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2006年5月

【イベント】トンデモ本大賞2006

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トンデモ本大賞2006今年も開催前売り券発売中と学会公式HP
【日時】2006年6月3日(土曜)午後12時開場 1時開演
【場所】千代田区公会堂(千代田区九段南1−6−17)
【出演】立川談之助、山本弘、唐沢俊一、皆神龍太郎、眠田直、藤倉珊、植木不等式、開田あや、声ほか。
【特別出演】雷門獅篭
【主催】と学会
【協賛】楽工社
【料金】2800円(当日) 2500円(前売)

◆お詫び
・出演予定だった「ガンダム紙切り」の大東両先生急病のため、休演といたします。ご了承ください。

#物販もいろいろやりますよー。同人誌や商業出版物をいろいろと販売します。と学会関係の書籍をこの場でまとめて買えま〜す。

#会場にて大会記念同人誌「と学会アーカイブス・1」が発売されます。
(A5判68ページ、¥500)

内容は「宝島30」や「論座」といった商業誌に掲載された、と学会関係の記事、対談を多数収録。
普段の「と学会誌」とは一味違った面白さです。資料性も高く、永久保存版の一冊!(画像はその表紙です)
と学会ニュース

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【映画】Mr.ジレンマン 色情狂い

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[amazon]

1979年、にっかつ
監督:小沼勝、脚本:新井晴彦

小学生の頃、親の買ってきた週刊誌でこの映画の広告を盗み見た。
成人映画だが、変身ヒーローものらしい。
ヒーローを小馬鹿にしたものだけはなってほしくないと思ったが、その内容はわからず(当然、自分が小学生だから)。

で、オトナになった今、見た。
すばらしいヒーローものでした(まあ正確に言うと「ヒーロー」ではないかな?)。

柄本明扮するサラリーマンは、奥さんからも子供からも、会社に行けば上司からもバカにされるダメ男。
スーパーマンに憧れた柄本明は、さまざまなプレッシャーのせいかブチ切れて仮面のヒーロー「ジレンマン」に変身。
浮気している上司(高田純次)や、女子社員に手を出そうとする社長(名前忘れたけど東京乾電池のヒゲの人)に、お仕置きを食らわせる。

ジレンマンをやっつけようと思った社長や上司たちは、対策を立てる。
社員のベンガルにはジレンマンの正体を探るため、捜査を開始させる。
ベンガルは、柄本明が外の女子トイレに隠していたジレンマンの仮面を発見。それをかぶったベンガルは、なぜかジレンマンになってしまう!!

ベンガルの変身したジレンマンが敵に回ったことで、柄本明の本当の戦いが始まるという、ドタバタコメディながらもしかして深い展開かもしれない。
観客は日常に疲れた男たち、という点を踏まえてか、ラストもハッピーエンド。実に爽やかで感動した(最近、コメディですぐ感動してしまう)。

特筆すべきは、高田純次。
本作は高田純次の天才性をあますところなく表現。
「ジレンマン対策」でいろいろ話し合うシーンで、だれかがゴキブリホイホイを持ってきて
「これでつかまえるってのはどうでしょう?」
「でも、何を餌にする?」
「やつの好物をこの中に入れよう」
「やつの好物って何だ?」

そうすると高田純次は、
「私はわかってるよ。『好物』っていうのは、『好きなもの』っていう意味なんだ」
と、自信満々に言う。全然意味ない!! すばらしい。

ベンガルジレンマンと柄本明の対決が、部屋の中から何の説明もなく外に移動、運動会みたいになってしまったり巌流島の決闘風になったり……というのは、ひょうきん族より早い。

そういえば初代ブラックデビルが高田純次だったというのはこの映画と……とくに関係ないか。

あ、ギャグ指導が岩松了なんだよな〜。

しかもDVD出てるんだよな、驚いた。
DVDが出る出ないの基準は、スタッフや出演者が現在でも活躍しているとか有名だとか、そういうことなんだろうな。

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【映画】温泉みみず芸者

1971年、東映京都
監督:鈴木則文
主演:池玲子

先祖代々名器の女性を輩出する多湖家の長女・圭子(池玲子)は、母親の借金を返すため土肥温泉で芸者となり、その名器っぷりで騒動を巻き起こす。

そんなに名作だという話も聞いていなかったので期待値ゼロで見に行ったのだが、
爆笑、爆笑の果てに最後は感動してしまいましたよ。

第一、多湖家のご先祖様がタコをつかまえるタコツボを発明した漁師だから、その後の多湖家の女性はみんな名器、ってぜんぜん理由になっていないところがすばらしい。
なんつーか、暴力シーンもないし爽やかに笑えます。

他のキャラクターも、
ナニが大きすぎて悩んでいる料理人・小池朝雄、
自称芸術家で変なお土産ばかりつくっている山城新伍など、
濃いメンツばっかり。

最後には「無限精流」なる性技をきわめた名和宏が池玲子に挑戦状を叩きつけ、セックス勝負。

その前に、名和宏が氷風呂に入ったり「必勝」と書かれた白ふんどしで滝に打たれたり、タコを貪り食ったりするシーンがすごい。

なんか言いしれぬ感動がラストシーンでは得られますよ。
明日も渋谷でやるから、見たい人は急ごう。

シネマヴェーラ渋谷

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【書籍】・「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」皆神龍太郎(2006、文芸社)

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ベストセラー小説「ダ・ヴィンチ・コード」の核となったいくつかの要素、ダ・ヴィンチが「最後の晩餐」に隠したマグダラのマリア、「シオン修道会」、また小説内では意図的にいっさい語られていないが、シオン修道会と伝説の構築において密接に関係している「レンヌ=ル=シャトーの謎」(「レンヌ=ル=シャトーの謎—イエスの血脈と聖杯伝説」[amazon]という本があるらしい)について、簡潔に解説している本。

むちゃくちゃに面白い。
「ダ・ヴィンチ・コード」を知る前は、「なぜフィクションに、『それはウソだ!』と指摘する本が出るんだろう?」と疑問を感じていたが、どうも元ネタの背景にはかなり複雑な事情、なおかつ西洋人の心性に根ざしたなにものかがあるらしい。
それの説明があることは、本書が「ダ・ヴィンチ・コード」という「社会現象」そのものを解く、という、単なる謎解きよりもさらに深い、エキサイティングなものにしているのである。

シオン修道会や聖杯をめぐる「伝説」は、一朝一夕で出来たものではなく、数十年を書けて醸成されていったものだ。
だから、たとえば凡百の新書やラノベのように「イエスは宇宙人だった」とか「織田信長は世界を征服しようとしていた」とか「劉備は女だった」とか書くのとは、ちょっと違うらしいのである。
「ダ・ヴィンチ・コード」が、単なる伝奇ミステリという枠を超えてベストセラーとなり、さらに書かれていることが本当だと信じ込まれているのには、そこら辺に理由があるようだ。

以前、トンデモ本大賞の感想をネットで検索していて、壇上の皆神先生を「昔の小説の探偵みたい」と評しているブログがあったが、まさしく「ミステリとしての謎が明かされたダ・ヴィンチ・コード」そのものの謎をさらに解くという、あたかも推理小説の中で、おっちょこちょいな人が行った間違った推理を最後に本物の名探偵がすべて読み替えて真相を提示してしまうような、そんな爽快感のある本である。

さて、本書の面白さとは少し関係ないが、ふと思いついたことを書いてみたいと思います。
巻末に比較文化史家の竹下節子氏との対談が載っている。この中で、興味深いところを抜粋する。

竹下「宗教も同じで、たとえ教祖の『奇跡』がインチキであったとわかっても、信者はなかなか信仰から離れられず、教祖は陰謀の犠牲者であるというように事実をさらに歪曲してまでも、信仰にしがみつく心理が知られています。」(P207)

竹下「そもそも『イエスを神の子と信じます』と言ってクリスチャンになったわけで、たとえば『イエスが復活した証拠を見せてください。それが本当だったら信じます』と言って信者になったわけではない。そんなことは誰にもわからない。復活したところを見た人はどこにもいないのだから。」(P230)

このくだり、正反対のことを言っているようで、同じことを別の角度から言っているようにも思える。
むろん、前者はいわゆるカルトに対する言及だろうが、

たとえば、インチキを行った教祖に対し「自分は奇跡のあるなしは問題にしていない。インチキは教祖のユーモアである。教義がすばらしいから信仰している」などと言う人もいるかもしれないし、
後者の場合、どんな事例が出てきても信仰がゆるがない、というのであれば、つきつめていくと教祖の教義の哲学的深さのみを信じるのならさまざまな神秘的伝説はいっさい必要ないということに、つきつめればなってしまいますまいか。

あるいは、前者が自分を後者的心性のもとに信仰しているのだと思い込むケースもあるだろう。
懐疑主義関係の書籍を読むといつも思うのが、この「信じるって、何だろう」ということだったりするのである。

【小説】・「ダ・ヴィンチ・コード」感想

【映画】ダ・ヴィンチ・コード感想

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【小説】・「ダ・ヴィンチ・コード」(上)(中)(下)  ダン・ブラウン(角川文庫)

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ルーヴル美術館館長ジャック・ソニエールは、何者かに殺害される。彼は死の直前に、奇妙なダイイングメッセージを書き残していた。
ソニエール殺害の濡れ衣を着せられた象徴学者ロバート・ラングドンと暗号解読官ソフィーは、ダイイングメッセージの謎を追ううちに世界がひっくり返るほどの秘密を知ることになるが……。

読後の評価は「まあまあ」という感じだったのだが、元ネタとして他の人の書いた著作があると知って、さらに評価が下がった。そうなると核となるアイディアは借り物だから、小説技巧だけの評価となる。
ラングドンとソフィーが場所を変えながらあわただしく暗号を解いていくサスペンスは確かに先を読ませる力を持っている。
しかし、あらかじめ論文調の元ネタがあることを踏まえると、説明ゼリフを説明らしく見せないような工夫が凝らされている、あるいはそうせざるを得ないということがわかってくる。

肝心の謎解き部分だが、正直日本人にはそれほど衝撃的なことでもないだろう。このため、とても地味な印象がある。どうも本作を読んで私が感じる最大のモヤモヤは、「キリスト教圏の人が読んだらどう思うかわからない」という点にあるのかもしれない。

後は映画版を見たときの感想と同じである。要するに、宗教的な非合理を現代から後出しジャンケン的に、合理的にとらえようとしている点がひっかかるということだ。もともとのシオン修道会をめぐる伝説にそのような要素は無かったかもしれないが、本作の作者にはあったと思う。

しかし、その点について言いきることができないのは、キリスト教文化に連綿と流れているであろう異教的イメージを、本作の読者がどのようにとらえているかの情報が、自分には不足しているからである。

どう思っているんだろうね。よくわからんです。

あ、あと本作を教養小説というか、うんちくがたくさん書いてある本としてとらえている人もいるけど、
まあ細部は私も知らないことばかりだけど、概要は高校の世界史をひととおり知っていれば、書かれていることが完全におかしいと断言できなくても疑問を持つことはできると思う。

日本人が宗教オンチという問題もあるのだろうが、単純に高校で世界史をやってきたのと来なかったのとでは、本作を本当のことと信じるかどうかの区別がかなり明瞭につくのではないかと思うのだが、どうだろうか。

【映画】ダ・ヴィンチ・コード感想

【書籍】・「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」皆神龍太郎(2006、芸文社)感想

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【映画】ダ・ヴィンチ・コード

公式ページ

監督:ロン・ハワード
脚本:アキヴァ・ゴールズマン

ルーヴル美術館館長が、館内で何者かに殺害される。
館長が死の寸前に残したのは、奇妙すぎるダイイング・メッセージだった。
宗教象徴学を研究する大学教授ハワード・ラングトンと、暗号解読官ソフィー・ヌヴーはこのダイイング・メッセージの謎を解くうち、古来より続く秘密結社・シオン修道会のおそるべき謎を解き明かすことになる。

全世界で5000万部を売ったという小説の映画化。
小説の方は、非常に映画的だなと思わせたが、実際映画にすると説明ゼリフばかりで意外に映画向けではないプロットであることがわかった。むずかしいもんである。
日本語吹替版で見たが、これは字幕版で見たらかなり退屈なのではないかと思う。

見どころは、原作のような挑発的な感じではなく、ところどころに「言い訳」が入っていること。
聖杯伝説にしても、宗教史学者ティービングの自説展開にいちいちラングドンが否定的な見解を示すシーンがあったり、
「教会が殺人を行っていた」ことを(一部の不穏分子の仕業であれ)ほのめかしていた原作と違い、「影の議会」という架空の組織を教会側にも設定することで、フィクション性を高めている。

本作に関しては、キリスト教文化圏のタブーや、現状でキリスト教がどのようにとらえられているかということがヒットや批判の重要なポイントなのでいいかげんなことは言えないが、
本作が映画として最大公約数的(海外の人間も見ると想定しているという意味で)なセンを狙っていることを前提とするならば、

シオン修道会VS影の議会は、そのまま911のテロ事件や、その後のアメリカのイラク侵攻を批判しているように思われる。
まあ、「ただ批判してみただけ」というヌルいものではあっても。

肝心のキリスト教の飛躍した解釈についてたが、私個人の考えとしては、宗教の非合理性を合理的に解釈しようというねじれが、原作にも本作にもあると思う。

日本の伝奇小説は、近代化に対するアンチという立ち位置が明瞭にあるが、
本作の場合は現代にまで続く非合理性を、(それがトンデモ理論であることは置いておくとして)過去を洗い直して過去から「非合理である」として撃つ、ということになる。

少なくとも、日本人にはこういうタグイの物語を欲する屈折というのはないのではないか、と思った。

【小説】・「ダ・ヴィンチ・コード」感想

【書籍】・「ダ・ヴィンチ・コード最終解読」皆神龍太郎(2006、芸文社)感想

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【映画】プロデューサーズ

公式ページ

監督:スーザン・ストローマン
脚本:メル・ブルックス、トーマス・ミーハン

駄作をつくってしまい金に困っているミュージカルのプロデューサーが、会計士の助言により「大コケした方が儲かる場合がある」と言われ、その会計士と二人で「大コケするミュージカル」をわざとつくろうとするコメディ。ミュージカル映画。

予備知識なしで見に行く。面白いことは面白いのだが、どうも大爆笑、という感じではないな、と思ったら、
脚本がメル・ブルックスだったのね。
この人はとにかく、よくも悪くもベタギャグなのである(だから代表作の「ヤングフランケンシュタイン」もまだ見てないよ)。
わかる人にはわかるたとえをするなら「ひょうきん族」的なんですよ笑いが。

(まあ「ひょうきん族」の方が彼のテイストのマネをしているんだろうけど。)

風刺とかも、モンティ・パイソンほどとんがってなくてどこかベタギャグで丸めてしまうところがある。
考えてみれば、クライマックスも、モンティ・パイソン的悪趣味を貫こうと思ったらハプニングで丸められちゃう、ということのようにも思えるし。

あと、「わかる人しかわからん」タイプのクスグリを入れてくるところも、その入れ方がベタなんだよねえ。

しかし、自分は役者の知識はないがどの役も役者がすげえ。
白痴美をふりまく女優志望のスウェーデン女役のユマ・サーマンをはじめ、
屋上でハトを飼ってるナチ・マニアの男や、
ゲイの演出家コンビなど、
この人一人で映画できるじゃん、主役はれるじゃんという人たちだ。

あー。すごいなー。

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【映画】立喰師列伝

Tachiguishi

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公式ページ

原作・監督・脚本:押井守

戦後、ヤミ市の中から登場した立ち喰いのゴト師「立喰師」の中から、時代を代表する伝説的人物たちを時系列に追った、論文調(?)実写アニメーション(?)。

結論から言うと、写真をCG技術でアニメーション風に仕立てた効果もあまり出ているとは思えないし、お話も追っていくうちに疲れてくる、まあお世辞にも成功しているとは言いがたい作品。
なのだけれども、自分はなぜか愛せてしまった。

以下は自分語り。
押井守が注目されだしたのは、よっぽど濃いアニメファンを除いては「うる星やつら」からだと思う。
70年代末の「ヤマト」以来のアニメブームが観客の受容史としてそれまでの映画と違っていたのは、まあ異議を唱える人もいるだろうけど「作家性」、「作品性」という当然重視されるべき観点とは別に、「商品としての完成度」、「つくり手の作家性ではなく職人性」みたいなものに着目する点にあったと思う。

より正確に言うなら、作家性に着目しても商業的な部分を考えずに純粋な「創作物」としては観られない部分があった。巨大ロボットものは、「オモチャを売らなければならないから」巨大ロボットものなのであり、原作ものアニメも「なぜその原作なのか」と問われれば、アニメ監督の方は「つくれと言われたから」としか言いようがない部分もあったに違いない。

そんな中、押井守ほど「作家性」と「職人性」の乖離を提示させる人はアニメ界にはいなかった気がする。
言い方を変えると、資質として職人的な部分と作家的な部分を両方持っており、なおかつその双方で評価されてしまう側面を持っているということだ。
80年代で言えば、巨大ロボットモノ一本で押し通す富野監督や、せいぜい「ナウシカ」から「ラピュタ」あたりまでで、現在に比べると作家性を小出しにしていた宮崎駿監督と比べると、押井守は何となく「イキってる」感じが個人的にはしたのである。

また、「うる星」の「メガネ」の長ゼリフによく登場していたように記憶する「平凡な日常に騒乱を巻き起こせ」的なアジリ、あれは今考えるといかにも国内的には無風状態だった80年代に合致した物言いなのだけれど、
当時の私にとっては「平凡、結構じゃねェか」という意識が強かったというのもある。

なにしろ、当時の私が激しく感動したのは「メガゾーン23」というアニメであり、その作品内で「80年代の日本がもっとも平和な時代と場所であったことが未来人に認識される」という、そしてその「最も平和な時代と場所」が戦争によって蹂躙されていくという設定だったのだから。

その後の、「パトレイバー」の頃はアニメからもっとも離れていた時期だったこともあり、押井監督の作品を熱心に見ていたわけではないのだけれど、
(それとアニメ作品に比べて実写寄りの作品が評判が一定しないということも聞いていたのだけれど、)

本作「立喰師列伝」は、なぜか愛することができた。
その理由としては、やっぱりこの人の「イキってる感じ」は、ただそれだけでは終わらない、本物なんだと認識できたことがひとつ。
もうひとつは、たぶん吉本隆明とかを引用している以上、押井守は全共闘世代にシンパシーを感じていてあの頃の騒乱状況に魅力を感じている人だと思うのだけれど、そういう感じをなぜか許せるようになったというのもひとつ、ある。

80年代にはその辺は微妙だった。オタク的なものを含んだニュー・ウェーヴ路線(もっと大ざっぱに言うとサブカル路線)というのは、「もう今までの政治の季節の気分をそのまま踏襲している時期ではない」という雰囲気が横溢していたからだ。

吾妻ひでおなんかは、その典型だったのである。吾妻ひでおのロリコン感は後世のものと違っていて、「むずかしいこともいいけど、こーいうのもいいじゃない」というかろみのようなものがあり、ドライなギャグは「三無主義」とか言われていた若者からも支持されていた。
まあ当時の若者は、吾妻ひでお的態度を時代に対するクールさと受け取っていたのだけど、それが21世紀になって、自分自身の凄惨な人生に対してもクールさを保ってエンターテインメントとして提示するという、静かなる迫力を持った「失踪日記」になるとは、20年前の読者はたぶん予想していなかった。

閑話休題。
押井守のアジリに疑問を感じていた自分も、さすがに90年代半ば以降(バブルが崩壊し、オウム事件、阪神大震災がこの頃に起こっていて、それ以降確実に時代の何かが変わった)の時代状況にはいいかげんイライラしてきており、本作における押井監督の変わらぬアジリっぷりが爽快だったのかもしれない。

本作のナレーションの「文体」は、かつての「イキった評論」の文体のパロディだが、今どきこういう文体で文章を書く人間もそうはいないだろう(まあいるとは思うが、もはや伝統芸能みたいな形式的なものになっていると思う)。
そのパロディの対象となっている文章自体がいささか過去のものになっているぶん、せつないし愛おしいというのはある。

胡散臭い存在(立喰師)が時代を映す鏡であり、
戦後すぐには「何もないところ」に知性で幻想と立ち上がらせる存在であり、
学生運動はなやかなりし頃は、それと関係ありやなしやの謎の存在であり、
運動終結後は「負けること」によって自己表現を完結させるという矛盾した存在であり……
というパロディとして語られる戦後歴史観は、80年代終わりまでは非常に「わかりやすい」物語であった。

吉本隆明の引用があったことはすでに書いたが、平岡正明とか荒俣宏とかもものすごく大ざっぱに言ってそういう観点であり、
それまで省みられなかったマンガ、プログラムピクチャー、ミステリ、ポルノ小説、幻想文学などが同時代を撃っていた、という視点はそのまま「立喰師」の存在に重なってくる、というのはまあこの映画を見た人ならすぐわかるだろう。

そのような懐かしい歴史観だったのだが、確か映画では昭和50年代で立喰い師の歴史は止まっているはずである。しかし、このような流れだとここで止まっているのも同時に理解できるのだ。

ま、なんというか、押井守の問題意識は、95年あたりを境にして自分にも共感できるものになってしまったということなんだろうな。

ちなみに、画像は原作小説の表紙。

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ブログを続けさせる法

どうしてブログは三日坊主になる?

わたし流、ブログを続けさせる法。

それは、意味ないことを書くことです!

まあ、上記リンク先はそういうことを言いたいんじゃないだろうけどね。

ということで意味無いことを書きます。

最近……はやってないか、ちょっと前まで、サンケイ新聞かなんかのCMで、
ちょっと「奇人」っぽい人を女の子がレポートして、何かと思ったらサンケイ新聞のCM、っていうのがあったんですよ。

防災ラジオのプレゼントのときは、なんか防災オタクみたいな変わり者のおじいさんをレポートして、最後に「ラジオ、当たります!」みたいな感じの。
最近では、座談会というか討論風のやつがある。
記憶だけで書いているけど日本人論みたいなのと、
UFOだかオカルトだかのやつと、
あと子供たちを集めて少子化問題について議論させるという。

この「討論編」は、たぶんドッキリの形態を取っていて、
「大成功!」みたいな感じでレポーターの女の子が出てきて、
唖然とする討論参加者の顔を映す、というものなんだけど、

このCM、シリーズのどれを見ても、

心底ムカつきますよ!!

「愛あるツッコミ」の正反対ですよ。
奇人的な人や、一般的にくだらないことに一生懸命になっている人をバカにしすぎ。

とくに、討論のシリーズはまだギャグ的なオチまでの流れみたいのがまだあるけど、
ただ「変わった人をレポートするだけ」のはとにかくつくり手の、奇人に対する悪意が読みとれて、
心底不愉快。

あと朝日新聞の、いろんな政変とか戦争などの衝撃映像を次々と映すCM、
あれも不愉快だ。昔のベネトンのCMを意識してるのかな?

ついでに言うなら「お風呂にキュッキュッキュー」という東京新聞のCMもムカつく。
何も関係ないだろ! 新聞とお風呂にキュッキュッキューは。

……というようなことを書けば、
毎日でも更新できます、よと。

これはたいしたことだ、ゾと。(昔の鶴太郎)
(おわり)

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【小説】・「翔ぶが如く」  司馬遼太郎

Tobugagotoku

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征韓論〜大久保利通の台湾出兵〜西南戦争の終結までを描いた大河小説。小説っていうか、なんか解説文みたいなもの(史伝?)。文春文庫版で、全十巻。

「そういえば自分は明治の歴史をぜんぜん知らないなー」と思って文春文庫版、全十巻を苦しみながら読み通しました!  万歳! 偉い自分!
ネットで感想をざっと見ても、最初の2、3巻が退屈だと書いてある。私も、このあたりは退屈で退屈で、何度も途中で投げ出そうと思った。
私は司馬遼信者でも何でもないので忌憚のない意見を書かせていただくが、まず最初の方で長々と描かれる「征韓論」のことがよくわからない。

「人物中心史観」と批判されることもある司馬遼の、いちばん悪いところが本作の序盤では出てしまっている気がする。
個々の人物が何を考えていたのか、いくら個別に見ていってもそりゃわからんこともあるだろう。
近代合理主義みたいな思想が入り込んだ明治十年頃までの混沌とした時期なら、なおさらである。

で、いけないのはたぶん作者自身がわからないまま書いていること。これはいちばんよくないよ。
続く台湾出兵のエピソードも、出兵してからの外交にページを割きすぎだ。しかも、えんえん説明が続くから意外な展開になるのかと思ったらそうでもない。「考えながら書いてるだろう」とツッこみたくなる。

キャラ造形もいいかげん。キャラ的に伊藤博文と岩倉具視の区別がつかないし、架空の人物っぽい人が出てきたと思ったらエピソード的なおとしまえもなく舞台から消えてしまう。

西南戦争のことも、描写は丹念で面白いが、読んでその本質はよくわからん。戦略的にはダメダメだったということだが、その「戦略的にダメダメ」の理由があまりにも個々人に帰結するかのように描きすぎている気がする。
そもそも、当時の人って「戦略」と「戦術」をそれほど厳密に区別していたかどうかわからんし。いやわかっている人もいるのかもしれないけど私は知らないし。

文学史的などうなのか? もし、作者がほとんど初めてこの時期を調べて、前例のない状態で書いたのなら多少の斟酌はできる。でもその辺のこともよくわかんねーなー。

まあ、本作を読んで、あくまでも司馬史観で知った西南戦争というのは、自分的解釈としてはこうだ。

要するに西欧的合理主義VS伝統主義ということだ。
それと、何というか信仰に近い何か。

あえておおざっぱに言えば、これは鶴田浩二や健さんの出てくる任侠映画とまったく同じ構図である(何でも任侠映画に落とし込んでやがる、と思う? 私のことを?)。

東映任侠映画は、たいてい地域密着型の昔から続いているやくざと、仁義を欠いた合理主義的新興勢力との戦いとして描かれる。で、地域密着型が正しくて、善で、ぜったいに曲げられない信条を持っていて、敵と戦って負ける。

本作でも、まあお話は長いがそんな感じ。

それは、作者がどれほど意図していたか知らないけど、西南戦争の前に起こり、丹念に描かれた「神風連の乱」と比べるとよりハッキリする。
司馬遼描写によれば、コレって勝ち負けは最初から関係ない行為。やること自体に意義があるみたいな。

それの大規模なのが西南戦争だった、と、あくまで本作を読んだだけだとそう解釈できる。

司馬遼は、わりとそういう「敗者の美学」みたいのもわかっている人だと思う。だから今でも人気があるんだろうな。

この図式は今の多くのアクションものに適用できる。あるいは、この図式にのっとらないアクションものは「ポストモダ〜ンなアクションもの」ということができると思う。

あ、あとタイトルは看板に偽りありだ。あるいは「翔ぶが如く」なんかをして、けっきょく果たせなかったということなのか? とにかく全編を通して(そりゃ司馬遼太郎だから面白おかしく書いてあるわけだけれども)「落胆」の二文字が似合う展開ではある。

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・「喰いしん坊!」(7) 土山しげる(2006、日本文芸社)

Kuisinbou07

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週刊漫画ゴラク連載。
大食い修行中の満太郎は、大食いすぎて寺から托鉢修行を命ぜられた僧・空念に追いかけ回される。
それでいろいろあって駅弁大食い、Mr.オクレそっくりの男とステーキ勝負などを繰り広げる。

BUBKA6月号に、作者・土山しげる先生のインタビューが載っています。これを読むと、やはり土山先生は精緻にコトを進めるエンターテイナーだということがわかります。
もう一方で、「弁当食べながらマンガ読む人のために気晴らしを提供することを考えている」、「自分のマンガを読む人と同じところに立っていなきゃダメだと思うので松屋とかにもよく行く」という発言からも、その作風が理解できるところでしょうね。

BUBKAは、確か月初めに出るので今から入手するのはむずかしいと思いますが大きめのエロ本・エロDVD専門店で、なおかつ「実話ナックルズ」のたぐいの雑誌がいっぱい売っているところには、まだ売っています。

6巻の感想

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デスノート最終回(ネタバレあり)

……冷静に考えると、展開としてはけっこう穴があるんですよね。
でも、自分は映画「デビルマン」や実写版「鉄人28号」を見たときも思ったんですが、自分で勝手に決めたハードルがあって、それはとても低いハードルで、それを作品がクリヤするとそれだけでホッとしてしまうところがあるんですよ。

「デスノート」に関しても、とにかくとんでもなくガッカリな最終回にだけはしてくれるな、という(私にとっての「ガッカリ」は前述のとおりかなりハードルが低いんですが)、その懸念が取り払われただけでホッとしてしまったというか。

「デスノート」は、単行本では10巻ちょいで完結するはず。
「ワンピース」とか「ガッシュ」とか「はじめの一歩」に比べると、短編(中編か)とすら言える作品でした。
でも、それだからこそ、昨今の少年・青年マンガの中ではコンパクトにおさまっているからこそ、後世まで読みつがれる可能性は高い。

「デビルマン」は単行本で5巻しかなかったし、「あ〜る」も9巻くらいまでしかなかった。
友達の家に遊びに行って、ゲームの順番待ちをしている間に読める分量ですよね。
あるいは「勧められたから全巻一気買いしよう」と思ってできない巻数ではない。
そういう作品は「マンガの面白さ」を、マンガを読まない人に最初に植え付けられる可能性がある。

そういうスタンダードな作品になりえる可能性を、「デスノート」は秘めているから、
あんまりにもトホホな最終回だけはやめてほしくて、それだけを願ってました。
で、私の低いハードルとしては、この最終回は大団円的なものと意外性、双方(最低ラインかもしれないけど)クリヤしていたと考えました。

それともうひとつは、
最終回より一週前の、リュークが
「死は平等だ」
といったくだりにあまりにも感動してしまい、後はある程度どうでもよくなってしまったというのはある。

月は「まったくの虚無としての死」におびえ、苦しむ。
それは他の死んでいった人とまったく同じ。
あと、現代人の死生観にも通じると思ったんですよね。

さらにもうひとつ、
これは私個人の考えだけれど、第一部の頃から、
月は最後は無様に死ぬと思ってました。
というか、そういう願望があった。
まあ、最後に本当に「神としてのキラ」として、月が生きたまま君臨し続けるという可能性も考えたけど、
過去の作品群の「強大な力を手に入れて世界を改変しようとする天才」のパターンとしては、最後に思いがけない落とし穴があって破滅する、というのがおとしどころだったし、

まあ、原作者がどれくらい倫理観について考えていたかはわかりませんが、
「死のゲーム」を読者自身も楽しんできた以上、そして掲載誌が少年誌である以上、
私は月が「悪いことをすると報いがある」といった感じの死に方をすることは、小学生も読んでるマンガ雑誌の掲載誌としてはしごく当然のことではないか、と思っていました。

「月のやっていることは正義かどうか」は、オトナの議論(まあマンガのテーマを議論するのがオトナかどうかはおいておいて)だと思います。
少年誌だったらうむを言わさず「悪」ですから。

でも、そこにはスパイス的に、「あの怪獣は本当に死んだのか?」的なフリは必要で、
しかもフリがメインになっちゃいけないとも思っていました。

だからこの最終回はけっこう納得しました。

個々のキャラクターの動きなんかは、単行本であらためて確かめていきたいな、と思ってます。

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【音楽】・「踊れ!ソーランパラパラ」ソーランはっぴぃずと猫ひろし

Soranparaoara
ソーランはっぴぃず

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新宿の、アルタあたりから歌舞伎町に向かう通りにあるゲーセンだったか、ラムタラだったか、ラムタラの近所の店だったかで、このユニットの曲「踊れ!ソーランparapara」が踊りのビデオとともにモニターからえんえんと流されている(リンク先で振り付けビデオが見られます)。

もう10年近く前、秋葉原で森高千里(「17才」とかの頃)のビデオが流れていると、そのレプリカント的な外見や「非・実力派宣言」と開き直ったフェイク感覚がなんだか当時のアキバにフィットしていると思っていたのだけれど、
今の歌舞伎町近辺、それも「完全にあぶない街」としてではなく、なんか行政の方でクリーンな街にしようとしている動き、「歌舞伎町」ではなくあくまで「歌舞伎町周辺」、渋谷に比べて今ひとつアウェイ感のある女子高生たち、風俗だとしか思えないメイドカフェなどが混然となった新宿においては、

この「ソーランはっぴぃず」の歌と踊りは妙にふさわしいと思った。

一緒にやってる猫ひろしは新宿ロフトプラスワン関係でDVDも出してるしね。
そんな21世紀ですよ。

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やっぱダメだ

投稿してから反映されるまでのレスポンスはすごく遅いし、
ココログのトップページから障害情報やメンテナンス情報もすぐにはわからないし、
どこにメールしたらいいかもすぐにはわからない。

前、こんなだったっけ?

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じっけん

じっけんじっけんじっけんじっけんじっけんじっけんじっけんじっけんじっけん

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10円くれ

昨日、夜10時頃下のテキストをアップしようと思ったらなんだかぜんぜんダメだったよ。

やっぱり使いにくいよココログは。

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ココログ書きにくいよおー

ココログ書きにくいよ。
なんかかまえちゃう。
やっぱり、クズテキストというか適当に書き流したものもしっかり個別のエントリになっちゃうというところが、
かまえちゃう理由なんだろうな。

このままじゃダメだ!

もっと気楽にかまえよう!

まず手始めに、
あいぱふぁっfwrwbっhwglっk「「もいy9t78000おjgv;お

今、適当にキーボード打ってみました!

・ヒロシ&キーボード

・シブ楽器隊

・パメラ・アンダーソン

私が日本国の帝王になったあかつきには、
以上を使った三題噺で面白いのをつくった人以外、

全員処刑します!(えー)

あと、最近ソニンがきれいになってきたからソニンは残す。
大橋未歩も残す。

ところで、テレビ東京って女子アナの胸の谷間見せないんだって。
谷間NGなんだって。
実際、フライデーかなんかに、大橋未歩アナが、胸の谷間を隠すために、
胸にガムテープ貼っているのがかがんだとき見えちゃった、
という写真がありました。

一方、
小林まややのコスプレ写真などが、
これまたフライデーなどにしつこいくらい何度も載りますが、
胸の谷間見えてんですよね。
普通にしている状態でも見えている服を着ていました。

おいおい、テレ東は他局の番組に言及するのはわりと平気なのに、
TBSよりも胸の谷間を出し惜しみするのか?

まあ、そんなことは私にとってはどうでもいいけどね。
中学生じゃないんだから。

いや、今の中学生はイキナリAV見るのかな。
チラリズムのわびさびとか、わかんねえんだろうなー。

そんで、小さい頃からAV見せられてるのにチラリズムの方がいい、というような中学生は、
きっと「萌え」とかに走るんですよ。

まあそれもどっちにしろどうでもいい話だ。

前から予言しているように、
将来的に女性はみんな昔の研ナオコみたいに、中性的な感じになりますから。
それがトランスジェンダーってやつですよ(半ば本気)。

ところで、最近エビちゃんとかいう女がもてはやされてますが、
あんなの男から見たらチンピクゼロだろ!?

女の子が「かわいいよねー」とか言ってるから、自分が不審がられたくないから合わせて「いいよねー」とか言ってるだけでしょ。男性軍は。
みんな佐藤寛子とか、山田優とか、道重さゆみとかが大好きなのにガールフレンドの前では言えないんですよ。

その妥協点の結実がエビちゃんでしょ。
たぶん、男がもっとそそられない女の子モデルもいると思うんだよ。
ちょっと前は山田優あたりが妥協点だったのに、もう一歩女性側に踏み込むとエビちゃんになる。

今はエビちゃんだけど、その先にあるのは研ナオコですよ。
ホントですって。

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雪国もやし

雪国もやしは
めちゃめちゃ高いから
みんなぜったい買うなよ

雪国もやし

フリスビー燃やして
めちゃめちゃ怒られた
みんなぜったいやるなよ

フリスビー燃やし

雪国もやしの歌
(注:音が出ます)

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・「妄想戦士ヤマモト」(5)(完結) 小野寺浩二(2006、少年画報社)

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オールマイティ萌え戦士ヤマモト、めがねっ娘教団の南雲、フィギュアおたくの渡辺。
そして普通人の松下、普通人なのに外見や立ち居振る舞いが萌え〜だから引っ張り回されるめがね美少女・高橋さん、ヤマモトラブラブで必死に萌えを理解しようとするが常にズレている桜子ちゃん、などなどがむちゃくちゃなことをするギャグマンガの、完結編。

まあだいたいこういうマンガで展開されていることというのは、オタクのヨタ話で話題になることばかりである。ということはそれらを凌駕するほど面白い展開にしなければならないのだが、それを見事に最後まで達成しきった。
単行本あとがきに「最終回はみんなが部屋でうだうだしているだけで終わりにしようと思った」みたいなことが書いてあったが、作者もそういうヨタ話で本作ができあがっていることに自覚的なのだろう。

この巻では萌えを理解しようとして常にトンチンカンな行動を取ってしまう桜子が、個人的には非常に秀逸だと思った。
面白いのはまったくトンチンカンなことをしているのに、それが一周回って「萌え」になっていることである。本作では「狙いすまして萌え的行動を取られるとかえって萌えない」という意見があるが、桜子まで徹底されるとかえってかわいく見えてくるのである(作中では邪険に扱われるのだが)。

「萌え」とはまさしく「北風と太陽」みたいなことなんだろう(笑)。

「激闘!萌えしりとり竜王戦」はテレビ番組「虎ノ門」でときおりやる「しりとり竜王戦」のパロディだが、その完成度はあまりに高い。すばらしいです。

さらに、オールマイティに萌えるはずのヤマモトには中学生の妹がいるため、「妹萌えだけはわからない」という設定には爆笑。
まあ実際には平気で「別腹」だと言いきる人が実際にいそうだが、とにかく全編とおして笑わせてもらった。

ところで、作者はたぶんカミングアウトしていると思うけど背のちっちゃい子が好きみたいですね。

ちなみにオビに推薦文を書いているのはめがねっ娘声優の門脇舞

4巻の感想

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・「妄想戦士ヤマモト」(4) 小野寺浩二(2005、少年画報社)

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たぶんヤングキングアワーズ連載。
萌え妄想にとらわれている哀しい漢(おとこ)たちの繰り広げるドタバタをおもしろおかしく描いたギャグマンガ(なんちゅー説明だ)。

プロジェクトXのパロディで「猫耳少女にかけさせるメガネ」を開発しようとする「プロジェクト猫耳の星」、何のとりえもない松下の日常に、とつじょラブコメ的フラグが立ち始める「幼なじみ狂想曲(ラプソディー)」が面白かった。

メイド喫茶における新オプションを次々に考える「メイド喫茶地獄変」は、本当にオタク同士のヨタ話にありそうな感じだが、そこをきっちり物語に仕上げる手腕はさすがである。

3巻の感想

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・「ボボボーボ・ボーボボ」(21)(完結)  澤井啓夫(2006、集英社)

Bobobo21_1

週刊少年ジャンプ連載。
この巻の白眉は「大人の女・横浜の純子」だろうね。もう笑い転げましたよ。

で、この巻でひとまず最終回。
とりあえず総括してみると、まずシュールギャグという点では少年マンガでは群を抜いていたでしょうね(4コマでは施川ユウキとかがいますが)。これだけのぶっとびを許容できるのはジャンプしかない。
しかも、中盤になってからジャンプパターンのバトルものへシフトさせつつ、マジな展開にしないでギャグのボルテージを落とさないことに成功。
これはダウナーな感じでバトルものを茶化しているうすた京介とは別のベクトルで、棲み分けがはかれたと思う。
逆にそれがうまくできなかったのが尾玉なみえだと思うんだよね。尾玉なみえ、大好きだけど、ジャンプでギャグを長期連載化させるのはその辺にむずかしさがある。
一方で、大亜門の「もて王サーガ」はまた別の方法を探り当てたみたいだけど、「スピンちゃん」が好きだった私としてはマンガ家として生き残れたことは喜びたいが、最近の「もて王サーガ」はよく知らない。

現在、本作は「ドラゴンボールZ」みたいにジャンプでは仕切り直し連載中。正直大丈夫か(違うキャラクターで新連載をした方がよくはないか?)とも思うけど、「真説 ボボボーボ・ボーボボ」としてやっています。

20巻の感想

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・「ボボボーボ・ボーボボ」(20) 澤井啓夫(2006、集英社)

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週刊少年ジャンプ連載。
とにかく、読者応募キャラクター「じごくのイルカ」があまりに最高すぎる。
もちろん多少のアレンジは加えられているが、自由度の極端に高い本作のキャラクターは、小学生の妄想ときわめて親和性が高い(他の児童マンガと比べても)ことがわかる。

19巻の感想

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書きにくいよココログは!!

はてなダイアリーに比べると使いづらいと結論を出さざるをえない。
そもそも、書き込みページを別に開かないといけないのがメンドくさいし。
確かライブドアブログとかもそうですけどね。

うんこーうんこーとか、気楽に書けない雰囲気がありますよ。

ハッ、もしかしてうんこ禁止? うんこ禁止令?

徳川セックス禁止令?

なんかGWに金使いまくって、今はつまらん人生。
もうダメだー。

雪国もやしは
めちゃめちゃ高いから
みんなぜったい買うなよ!!

雪国もやし
(注:音が出ます)

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劇画ぴかれすく(「女犯坊」掲載)(2006、笠倉出版社)

チャンプロード5月号増刊「劇画ぴかれすく」に、原作:坂本六有、劇画:ふくしま政美「女犯坊」第二話「吸精鬼女」が載っています。
ちなみに「女犯坊」の新シリーズは、前回は「浪漫」という雑誌に第一話が載りました。
現代にタイムスリップしてきた竜水が荒れ寺に住み着き、妖魔と戦うという基本設定です。

雑誌は、30年くらい前のエロ劇画誌といった風情で、コンビニ売りしているかどうかなどは確認していません。
私は、店の半分が文庫本、残りの半分はエロ雑誌とエロマンガが置いてある、地元の老夫婦がやっている本屋で購入しました。

他には前田俊夫「淫鬼百物語」などが掲載されています。

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【映画】怪奇!幽霊スナック殴り込み!

公式ページ
監督・脚本:杉作J太郎

スナック「キャニオン」に幽霊が出現。一方、キャニオンのママは、刑務所に入っている夫のために刑事からスパイ行為を強制されている。
がんじがらめの状況の中、幽霊の復讐が思わぬ方向に転び始める。

「幽霊」の話と、「スナックのママ」の話、二つが同時進行するので、プロットが掴みづらかった。
また登場人物も多すぎる気はする。

ただこういう評価は反則気味だとは思いつつ、杉作J太郎がインタビューなどで言っていることにあまりにも共感してしまったので(悪人を妙にカッコよく描く映画はイヤだとか、弱いものいじめはしちゃいけないという当たり前のことを描きたいとか)、この火は消しちゃいけないという気持ちが自分には強い。

東映好きで有名な監督だが、お話は往年のパターンをなぞるわけではなく、意外に複雑でストーリー自体の興味で引っ張る作品になっている。
有名人がたくさん出ていることで話題になっている。たぶん制作費の問題で知り合いに出てもらったとか、話題づくりの意味があったと思う。で、そのことの効果自体は否定しない。だけれども、どうしても映画のシーン本来の意味以外の意味が、有名人出演によって生じてしまうことも否めない。
そんな中、役者としてはリリー・フランキーのニラミ演技はけっこう良かったと思う。あと「任侠秘録」の話だけど吉田豪がガンを飛ばすと普通に恐い。

二本立ての映画が終わると杉作J太郎本人ほか出演者が登場、知り合いだという歌手の歌とダンサーのダンスの披露があり、妙な寸劇があった。
これ、上映期間中毎回やっているのだと思うと、何かえもいわれぬ感動がこみ上げてきてしまった。

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【映画】任侠秘録  人間狩り

公式ページ
監督・脚本:杉作J太郎

チンピラ二人のシノギは、「人間狩り」。お客の注文通りの女を拉致してきて、三日間自由にさせる。その後、もし女が惚れたら手を引く。
二人は謎の中年男・飯島の注文を受け、彼を車に乗せて目的地・熱海まで向かう。

杉作さん脚本の映画を2本見たわけだけど、特徴として意外に「序盤でストーリーが掴みづらい」というのがあると思う。
コレが、観客の予想を裏切るためにわざとやっているのかは見ていてわからないが……。
で、本作も単純な任侠モノかと思わせておいて、序盤からいったいだれが主人公なのか、どこに物語が向かっていくのかわからない仕掛けになっている。
そして、それが本作ではよい方向に向かっていると思う。

画的にはギミック的なものは何もなく、ロード・ムービー的にお話が進行していくのだが、プロットの興味だけで引っ張り、当たり前のものを映し続けているのもいいと思った。
出演者も(いろんな意味で)豪華なのは「幽霊スナック」と同じなのだが、掟ポルシェが浮き世ばなれした外見だったりするのは、お話のファンタジー性を高めるいい方向に向いていたと思う。

非常にいいクライマックスからラストへ向けての展開だった。

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・「姉犬」 (1)   むらさき朱(2006、フランス書院)

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成年コミック。月刊COMICパピポ連載。外見は人間ソックリだが遺伝子レベルでは犬猫と同種、という「眷属」という動物が見つかり、街ではそれをペットとして買うのが流行。
要するに、ハタ目には全裸の美少女に首輪付けて連れて歩いているようにしか見えない世界で、最初に「私もそういうプレイがしたい〜」というメガネで巨乳の淫乱管理人さんが出てくる。
で、その人の話かなと思ったら、その管理人さんとプレイを繰り広げる青年・潤一の同級生・美帆が弟から「ウチは貧乏で眷属が飼えないから友達にバカにされるう〜」とか言われて、仕方ないので(!)、「おねえちゃんが眷属の代わりになってあげる」とか何とか言って全裸に首輪付けて登場。
弟がとつぜん「おっぱい触っていい?」と言い出し、「それとこれとは別だろ!?」と(読者である私が)ツッコミを入れるのもかまわず美帆が弟とセックスして、
その後弟の友達にマワされちゃったりして、どんどん深みにはまっていくという話。

このテの話、根強いねえ。
今後出てくるかもしれないけど、とりあえずオスの「眷属」がまったく出てこないこともいろいろと考えさせられる。
今後、エロ関係のものはトランスジェンダー的な方向に進むだろう、と私もだんだん思ってきたけど、
それと現状のエロマンガを男女双方が見て同じようにエロいと思えるかどうかはまた別なのだ、というのが私が最近考えるところだったりする。
まあ、もし今が過渡期だったらそんなこと考えても時代がどんどん変化してしまうわけだが。

むらさき朱は基本陵辱モノなので、そういうのがキライな人は注意してください。

えー、とらのあなで買うとオマケが付いたのか。
まあいいや。

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【映画】トム・ヤム・クン!

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監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ
代々、象を守る戦士の末裔であるトニー・ジャー。ある日、大切な象が誘拐されてしまった!
象を追ってオーストラリアに行ったトニー。得意のムエタイで、象を盗んだ悪人をギタギタにしろ!!

これ、ムエタイなのかな?  ものすごい勢いで踏み込んで(たぶん、ヒジ打ちの間合いだから?)、打撃で相手の体制を崩してから関節を決めるんですよ。こんな格闘技、見たことない。スゴイですよ。
アクション的にスゴイのは、階段を上り続けて敵を倒し続けるトニー・ジャーをカメラで追い続けるシーン、
それと次々と襲いかかる敵の腕や足を、毎回違う方法で折っていくシーンでしょうね。
もちろん、マウンテンバイクとの戦いもすごい。

導入部がタルいこと、お話がとっちらかってよくわからない(ヒロインは一人? 二人?)部分があることなどから最初不安になりますが、ラストまで見るとコクのあるアクション映画に仕上がっていたと思います。

お話のマズさは否定できないんだけど、でもこの手のアクションものに関して「お話なんてどうでもいい」とは言いたくなくて。
それは「ブラッドレイン」との比較で言うんだけど、本作では登場人物たちの心情というのは、善人、悪人、強い者弱い者、みんなそれぞれ伝わってくるんですよ。
だからこそ、プロットがわかりにくくても見ている方は把握できるというのがあると思うんですよね。

そしてもちろん、何度も書いてますがお話をカバーするアクションが圧巻!! 
一見の価値アリです。

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【映画】ブラッドレイン

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監督;ウーヴェ・ボル
父であるヴァンパイアに母をレイプされ、殺されたハーフ・ヴァンパイアの女・レインの復讐。

日活の企画、ヴァンパイア&悪魔GO!GO!まつりには拍手を送りたいものの、本作は悪い意味でフツーすぎて評価に困ってしまう。
このテのアクションもの、あまりにも敏感に世相を反映させたりするといやらしくなるものだが、逆にあまりにも関係ないと、現在新作としてつくる必要性を感じなくなってしまう。
それと、キャラクターの個々の感情が切実に伝わってこないのが、見ていて「う〜ん……」と思ってしまう原因かな。

この映画、見る前からみんなそれほど多くのもは期待してないと思う。はっきり言って。でも、その期待値と同じかそれ以下のものしか得られなかったら、本当にすぐに忘れ去られてしまう。

本作って、ツタヤが半額の日にDVDとして借りてきて、家で彼女とかと見て、二人で「やっぱり思ったとおりの出来だったね」って言われちゃう感じですよ。
それでいいの?  って思ってしまう。
同じ吸血鬼ものだと「ヴァン・ヘルシング」にも似たようなことを感じたけどね。

あと個人的にヒロインが好みじゃなかったっていうのも大きいんですけどね。

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【映画】タイフーン

公式ページ
監督:キァク・キョンテク
主演:チャン・ドンゴン

現代の海賊として生きる男(チャン・ドンゴン)には、20年以上に渡る恨みを晴らすための、復讐の大計画があった。
それを阻止しようとする韓国の軍隊の諜報部員みたいなことをやっている人との対決。

テレビで映画ガチンコ兄弟が「劇場版パトレイバーみたい」と言っていたが、実際そういう印象。
ただ描写がねちっこすぎて、途中でちょっと飽きる。
プロットも、面白いことは面白いがワンアイディアで、2時間引っ張るほどの力がない。
ただしおそらくCGであろう嵐のシーンや、波に翻弄される船のシーンなんかはすごい。そういうビジュアルもねちっこいのだ。
日本で比較される映画は「亡国のイージス」などだろうが、「過剰さ」という意味ではこの映画の方が勝ってるかなあ。
「ローレライ」なら別の意味で過剰なので、タメをはれるだろう。

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【アニメ】クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ  踊れ!アミーゴ!

公式ページ
監督;ムトウユージ
脚本:もとひら了

しんのすけの周囲にいる人間が次々と「そっくり人間」に入れ替わる。
サンバのリズムを聞くと勝手に踊り出す「そっくり人間」の正体とは……?

タイトルからして、みんなでサンバ踊りまくって大爆笑、みたいなノー天気な映画かと思ったら違ってて、ホラーテイストなんだよね。
未見だけど「盗まれた町」が下敷きになってるらしい。

自分の身近な人間が次々と「知らない存在」になっていく恐怖が丹念に描かれていて、なかなかに面白い。
それより大爆笑(見る前に想像していたのとは別の意味での大爆笑)したのは、「そっくり人間」の正体。
あまりにも(いい意味で)意味がない!!  こんなに意味がない映画を見たのは「アタック・オブ・ザ・キラートマト」以来だ。それほどにおバカな結末でした。

コレはきまじめに「冒頭のホラー部分と結末が合っていない」と文句を言うより、その無意味性に酔いしれる映画でしょう。
いやほんっとーにいい意味でくだらない。「バカ映画」として昇華させず、妙にきっちりしたところにおとしこんでいるのも、しんちゃん映画としてはかえって正解なのではないでしょうか。
ギャグの文脈でカルト化しちゃったりするのは、しんちゃんにはふさわしくないと思うので。

私は好きですねこの映画。

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【イベント】明日は日本トンデモ本大賞前月祭

「21世紀のトンデモ〜日本トンデモ本大賞前月祭〜」
トンデモ本大賞を一ヶ月後に控え、99年6月以来、久しぶりのと学会ナイト!
ノストラダムス以降のと学会とトンデモをじっくりと語ります!

当日券、少しあるそうです。

【場所】LOFT/PLUS ONE 新宿区歌舞伎町1-14-7林ビルB2
【出演】山本弘(と学会会長)、唐沢俊一(と学会運営委員)、皆神龍太郎(と学会運営委員)、植木不等式(と学会運営委員)、立川談之助(落語家、と学会員)
【日時】2006年5月3日(水) Open18:00/Start18:30
【料金】¥1000(飲食別)

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・「鉄人28号 原作完全版」(7) 横山光輝(2006、潮出版社)

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月刊少年、1959年の本誌、および別冊付録。
アカエイとモンスターが出てきて、えんえん戦う。

6巻の感想

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・「鉄人28号 原作完全版」(6) 横山光輝(2006、潮出版社)

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月刊少年、1958〜59年の別冊付録。あと「探偵ブック」。
鉄人を操縦する電波を遮断する謎の巨大アカエイが登場。ジャネル・ファイブがこれを操って、正太郎を苦しめる。
それと最近のアニメ版にも出てきた「人造人間」がこの回から出てくる。

5巻の感想

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・「鉄人28号 原作完全版」(5) 横山光輝(2006、潮出版社)

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月刊少年、1958年の別冊付録。あと「探偵ブック」。
恐竜ロボットが登場。カワイイ。
後はえんえんと鉄人の争奪戦。

4巻の感想

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・「鉄人28号 原作完全版」(4) 横山光輝(2006、潮出版社)

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月刊少年、1958年の別冊付録。
そうか、この頃は毎月「別冊付録」として鉄人が付いてきてたわけですね。
私もこの頃はリアルタイムでは知らないなあ……。なんで別冊付録のブームがあったんだっけ?
本誌が増ページできないぶんそうしてたのかな?  豆本的な楽しさだけではあそこまで「別冊付録」って定着しませんでしたよね。わからん。

ニコポンスキー、あとギャングのスリル・サスペンスと怪盗・ジャネル・ファイブとかが出てくる。
この頃はまだ鉄人の争奪戦が行われてる。そうか、こんなに長かったんだ争奪戦の期間は。
これは完全版読まないとわからんですよ。

3巻の感想

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【映画】小さき勇者たち  ガメラ

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母親を交通事故で亡くした少年・透(とおる)は、ある日島で光るタマゴを発見する。
中から出てきたのは、小さなカメだった。
空を飛ぶ小さなカメに、透とその友人たちは夢中になる。
一方、海からは謎の巨大生物が上陸しつつあった。

「子供のガメラが出てくる」という情報だけしか知らなかった本作。展開にいささか唐突さは見られるものの、個人的には迫力ある怪獣映画に仕上がっていると思いますよ。
とにかく怪獣の戦闘シーンが、カッコいいんですよ。敵怪獣・ジーダスも迫力があってカッコいい。悪役としての貫禄充分です。
なんつーか、実にキチンといい意味で怪獣プロレスしてるんですよ。コレは映画でしか味わえない感動かも。
ガメラも、「子供でカワイイんだけど奮闘する」というところがよく表現されていたと思います。

ドラマ部分は、「?」なところもけっこうありましたが、最近の子役は演技がうまいねぇ。ということで役者の演技に支えられてかろうじて成り立っている印象かな。
透の隣に住んでいる女の子・麻衣(夏帆)が、オシャマで透のことをかわいがっていて、でも自分の病気(心臓が弱いという設定)に不安も感じている……という描き方で、なかなか良かったです。
似たような役割としては「HINOKIO」に出てくる主人公の憧れの女の子(堀北真希)や、実写版「鉄人28号」の蒼井優より良かったかもしれません。

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・「喧嘩商売」(3) 木多康昭(2006、講談社)

Kenkasyoubai03
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ヤングマガジン連載。

喧嘩最強らしい高校生・佐藤十兵衛が騒動を起こすギャグマンガ。

フルコン空手家・高野との対決。ギャグ部分も面白いけど、意外なことに格闘技部分もちゃんと面白いじゃないですか。総合格闘技(っていうか「何でもあり」)マンガで、最初にフルコン系空手家と戦うって一種のお約束なんだけど、それをきっちり裏切る展開になってますよ。

「マウントからの逃れ方」とか、今どきここまでマジメに考えている人がいるとも思えなかったんで、感動すらしましたね。

2巻の感想

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