【雑記】「義憤」の行方
皮膚病患者を「ミイラ」と中傷 SNSに書き込む(Yellow Tear Drops 2006/08/20(日曜日))
(以下、Yellow Tear Drops より引用、改行位置変更しました)
>>やったことはモラルに反するだろうが、本名・顔写真・大学名を晒して、学校やアルバイト先に
>>電話するってのは暴力的で異常だな。悪者だと判断した相手を徹底的に吊るし上げるってのは、
>>この手の連中が忌み嫌ってるマスゴミの手法だろに。
(引用終わり)
肝心のまとめサイトが消えてしまっているようでよくわからない部分もあるが、要するにだれか「皮膚病患者を中傷」した人を、そういうかたちで断罪した人がいたのだろう。
私も、引用元の意見に賛成。
(当然、中傷した人もひどいと思う。)
だが、最近は本当に「義憤」の持って行き場がないことは確か。
いや「義憤」とは認められずに「偽善」と言われてハイおしまい、なんてことも多い。
「義憤」というのが、いかにも崇高な感覚のように思われていることから来る弊害だろうね。
それと、「人は絶対的正義の立場に立ったとき、どう振る舞うか」というスタンスの問題でもある。
たいていの人はそういう立場になる機会は少ないし、もし立ったときもそういうときにどうしたらいいかは、けっこうだれも教えてくれないんだよな。
徹底的に相手を叩きのめすのがいいのか、それとも許すか、ということも、人生において一度考えた方がいいのかもしれないな。
話を「義憤」に戻すと、私はそういう感情というのは「性欲」とか「食欲」とか「萌え」とかと同列に考えていいと思うのである。だとすると、どこかで発散することが必要だ。
それをどうするかだよね。まあ現実問題として、犯罪行為を目撃したら警察とかマスコミに訴えるというのが常套手段なのかな。わからんけど。
もうちょっと当時者性が薄くなるなら、昔は「遠山の金さん」とか観てみんな発散してたと思う。
そういう観点から言えば、私は平成ライダーには否定的なのです。
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