃない人間」は、しょうがないのでそれなりの「場」を探して活動するしかなかった。しかし今考えると「オタク」はおろか、「渋谷系」とか「クラブ(踊る方のクラブ)」や、そういう選択肢も無かったか、あるいはおっそろしくアンダーグラウンドにとらえられてたから、そりゃ居場所を見つけるのが苦手な人間にとってはこれほど居心地の悪い時代もなかったなあ。
インターネットがあるわけでもなかったから。仲間を集めるとか居場所を見つけるということに関しては、今よりみんなずっと必死だったかもしれん。
・その4
映画の話に戻る。
広末がエロかった。私は広末直撃世代ではないが、広末のエロさはすごかった。もちろん、現状の広末が観客の中の「直撃世代」にあてがわれたものであり、直撃世代にとっては「往年の広末はあんなものじゃなかった」と言うことになるのかもしれない。
しかし、「簡単に男にだまされ、先行きも見えないままタラタラとキャバクラ嬢をやってる」というキャラクターに激ハマリ。またクダラナイことにいちいち驚く役をやらせたら天下一品だな!!
フェチ的なことを言えば、この子、目の瞳の部分の色が薄いよね。だから神秘的に見える。
それと、「90年代のディスコのダンスみたいのを踊るシーンで、興が乗った広末のダンスがあまりにエロいので90年代の学生が引いてしまう」というシーンがあるが、ああいうダンスってみんなどこで踊ってんの? 今のクラブに行くとあんな感じなの? あれがよくわかんなかった。
後藤真希はよくああいうダンス、ステージでしてるけどね。
あと吹石一恵とかもなかなか良かったのだがこれ以上ダラダラ書いてもしょうがないので、これで終わりにします。
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