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【小説】・「翔ぶが如く」  司馬遼太郎

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征韓論〜大久保利通の台湾出兵〜西南戦争の終結までを描いた大河小説。小説っていうか、なんか解説文みたいなもの(史伝?)。文春文庫版で、全十巻。

「そういえば自分は明治の歴史をぜんぜん知らないなー」と思って文春文庫版、全十巻を苦しみながら読み通しました!  万歳! 偉い自分!
ネットで感想をざっと見ても、最初の2、3巻が退屈だと書いてある。私も、このあたりは退屈で退屈で、何度も途中で投げ出そうと思った。
私は司馬遼信者でも何でもないので忌憚のない意見を書かせていただくが、まず最初の方で長々と描かれる「征韓論」のことがよくわからない。

「人物中心史観」と批判されることもある司馬遼の、いちばん悪いところが本作の序盤では出てしまっている気がする。
個々の人物が何を考えていたのか、いくら個別に見ていってもそりゃわからんこともあるだろう。
近代合理主義みたいな思想が入り込んだ明治十年頃までの混沌とした時期なら、なおさらである。

で、いけないのはたぶん作者自身がわからないまま書いていること。これはいちばんよくないよ。
続く台湾出兵のエピソードも、出兵してからの外交にページを割きすぎだ。しかも、えんえん説明が続くから意外な展開になるのかと思ったらそうでもない。「考えながら書いてるだろう」とツッこみたくなる。

キャラ造形もいいかげん。キャラ的に伊藤博文と岩倉具視の区別がつかないし、架空の人物っぽい人が出てきたと思ったらエピソード的なおとしまえもなく舞台から消えてしまう。

西南戦争のことも、描写は丹念で面白いが、読んでその本質はよくわからん。戦略的にはダメダメだったということだが、その「戦略的にダメダメ」の理由があまりにも個々人に帰結するかのように描きすぎている気がする。
そもそも、当時の人って「戦略」と「戦術」をそれほど厳密に区別していたかどうかわからんし。いやわかっている人もいるのかもしれないけど私は知らないし。

文学史的などうなのか? もし、作者がほとんど初めてこの時期を調べて、前例のない状態で書いたのなら多少の斟酌はできる。でもその辺のこともよくわかんねーなー。

まあ、本作を読んで、あくまでも司馬史観で知った西南戦争というのは、自分的解釈としてはこうだ。

要するに西欧的合理主義VS伝統主義ということだ。
それと、何というか信仰に近い何か。

あえておおざっぱに言えば、これは鶴田浩二や健さんの出てくる任侠映画とまったく同じ構図である(何でも任侠映画に落とし込んでやがる、と思う? 私のことを?)。

東映任侠映画は、たいてい地域密着型の昔から続いているやくざと、仁義を欠いた合理主義的新興勢力との戦いとして描かれる。で、地域密着型が正しくて、善で、ぜったいに曲げられない信条を持っていて、敵と戦って負ける。

本作でも、まあお話は長いがそんな感じ。

それは、作者がどれほど意図していたか知らないけど、西南戦争の前に起こり、丹念に描かれた「神風連の乱」と比べるとよりハッキリする。
司馬遼描写によれば、コレって勝ち負けは最初から関係ない行為。やること自体に意義があるみたいな。

それの大規模なのが西南戦争だった、と、あくまで本作を読んだだけだとそう解釈できる。

司馬遼は、わりとそういう「敗者の美学」みたいのもわかっている人だと思う。だから今でも人気があるんだろうな。

この図式は今の多くのアクションものに適用できる。あるいは、この図式にのっとらないアクションものは「ポストモダ〜ンなアクションもの」ということができると思う。

あ、あとタイトルは看板に偽りありだ。あるいは「翔ぶが如く」なんかをして、けっきょく果たせなかったということなのか? とにかく全編を通して(そりゃ司馬遼太郎だから面白おかしく書いてあるわけだけれども)「落胆」の二文字が似合う展開ではある。

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