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【書籍】・「偽書『東日流外三郡誌』事件」 斎藤光政(2006、新人物往来社)

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分量的には「戦後最大の偽書」と呼ばれた「東日流外三郡誌」について追い続けた新聞記者が、その真偽論争とそれにともなう騒動の顛末を追った実録本。

「東日流外三郡誌」とは、古代の東北に「まつろわぬ民」としての東北人の王国があり、それについて江戸時代の人物二人が全国を回って調査した結果を記した本であり、その写本が現存する、と主張されていたが実は「偽書」である(ややこしいが)。
高橋克彦の「竜の棺」で確か大々的に取り上げられており、記憶している人もいるかもしれない。
いわゆる「トンデモ本」なのだが、この「東日流外三郡誌」の事件の経過というのが滅法面白く、「東日流外三郡誌」を題材にしたトンデモ本も出ているが、批判本もたくさん出ている。

いわゆる「古史古伝」というのは「東日流外三郡誌」以外にもいくつかあるが、いまだに書店でもけっこう関連書籍が手に入るという点ではいまだにホットな存在だと言える。
それだけ、歴史ファンの興味も強いのだと思われる。

本書から読まれる場合は、82ページに書いてある「東日流外三郡誌」の内容を簡単にまとめた部分から先に読むとよいだろう。

学者や郷土史家の批判本は何冊か読んだが、本書は新聞記者としての立場だから、視点が類書とは多少違っている点が興味深い。逆に言えば、偽書の真偽論争で新聞記事になりうる事件が多々起こっているという点からも、「東日流外三郡誌」に関するエピソードの豊富さ(?)がわかると思う。

もっとも、過去の類書にはない、決定的な新事実というのがほとんどなかったのは多少残念なところかもしれない。
それでも、「東日流外三郡誌」の「所有者」(実際には執筆者と言われる)の和田氏が亡くなったときの状況、「東日流外三郡誌」などの古文書が大量に隠されていると言われた和田氏の自宅への訪問などの話にはいろいろと考えさせられるものがある。
「偽書」というものの性質上、実作者と思われる和田氏自身がどういう人間だったかを描くのはなかなか微妙な問題だっただろう。しかしギリギリまでそこにせまっていた点は、買えると感じた。

本書の終盤近くにも中国の学者の意見としてあがっていたが、偽書の真偽論争が、学者以外の人々をも巻き込んで起こる、というのは日本人の知的レベルの高さを物語ることではあるだろう。「金満国家」的な表現もあったが、そう書いてしまっては地元の郷土史家の方々などがかわいそうである。
たとえば霊感商法などに引っかかるのは無知な人々だが、古史古伝、偽書などの場合はある程度知識のある人間、知識欲のある人々が狙われ、まただまされる。
個人的には「インテリ」と「一般人」との間に「知的大衆」とでも言うべき層が存在し、そのあり方とは何か、を考えさせられる事件でもあると思うのだ。

たとえば「知識人」の生き方、ノブレス・オブリージュというものは過去にあった。あるいは学者ではない一般人としての生き方、生きる指針、知恵といったものも過去にあるかもしれない。
しかし、その中間点にあたる人々がどう生きるべきかはなかなかむずかしい問題なのである。

当の和田氏にしても、「知識がない」、「知識がある」と正反対の意見が見られる。
学者にとっては知識がない半可通の人間にすぎず、青年時代を知っている近所の人などは「なんでもすぐ覚えた、わりと頭のいい人」といったニュアンスになる。
このあたりの微妙な評価というのは興味深い。そんな感じだからこそ「本当に和田さんが『東日流外三郡誌』を書いているのか、書けるのか」という論争にもなったのだろう。

天才でもなく、かといって「学問的な知識」を投げ打って生きる自信もない人が生きていくことのむずかしさを、一連の事件は表しているような気がする。

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