【鑑賞せずに感想】・「ヨイコノミライ」のネット書評をあちこちで読んで
私、この作品読んでません。ひどいやつです。
いろいろと「作品に、何らかの感想を言う、書く」ということを趣味で始めて以来、「作品そのものを鑑賞しないで感想を言う」という人間を見てきました。
私はそういう人間を唾棄すべき存在だと考え、「それだけはすまい」と思ってきました。
だから、クソだと予想はついたのに「ゲド戦記」を見に行った。
シュミでも何でもない刃森尊のマンガも読んだ。
この「たぶん自分のシュミではない、あるいは面白いと思えないものを鑑賞する」という行為は、
鑑賞者としての誠実さであり、プライドであると同時に、
「何かとてつもなく間違ったことをしている」と思えることでもありました。
まあ、そのことについてはいずれ書くかもしれないし、書かないかもしれない。
で、本題。
「オタクの痛いところをついてくる」、「自分ではものをつくらないのに偉そうなことばかり言っている人間を批判している」というような感想をいくつか目にしました。
で、思ったのは「オタクっていいもんだよね」という言説の後に、この作品が来て、そういう感想が来ているということ。
当然「オタクっていいもんだよね」の前には「オタクってひどいもんだよね」という言説があり、さらにその前には「サブ・カルチャーっていいもんだよね」という言説があった。
さらにその前には「サブ・カルチャー(とカテゴライズされないにしても)ってひどいもんだよね」という言説があった。
それの繰り返しじゃないですか。
まあ広義のサブカル論となるとまたいろいろと枝分かれしていきますが、およそこのような変な波が繰り返しやってくる、というのは、ロック好きであるとかヤンキーであるとか、あるいは体育会系であるとかいった、ある種の「生き方」で自分を律して生きている「人種」としてはあり得ないことです。
そりゃ「ヤンキーっていいよね」とか「ロックは死んだ」とかそういう言説はありえますが、何かの風潮が支配的になり、それがすぐさまひっくり返され……っていうことは他ジャンルではそんなにないんじゃないでしょうか。
個人的には、それにすごくいらだちます。
それだけパッパカパッパカ変わるということは、そもそも「問い」の立て方が間違っているんじゃないか? と、そろそろ考えた方がいいと思います。
それと、これも繰り返しいろいろと言ったり書いたりしてきてだれにも相手にされてきませんでしたが、
とにかく「オタク論」というのは、それ自体が膨大にあるわりには言説の積み重ねというのがほとんどありません。
その意味では、オカルトとか超科学にまつわる言説にも似てます。
これは、
・自分の体験から語りやすいこと
・歴史の流れから切り離された「特別な存在」として無意識に見なされている
ということから起こる問題だと思っています。
また、これらは不思議とオカルトや超科学と似ています。
「幽霊を見た」とか「UFOを見た」ということは、自分の体験だから知識なんか無くても語れると思われがちだし、
UFOは戦後的な存在だと思われていましたし、その他のオカルトもあえて戦後アメリカ的な雰囲気をフィルターとして通して日本に輸入されたりしたこともあって、常に「新しい」という外見を持って表れてくる、ということも、「オタク論」と似ているんです。
現在、やっと戦前〜戦後〜現在という通史として、UFOを語る本が出版されていますが(オカルトに関しては昔からあったとは思うけど、通史的な部分が忘れられがちなのは事実)、
「オタク」に関してもそろそろそういう方向で考えた方がいいと思いました。
やっぱり「オタク関連出版リスト」をつくらなくちゃいけないのかな。
それともうひとつは、本当の意味で「恋愛」がいろいろなしがらみから解き放たれたということからくる「不誠実」を感じるということ。
少なくとも90年代初頭までは、まだしも「恋愛」というのは一種のイデオロギーと結びついていたわけです。
「自由に恋愛する」というのも、別に自由っていうわけじゃなくて、何かから解き放たれるためにそうしていた部分というのが大いにある(たとえば旧来の因習を背負った共同体など)。
ところが、そういう昔からの「足かせ」がどんどん無くなっていき、本来的に日本人がイデオロギー的なものから解放されると同時に、いろんなものに対して本当に不誠実になったと思う。
そして、「だれと、どのように恋愛してセックスしたか」を競い合うという無限の差異化ゲームが進んでいく。
あるいは、その差異化ゲームからどれだけ離れられるか、あるいは離れているようにふるまうかという差異化ゲームもゲームの外で進んでいく(若年層のオタクの一部が必死になってやっているのはこっちなんじゃないか?)。
たぶん「負け犬」という言葉は、本来的にはその差異化ゲームが本当の意味で無意味に、くだらなくなる前に降りてしまおう、という都会の、生活水準の高い酒井順子の「勝負勘」みたいなものから来ているんでしょうね。
まあ、もうそんなことはどうでもいいです。
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