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【映画】・「フーリガン」

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ハーバード大学のルームメイトに、ドラッグを隠し持っている罪をなすりつけられたマット(イライジャ・ウッド)。ルームメイトの父親は大物政治家であり、無実の罪を訴える気も失せて命じられたままに学校を退学させられる。

傷ついたマットは、姉の住むイギリスへ。姉の夫はまっとうな社会人だが、その弟・ピートは過激なフーリガンだった。ピートに導かれ、マットはフーリガンの世界に少しずつのめり込んでいく。

わたくし、実際の暴力は大嫌いな人間であり、ちょっと恐い人を見たりすると足がすくんでしまうのだが、「自分の、あるいは他人の暴力性」をどのように自覚し、それをあやして生きていくかは人生の重要な部分だと思うのである。

本作は、フーリガン同士で「部族同士の抗争」のようなプリミティヴなケンカを繰り返している連中に、青白きインテリであったマットがいかに感化され、そこから何を掴み取ったかという映画である。
ハッキリ言えばどこぞの原住民と生活をともにして、粗野な人間性を回復していくというような定番テーマを、イギリスという先進国の「フーリガン」に置き換えたということにすぎないとも言える。
今思いついたけどスピルバーグの「激突」なんかも似たようなテーマだし、もうちょっと文学性を加味すれば「ファイト・クラブ」になるだろう。

だが本作は単純ながらもなかなかどうして脚本がうまい。
まず一般的に「恐い」、「迷惑」という印象のあるフーリガンを、マットという平凡なアメリカ人を通して描くというわかりやすさ。
次に、マットがフーリガンに求めているのは疑似家族であるが、その理由が彼の父親がろくに家庭を顧みない存在であり、さらには優しそうな姉までもが、そのような家庭を見切ってイギリスに渡ったからであると明示されているいうこと。
さらに、フーリガンの暴力を「ここは学べるがここはよくない」みたいに、わりとハッキリと描いていること。そしてその評価は、そのままマットの眼を通しているのでわかりやすいということだ。

けっきょくは部外者であるマット、フーリガンのリーダー的存在であるピートが主人公格だが、彼らはどちらかというとまあまともな人間である。

徹底的にダメなのがボヴァーという、最初からマットにつっかかってくる男である。地域でしか生きられず、(映画内では描かれないが)おそらく仕事の楽しみも社会的地位もなく、しかしけっきょく自分のダメさ加減から地域性の強いコミュニティを裏切ってしまうさまは、私は泣ける。が、ツブシのきく社会的人間像を確立している人間にはただのアホとしか映らないんだろうね。

まあとにかく、何となく悠長なのは日本人だけ、という気がしたことは確か。暴力はよくないが、それが「存在する」ことは認識しないとね。

余談だが映画を見に来ているのはイキった不良っぽい人たちで、ちょっと恐かったです。

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受信: 2006年7月 1日 (土) 11時10分

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