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2006年3月

【映画】女番長ゲリラ

THE 女番長(スケバン)全開ガールズパワーラピュタ阿佐ヶ谷

1972年、東映京都
監督・脚本:鈴木則文、脚本:皆川隆之
出演:杉本美樹、池玲子、安部徹、あがた森魚

新宿赤ヘル団の女番長・幸子(杉本美樹)は、バイクで京都にやってきて地元スケバンのシマをあらす。タイマン勝負の果てに地元番長の座を得て、スケバンたちの後見人である元番長・奈美(池玲子)との間に友情関係が芽生える。
だが奈美の兄は暴力団の幹部。きままなシノギを続ける幸子たちを潰しにかかる……。

基本的に、前見たスケバンもの2作と同工異曲、ストーリーにも大きな変化はないが、私の勝手なイメージである「鈴木則文なら下品ギャグ」という面がそれまであまりなかったのに対し、本作はオシッコだの性病だのとシモネタギャグが多い。

主演は杉本美樹だから、それまでの池玲子は降りたのかと思ったら主演の頃と同じくらい出てくる。
杉本美樹は、映画冒頭でイキナリタンカ切って路上で方パイを見せるとそこには薔薇の刺青が!
あいかわらずツカミはすごいシリーズである。

池玲子より身体がひと回り小さく、華奢な杉本美樹は「スケバンのリーダー」という点において迫力はイマイチ。
だが、タレサンに指の出た革手袋という衣装がなんだかいい。

私も東映の映画にそんなにくわしいわけではないけども、とにかく70年代のこのテの映画にはやたらと出ている人であり、顔とかぜんぜん好みじゃなくて「またこの人か〜」と思っていた私だが(その後、よく出るようになった中島ゆたかの方がまだ好き)、15年くらい見続けていたらなんだか好きになってきた。
というか、時代を象徴している人だよね。こういう顔と身体付きでこういう役をやる女優って、もう日本のどこにもいないと思うもん。

途中からとつぜんあがた森魚があがた森魚役で登場、夕暮れの浜辺で「赤色エレジー」を歌ったりする。
悪役は安部徹。安部徹サイコーだよなあ。ずるくてスケベで、コワモテで、でもどこかに知性を残している幹部クラスのヤーさんがハマリ役。逆転されたときのうろたえ顔にもウットリ。

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【イベント】と学会presents「21世紀のトンデモ〜日本トンデモ本大賞前月祭〜」

・「日本トンデモ本大賞前月祭」やるそうです!
5月3日(水)
と学会presents
「21世紀のトンデモ〜日本トンデモ本大賞前月祭〜」
(以下、スケジュールより引用)
トンデモ本大賞を一ヶ月後に控え、99年6月以来、久しぶりのと学会ナイト!
ノストラダムス以降のと学会とトンデモをじっくりと語ります!
場所:新宿  ロフトプラスワン
【出演】山本弘(と学会会長)、唐沢俊一(と学会運営委員)、皆神龍太郎(と学会運営 委員)、植木不等式(と学会運営委員)、他
Open18:00/Start18:30
¥1000(飲食別)
前売はローソンチケットにて発売(発売日とLコード近日発表)
(引用終わり)

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・「失踪日記」吾妻ひでお(2005、イースト・プレス)

sittsou

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マンガ家・吾妻ひでおの失踪ホームレス時代、ガテン系仕事時代、アル中時代などを描いたドキュメンタリー(?)マンガ。

かなり前に読んだけど、感想書かないでうっちゃっていました。
なぜかっていうと、巻末のとり・みきとの対談でレビューに必要なことは言われちゃっているから。

あえてもう一度繰り返すと、生々しい、ドロドロとした不幸話を、ちゃんと自分の作法でマンガとして笑いに昇華しているところがすごい、っていうこと。
あんまりカラッと笑いにしてあるから、「裏凄み」というべきものが見えてくる。ここで切り捨てられていることの恐さが、何となく見えてくるんですよ。
でもそれはあくまでも「裏」であって、表向きは「笑いをとる」ということに照準が絞られている。
まあ、吾妻ひでおほどの才能のある人だから、「戻ろうと思えばいつでも戻れる場所」がある、という部分もあるかもしれないけど、そういうことを覗いてもこれだけシビアなことを、ギャグにしようとする姿勢はすごいなあと思う。

実はかなり前に読む、そのさらに前に、買っておいて積ん読の期間が長かった作品でもあった(ここから先は私の自分語り含む)。
というのは、作者が放浪生活を送ったことがあるというのはもう十数年前から知っていたし、なんかの単行本に収録された話でもアル中だったことは知っていた。

ガス配管工の仕事をしていたことも、いしかわじゅんのエッセイなどで知ってた。
だから、本作が売れて、話題になったと知ったときに、私自身は「吾妻ひでおは失踪してた!」ということはスキャンダラスな売りにはならなかった。
それに、吾妻ひでおは実話マンガよりもSFギャグマンガ家として評価されることの方が大切だ、いやそれよりも失踪するしないとか言っていた頃になんで吾妻ひでおが若い世代のマンガファン(具体的には現在二十代後半くらい?)に忘れられかけているんだ、という憤りがあったので、何か手にとるのが悔しかったということは正直、あったりした。

そもそもが、吾妻ひでおの代表作というとアニメ化された「ななこSOS」か、星雲賞を受賞した「不条理日記」ということになるんだろうけど、
前者は作者が「アイディアよりもキャラ先行で乗り切ろうとした」というようなことを言っていた作品、
後者は内輪ノリの濃厚な作品で吾妻ひでお初心者にはとっつきづらい。

そういう、ある意味一般的でない世評が定着しつつあった上での「失踪日記」だったから、
「なんだ、またSFギャグマンガじゃないのか!」と思ってしまったのだった。

しかし、本作はマンガ家・吾妻ひでおのスタンスをみる上で非常に興味深い作品であることは間違いない。
なぜなら、彼流のSF的な変な人物、宇宙人と、彼が失踪時代、配管工時代、アル中時代に出会ったいかがわしい人々、変な人々がほぼ等価に描かれているからだ。

これはSFマンガ家としての吾妻ひでおの想像力、逆に実話マンガ家としての彼の、実話の制御力とでも言ったものがそれぞれの作品で発揮されているからで、そこに吾妻ひでおの自作に対するポリシーを読みとることができるのだ。

これを機会に、もう一度かつての吾妻ひでおがマンガにもたらしたものは何だったのかを考えてみたい気分にさせられた。

(関連エントリ)
うーむ日記

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【映画】SPL 狼よ静かに死ね

公式ページ

監督:ウィルソン・イップ

デブったやくざのボス(サモハン)に、証人一家を殺された刑事は、残された娘を養女として引き取り、復讐を決意。
一方、デブやくざもまた、赤ちゃんが生まれてご満悦。しかし悪行三昧。

どうしてもデブやくざを監獄にブチ込みたい刑事たちは、非合法なことをやりまくる。
「どっちもどっちじゃん!!」
観客のツッコミをヨソに、非合法刑事はいかがなものかと思った新任刑事がサモハンにカンフー勝負を挑む。

感想……私のいちばん好きじゃないタイプのプロット。
「正義が摩耗、劣化している」というか……ここに出てくるのは強い心と力を持った凡人たちで、それを監督は狙っているのだろうけど、そういう人たちは現実にいくらでもいるしね。

70年代のアメリカンニューシネマも、既存の「正義」に大きく異議を唱えた映画群だったと(そんなに見てないけど)思うのだが、21世紀には「正義そのものがないのだ」と声高に主張してよしとする作品が多すぎた。

確かに、「正義の刑事」ですらスネに傷を持ち、物語全体の中では脇役に回っているところなど、面白いことは面白いが、少なくともあまり胸のすく映画ではなかったね。

ちなみにカンフーアクションはすごいです。サモハンがグラウンドに持ち込まれて三角締めやられたりするところは興奮もの。

でも、お話がダウナーだからあまり好きじゃない。

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【書籍】・「ヴォイニッチ写本の謎」ゲリー・ケネディ、ロブ・チャーチル(2006、青土社)

voynich

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「ヴォイニッチ写本(手稿)」とは、15世紀頃に書かれたという謎の本。まったく解読できない文字で書かれ、地球上には存在しない植物が描かれ、他にも占星術っぽい図や、湯浴みする女性たちなど謎の挿絵が書かれている。

ヴォイニッチという古書店主が発見、ロジャー・ベーコンが教会の弾圧から目を逃れるために暗号で記した科学書だとも言われ話題になるが、けっきょくそういう解釈での暗号解読はデタラメだとわかる。
以後、何十年にもわたってこの本の暗号解読が試みられる。錬金術師エドワード・ケリーがルドルフ2世に売りつけた偽書、というセンが濃厚なようだが、真相はまだ解明されていないそうだ。

アマゾンレビューでは「今いち浅いが、類書がないので貴重」といった意見が多かった。一読してみるとそんなことはないじゃん、と思ったのだが、よくよく考えてみるとルドルフ2世やジョン・ディー、エドワード・ケリーあたりのことにくわしい人なら、少々食い足りないかもしれない。
また、暗号解読に詳しい人も、言わずもがなのことに何ページもさいていると思うだろう。

まあ、私としてはその辺のことを知らなかったので面白かった。本の正体に関していろいろな説が提示されているが、人工言語やアウトサイダー・アートというセンは個人的に、さすがに無いと思う。
もしも15〜16世紀のものだったとして、精神を病んだ個人が、対外的にはほとんど意味不明、しかも単なるデタラメではなくていちおう解読してみようと思わせるようなものを、何の目的もなく「本」という体裁にしたとは考えにくい。本作でもそのタグイの類書は提示されていないし……。

ヴォイニッチ写本の名前の元となった、発見者のヴォイニッチの人生も非常に波乱に富んで面白かった。民族主義運動などに相当入れ込んで投獄されたこともあり、出獄して古書店主になってからもその手の運動をしていたらしい。
古書はけっこうえげつない方法で仕入れていたらしく、商人のエゲツ無さと社会運動への情熱の両立した人というのは興味深い。何となく平岡正明が好きそうな話だ。

実は本書を読むまで私はこの本の存在を知らなかった。見た目あまりにも不思議なシロモノなのだが、70年代の神秘ブームでも子供の目には触れなかったようだ。UFO、宇宙人、ネッシー、幽霊などハデなものに直結しなかったからかもしれない。

オトナになってからこういうものに、妙な方向でかぶれると非常に危険なので(おそらく、海外の研究者はジョークまじりでオトナの余裕でやっているのだろうが)、個人的には気を付けたい。

(参考)

解読不能の書 ヴォイニッチ手稿はデタラメか(1)X51.ORG

解読不能の書 ヴォイニッチ手稿はデタラメか(2)X51.ORG

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・「奴隷女教師 魔性のカリキュラム」平岡竜一(2005、海王社)、・「真・奴隷女教師 魔性のカリキュラム」平岡竜一(2005、海王社)

sindorei

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成年コミック。「みこすり半劇場 巨乳ちゃん」連載。美人女教師が、「性教育委員会」という生徒間の秘密の輪姦組織の罠にハマり、ドレイにされてしまうという調教モノ。

絵柄が少年マガジン風というか、「サイコメトラーEIJI」、もしくは「アクメツ」あたりを連想させるのに一瞬驚き。アシスタントかなんかだったのかな。

内容は、美人教師が性奴隷に堕ちていくというものですが、これ基本ラインはまいなぁぼぉいの「景子先生シリーズ」ですよね(もしくはその原作)。いやパクリがどうだとか言いたいわけではなく、作者が読んでいるのは確実なのでは。
まいなぁぼぉいの方が徹底して「堕ちそうなところで堕しない、でも堕ちる」というのを描いていたのに対して、本作はほとんどすぐさまヒロインが自分のM性を自覚し、「真」の方ではほとんど積極的に関わってくるから、まあそういうのよく知らない自分にとっては展開はSM作品というよりは痴女モノに近い印象ですね。

作者あとがきでは、12回の連載回数の予定だったのが20回に延びた、と書いてあるので、それが原因かもしれませんが。

「そういうの」が好きな人にはオススメできます。

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【映画】女番長ブルース 牝蜂の挑戦

THE 女番長(スケバン)全開ガールズパワーラピュタ阿佐ヶ谷

1972年、東映京都

監督・脚本:鈴木則文、脚本:皆川隆之
出演:池玲子、渡辺やよい、杉本美樹、潤まり子、宮内洋、荒木一郎、小山明子、小池朝雄、梅宮辰夫

京都を地盤とするすズべ公グループ・パール団は、大阪のスケバングループと抗争を繰り広げつつ、地元の暴力団にも目を付けられて売春組織の構成員にさせられそうになる。
それに戦いを挑むパール団リーダー・池玲子。

全編に流れる「反権力」のクスグリに耐えられるかどうかが、本作の評価を分けるかもしれない。
たとえば売春組織において、お客さんに合わせてセーラー服や色っぽい衣装などを女の子たちに配るシーン。
「なんでか婦人警官と自衛官だけは人気ないなあ」
と、チンピラやくざがつぶやく。

オープニングは舞妓さんに化けたパール団の一員(たぶん)が、ホームレスのばあさんから小銭を盗む!(ひでー)
「朝日ジャーナル」を往来で広げた池玲子、「なんだ、むずかしくってぜんぜん面白くない」と言いつつ、
街頭の雑誌販売の店に行って「マンガと取り替えて!!」
そして「少女フレンド」を広げて、他のスケバンメンバーとそれを読みながら大笑い。

いやこういうの、ホント最近見ないから個人的にはウットリしてしまいましたよ。

「婦人警官や自衛官の制服だけ人気がない」なんて、ウソもウソだと思うけど、フェチ的な混ぜっかえしがないだけわかりやすいとも言える。
っていうか、最近私はそういうフェチ的な価値転換、価値相対化みたいなもの、大切だとは思うけどそっちに偏りすぎてもなあ、と思っていたところだったので、見ていてニヤリとしてしまった。
(もちろん、時代的にはこのテの権力批判が無効化してしまったから、フェチ的混ぜっ返しが出てきたという順序なんだけどね。)

それと、実はある時期まで監督の鈴木則文もあまり好きではなかった。70年代後半以降の鈴木則文の映画ってものすごく泥臭く感じていたし、本質的に下品だし、貧乏くさいとも思ってた。 でもトシは取るもんで、今ではそれらにはそれなりに理由がある気がするし、何よりも展開が飽きさせない。

本作では、主人公は三重に抑圧されている。まず世間的には「母親のいない子」として抑圧され(たぶんそれが理由で)ズベ公になり、次にアウトローの世界でも大手暴力団に抑圧される。さらに女であるために売春組織に組み入れられそうになる。

それらすべてに抵抗していく池玲子がカッコいい。顔立ちがエロすぎて、今じゃぜったいありえないタイプ。
叶姉妹や倖田來未は、きっと彼女のパロディなんだな。

池玲子のライバルは、純だったけど集団就職で田舎から出てきて工場長に襲われてからグレてしまったという子。この子の宮内洋への純愛が報われないところがせつない。その理由が、宮内洋が貧しいためレーサーを目指しているからだったりとかのエピソードもズバッと一本筋が通っている。

また、池玲子(すいません役名忘れました)の母親がなぜ彼女を捨てたのか、その理由は母親もまた、何かに抑圧されていてそこから解放されるためだった、ということも堂々と描いたりする。

これはもしかしたら深作欣二だったら女の弱さにするか、梶原一騎だったらマザコンの裏返しの憎悪とかを描いたりするかもしれないけど、
この映画だと「何かから解放されるために戦った者」として親子を同列に描いてしまうところがすごいなあ、と。

全体的に、これみよがしじゃないところがすごいです。
いや反権力テーマはしつこいくらいに出てくるけど、それ以外はまったくの娯楽作品だから。

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クオーツしてみない

クオーツしてみない道中陣ブログ

いやあ、さすがにそれは昔の女子高生も使ってないでしょう……と思います。
70年代の映画でも「ホントにこんな言葉使ってたのかなあ?」っていうのがあって、「友達のヨッコがさあ、彼氏とアレしてDラインなんだって。だからカンパしてよ!」とか、ちょっと信じられない。

でも、知り合いが小学生か中学生の頃、カンニングのことを「強力わかもと」と呼んでいて、その理由は、
「カンニング→協力する→強力わかもと」
という脱力するものだったので、まったくないとは言いきれなかったりもするんですが。

小池御大は、そういう造語を自信を持って使っていたと思う。それはもう小池語録なんだからオールオーケーだと思いますが、
そうではない人で、若者言葉とかけっこうテキトーなことを書いているってのはありますわな。
たけしが「昔のテレビ局の人間は東大とか出てて遊んでないから、現代の若者像として、ディスコでモンキーダンスみたいなの踊って『イカすじゃん!』とかまだ言わせてる」って20年くらい前に言ってた。
「東大」とか「モンキーダンス」はたけし特有の決めうち、誇張だとしても、
実際に他ジャンル、わからない世界をかなりテキトーに書いていたことは事実。

有名な「スパイダーマンブギ」とか、そういうところから起こった事故だと思うしね。

でも、小池御大はオールオーケーです。私にとっては。

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・「喰いしん坊!」(6) 土山しげる(2006、日本文芸社)

kuisinbo06

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週刊漫画ゴラク連載。 鳥飼とのカレーうどん対決→どら焼きの大食い。

「おいしく食べる」ということと、大食い(苦しくても食べる)との矛盾をうまい具合にごまかして良質のエンタテインメントに仕上げてある。

鳥飼のモデルってアンガールズの山根? そして作中でお腹がすくようにとやっていた体操はジャンガジャンガ?

5巻の感想

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「ワイルド7」のページの左右問題

2006.3.16 ページの左右が狂っていない「あしたのジョー」が読みたいササキバラ・ゴウのサイト

ササキバラ・ゴウ氏が近頃「ワイルド7」の単行本の編集をしていたら、雑誌掲載時のページの左右の違いについて気付き、調べ始めたらたいへんな仕事になってしまった、という関連から昔のマンガが単行本化される際の「ページの左右」の問題について語られています。

実は私、望月三起也というのは、単行本化する際の区切りを連載時に決めながら描いていた、と思っていたんですよ。
たとえばストーリーは続いていても、単行本で区切りが付く場合、次の巻の始まりはトビラの次に見開きから始める、とかね。
ラストも、そこが単行本の巻末になるとわかっているなら、見開きの、通常の連載のヒキよりはやや大げさなヒキで終わらせる、とか。

実際確かめたことはないんですが、感覚的にそう思っていました。

で、リンク先のテキストで連載時には予期されなかった改変がかなり昔の単行本では行われていると知り、
冷や汗が出ました(笑)。

いやー、半可通ぶって「望月三起也は連載時に単行本の区切りを意識してた」なんて吹聴しなくてよかったですよ。
でも、不思議なことに、自分が「連載時と単行本の、読後の感覚の違い」を初めて意識したのは望月三起也であることには間違いないんですけどね。

どちらにしろ、こういう比較研究はもっと行われていいと思います。
ムチャクチャ大変だとは思いますが……。

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うーむ日記

これねえ。

まあ、最大限レビュアーの意図を読みとろうとするなら、
2つ思いこみがあると思う。
一つは、ドキュメンタリー(実体験を描く、ということ)について。
もう一つは、ギャグについて。

まずドキュメンタリー。
もちろん、「実体験を描く」ということとドキュメンタリーはイコールではないが、話をそこから始めないと始まらないもんでね。
ドキュメンタリーだって、対象を徹底的に突き放して見て描くか、あるいはとことん対象に肉薄して、自分が出来事の一部になって描くという方法があり、どちらがいいかには議論がある。

「実体験」ということに絞れば、自分と出来事との距離感には無限の取り方がある。
まるで他人事のように自分のことを描く人もいれば、
自分と対象物が不可分であるかのような描き方をする人もいる。

「事実を描く」という点ではどちらも正しくは、ない。
ぜったいに正しくはなれない、と言った方が正しいか。
しかし、とくに自分の体験である場合、完全に客観的にはぜったいになれないのだから、客観視するにしろ、自分と対象を不可分のものとするにしろ、その触れ幅のどこかに自分を定めなければならない。
「実体験」とは、事実をそのまま見るということではなく、その「実体験者」の視点というフィルターを通して、読者が追体験することだ。

で、その「触れ幅」のどこを好みとするかは、まあ人それぞれだろう。
この「人それぞれ」っていうのが重要で、「実体験はこう書かなければならない」という正解は、私は無いと思いますよ。
(もちろん、面白いつまらないの差はどんな手法を用いたってでてきますが。)

それと、「『実体験』の部分が本当に聞いた事も無いような出来事ならば コミカルに描いても成立するかもしれません。 」って書いてあるけど、
それは逆でしょう。

聞いたことのないことは、読者は想像できないのだから、「常識」というおとしどころをきっちり規定しないとどこで笑っていいのかわからなくなってしまう。
それに、珍しいだけの題材なら「コミカル」にする必要もないでしょう。
「珍しい体験」という「ネタ」があって、それに「コミカルに肉づけしてやろう」って思うのは、もうそれだけでフィクションの作劇法ですね。それは極端に言えば「ウソをついてやろう」ってことだから。

もっとも、実体験を描く際にすべて本当でなければいけないか、という問題もあるんですけどね。

それと、後は「人間って何だ」ってことだよね本当に。
どん底なのに笑うしかないってこともあるし、
幸福の絶頂で無性に哀しくなることがあるかもしれない。

そういうことでしょ。
とくに「実話」っていうのは、話者がたいへんでも聞いている方が笑えてしょうがないとか、
話者が笑わせようとしているのにそれがかえってイタくて哀しいとかね、
そういうこともあるジャンルだから。

そういうのがわかんないとね、まあはっきり言って読んで感想書くのはキツいですね。
ネット上ではどういう評価がくだるのだろうと、漠然と思うけど。

追記:
未だにトラックバックってどういうものかわからないので、リンク先には送らずにいたんだけど、後から送りました。

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【映画】真・救世主伝説・北斗の拳 ラオウ伝・殉愛の章

公式ページ(注:音が出ます)

監督:今村隆寛
2006年、東宝

全5部作のアニメを3年がかりで完結させるプロジェクトの第1弾だそう。
ケンシロウ、ラオウ、シュウ、サウザーたちの確執がメイン。
いきなり拳王としてのラオウが出て来ちゃって、5部作だとしたら今後どうなるのかわからないけど、
とりあえずこの作品は楽しめた。

武論尊のシュミなのか、ラオウが原作以上に善玉になっている。
「力を使ってでも秩序を取り戻さなければならない」と主張し、「覇業」を成し遂げることを目的としているのがラオウ。
ケンシロウとどういうふうに対立しているのかは、まだ不明。
まったくの悪党はサウザー。
シュウは仁星の持ち主として受難者となる。

911を経ている以上、ラオウはただの善玉では済まされないだろう。おそらく「力だけの支配はダメだ」ということで、今後ケンシロウやトキと対立するのだろう。

映画としては、マンガでもかなりごまかされてきた「いったいどれくらいの範囲でみんな行動しているのか?」といった空間的な広がりを遠景などを入れつつもうまくごまかし、さしたる説明もなしに、核戦争後の地球で覇権争いが起こっていることを描いているところはよい。

また、頻繁に子供が登場し、「次代の子供に未来を与える」というテーマがズバッと通っているから、見ていて気持ちがいい。

昔から言われていたことだがきわめて神話的な要素が強い。人質の子供たちの命を助けるために石を運ばされるシュウの受難の意味がアニメで改めて見てわかったり、
ラオウはあくまでも現世の王で、ケンシロウはそれを超越した、理念をも包含した「救世主」なのだな、と見ていて納得してしまったりした。

あとほんの少しだけ、演出にメリハリがあればなあと思ったが、本作は一定ライン越えているでしょう。

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【映画】イーオン・フラックス

公式ページ
監督:カリン・クサマ、2005年、米
主演:シャーリーズ・セロン

未来社会の反政府主義者の戦いを描く。

いや〜これ何なんですかねえ。まるでわかりませんでした。
メインのネタに言及するとそれだけでネタバレになっちゃいますが、
「繰り返し人生を味わう」ということに対する恐怖感、嫌悪感は、つきつめて考えたわけではないけどなんとなく「輪廻」という概念を持つ日本人には理解しがたいところがある。

それと、SF的設定もいつのかよ、ってのはあるなあ。

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・「バキ」(29) 板垣恵介(2005、秋田書店)

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週刊少年チャンピオン連載。
アライJr.がボコボコにやられるの巻。
ギャグかと思ったら(そんなわけはないが)、作者側では違う目論見があったらしい。
それにしてもバキのカノジョはヤな女だよな。

あ、そういうふうに言うと怒られるの?
だれも貞淑でいるべきだとかお行儀良くしなきゃとか、ひと言も言ってないのに?

28巻の感想

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・「バキ」(30) 板垣恵介(2006、秋田書店)

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週刊少年チャンピオン連載。 あいかわらずボコられ続けるアライJr.。しかしくじけない彼は、刃牙と地下闘技場で戦うことに。

29巻の感想

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・「バキ」(31) 板垣恵介(2006、秋田書店)

baki31

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週刊少年チャンピオン連載。
ついに地下闘技場で戦う、アライJr.と刃牙。
正直、「なんじゃこりゃ!?」ですよ。
雑誌で読んだときには怒りすら覚えました。

で、その後、この「バキ」がいちおうの最終回を迎え、次の「範馬刃牙」に移る際のインタビューで作者が、「刃牙と勇次郎は最終的に戦わないといけないので、両者の強さのバランスを調整しないといけない」とか何とか、書いてあった記憶がある。
要するに、刃牙のレベルアップのための噛ませ犬だったわけだねアライJr.は。

まあ、思わせぶりに出ておいてマウント斗場に踏みつぶされて終わっちゃったやつも過去にいたし、そういう意外性ってのはいいっちゃいいんだけど。
「全局面型ボクシング」っていうのがいったい何だったのかイマイチよくわからなかったし、キャラクターのパワーバランスの調整を、単行本2巻半くらいかけてやられては、正直読んでる方はたまらないですよ。勘弁してほしい。

「バキ」全般を総括するとすれば、いちばん盛り上がったのは死刑囚編の最初の方の花山薫の戦いだけで、後はなんだか武器を使うやつがいたり伏線が活かされなかったり、おとしどころがむちゃくちゃだったりと、毎週毎週連載されているという「即興の面白さ」を加味しなければ、とても面白いとかつまらないとか感じられるレベルのものではなかった、と言わざるを得ない。
まあ、それでも毎週読んでることは読んでましたけどね。

30巻の感想

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駄文をどのくらい急いで書けるか実験2

レーサー  レーサー
おれはレーサー
レーシングカーに乗って
コンビニ  行くぜ〜

でも逮捕された〜

レーサー  レーサー
おれはレーサー
交番  行って
言ってやったさ〜

「おれをなんぴとたりとも追い抜けねえ!」

でも無視された〜

おれのマシンはエンジンが
スペースシャトルと同じやつ
装甲版は超合金
おニューのシャツはユニクロ製

カノジョはちょっと  ゴモラに似てる
とくにツノみたいな髪型がよく似てる

「うぉーい!  おれは世界一のレーサーに、なるんじゃあー!!」
海で叫んだおれだった
帰りのクルマでサザンを聞いた
そうそう、サザンクロスキッドね
高千穂遥原作だって?

それにつけてもメロンが食いたい
アンデスメロンが食いたいな

あっ、そういえばもう「いいとも」の時間だ
「いいとも」の井上和香がどんなファッションなのか

それを見るのだけがおれの楽しみだ……

あとはマシンの手入れが22時間
睡眠時間1時間

労働組合つくろうかな
でも労働組合つくっていると
井上和香を見る時間がなくなるからつくれない

レーサー……
おれはレーサー……
(完)

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しょくん!

呉智英は「諸君!」4月号に「『全共闘』を一括りにするな」という文を書いているらしい。
実際に読んでないのでアレだが、要するに「いつの時代にも繰り返される俗論にすぎない」ということのようだ。
ちなみに「このマンガを読め!2006」[amazon]においては、こうした繰り返される「俗論」に関し、別の話題に関して呉智英夫子は個別に違う見解を表明している。
いろいろと興味深いが、今回は「興味深い」というだけにとどめる。

まず「諸君」を買ってこなければ。

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センス競争は善、もしくは必要悪だと思う。

センス競争は悪か?死に舞
ムハンマドの風刺画に関しては、問題が問題なだけに不勉強な私は何とも言えないが、
上記エントリのその他のおおまかな主張は大いに理解できる。

なお、このエントリのきっかけになっている論争? やりとりについてはどこかにまとめサイトとかが……あるのかな?
とにかくそっちを参考にしてもらうことにして、
一般論的に言えば文化系の後輩と先輩との間に、ときには行われてきた議論、と言えなくもない。

が、90年代という時代ということで言えば(そして上記エントリのリンク先のやりとりに関連させれば)、
小西〜小山田が構築した、あるいは構築したとされるセンス、教養の大系が、意外にも下の世代にとっては権威化した、ということになるのかなあ。

ま、実は私はリアルタイムではいわゆる渋谷系にはまったく興味がなかったのだが、「レコード大量消費」という観点で言えば私が好きだった「テクノ」は近接領域であったと思う。
で、90年代「テクノ」の観点(あ、あとHIPHOPも含むか)からすると、レコードを大量消費してどれもこれも平等に(もちろん「センス競争」に勝ち抜いた上での平等だ)ターンテーブルの上に乗せる、という行為は、ある種既存の価値観を破壊することであったと思う。

破壊の果てには、保守化か、あるいはもっと再現のない破壊が待っており、部外者を喜ばす言い方とすれば、

保守化=モーヲタ
再現のない破壊=オレンジレンジ

なんていう口当たりのいい図式化もできるが、私はこの立場はとらない。

繰り返します、この立場は取りません。

モーヲタに限って言えば、広い意味でのDJ文化というのは、「歴史性をカッコにくくってどれもこれもターンテーブルに乗せてシャッフルしてしまう」という行為であった。
一つひとつの楽曲に対し、これはだれが初参加であれはだれの卒業時の曲だった、といちいち(ときには過剰なまでに)意味づけをする「モーヲタ」のあり方は、DJ文化と対応してみせれば小西〜小山田とは別ラインの「音楽にとっての意味の再獲得」であったということは確実に言えると思う。

(だからこその「ね〜え?」でのあやや楽曲への小西の参加が、言葉本来の意味でのコラボとしてエキサイティングだったのだ。まあ予想よりは売れなかったみたいだけど。)

そこでまた「ハロプロだけのDJイベントとかあるじゃねえか」と言う人がいると思うけど、「ASAYAN」という泥臭い物語を「経て」の結果であるということに留意いただきたい。

ちなみに「経て」っていう、「ごっつええ感じ」のスペシャルかなんかのときのコントは面白かったね。

穏当なまとめとしては、「渋谷系」から10年、「おっはー」なんてはしゃいでる時期でもなし、「レコード大量消費」とか「レコードを掘る」といった文化に関し、テクノ、ハウス、HIPHOPとは別に、小西〜小山田のやってきたことをもう一度見直す必要はあるということなんだろうな。

そしてそれはけっきょくどういうことかというと、「センス競争」ということなんだよねコレが。

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駄文をどのくらい急いで書けるか実験

ピザ、頼もうピザ。
30分以内に届かなかったらタダなんだって!
「もしもーし」
「はい、こちらピザードミラノです」
「ピザお願いします」
「はい。では『ピザ』って100回言ってください」
「え?」
「いちおう規則になっておりますので。100回言ってください!」
「ピザ、ピザ、ピザ……」
(数分経過)
「100回言いました」
「警察だ!」
ドアを開けて、警察乱入。
「『ピザって100回言ってはいけない罪』で逮捕する!」
「えっ!?」
「知らなかったのか。今は1984年で、ディストピアなのでこういうヒドい法律がまかりとおっているんだ!」
「そ、そんな……」
「とにかく逮捕する!」
「待て!!」
「そ、その声は……」
「哀しきピエロ!!」

説明しよう。「哀しきピエロ」とは、本業は売れないピエロ、実生活の恋愛でも哀しいピエロを演じている哀しい存在なのだ!!

しかし、空手十段なのだ!!!!!!


アチョー!!

倒される刑事。

「ありがとうございました。私、あなたに恋をしてしまったかも……」
「ありがとう。これが私の素顔です」
「わーやっぱりやめた」

やっぱり哀しいピエロだった……。

家に帰り、ピエロはピザを頼んで食った。
ウーロン茶のパックが、サービスで付いていた。
(完)

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【イベント】ヒライさん&スーパーログさん3/25

スーパーログさんと赤兜のヒライさんが、3/25(土)、高円寺Tショックで7時か8時くらいからイベントやるそうです。
まだ何をやるかは決まってないそうです。
しかし急ですね。私は先約が入ってしまい、残念ながら行けませんごめんなさい。 定員制だそうだけど、どうしたらいいんだろう? 予約とかいるのかな?
えーと、当事者の人は追って教えてください(笑)。

しょっくたん☆ぶろぐ
ハードコアチョコレート

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【映画】女番長ブルース 牝蜂の逆襲

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監督・脚本:鈴木則文、脚本:皆川隆之
1971年、東映京都

ラピュタ阿佐ヶ谷でレイトショー。
THE 女番長(スケバン)全開ガールズパワーというラインナップの第1弾。

出演:池玲子、賀川雪絵、杉本美樹、天知茂、山城新伍。
女だけのゴロマキグループ・アテネ団の暴れっぷりを描く。

アテネ団のリーダーに髪をまっ茶に染めた池玲子。鑑別所(?)から出てきて後から登場してくるライバルに賀川雪絵。
東映版「スパイダーマン」では、「ヒステリックで恐い敵のオバサン幹部」という印象で私世代などはインプットされてますが、この頃はスレンダーなイイ女です。

あれ、杉本美樹出てたっけかなあ? たぶんアテネ団のメンバーだと思うけど……。
まるでやくざに見えないスタイリッシュすぎる天知茂、
これ以上ないうさんくささを放つトップ屋・山城新伍など、見どころ多し。

それにしても、この時代の東映の映画は今見ると何か「全面的に正しい」と思えてしまう自分は、今それなりに病んでいるとは思う。

スケバン同士の百合っぽさ、「アテネ団」の用心棒である若きやくざと、腕っぷしだけで生きてきた古いタイプのやくざ・天知茂の関係のホモっぽさ。

アウトローが虚構世界の主役だった、そんな時代の物語です。

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・「ウォーB組」4月号(2006、マガジンマガジン)

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グラビア&成年コミック誌。

公式ページ

巻頭グラビアはほしのあき[amazon]

野田ゆうじ「ぼくとすずなのいた夏」は最終回。
なんじゃこりゃあああああ!!! ぜんぜんわけわからんぞ。

もう1回、2巻の終わり当たりから読み直してみないとわからない。
うーん……。
なんか絶句。
まあ、このマンガを掲載した雑誌の心意気(?)は買うが……。

第1巻の感想

第2巻の感想

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雑記


や〜っほやっほやっほ
や〜っほやっほやっほ
や〜っほやっほやっほ


ポピョリン♪


ポピョリンポピョリンポピョリンポピョリン
ポピョリンポピョリンポピョリンポピョリン


ポピョリンポピョリンポピョリンポピョリン


マイケル♪


最終的にマイケルかよ!
でおなじみの、
あっぱれフジヤマです。


やっぱりココログはダメだな!


メンテナンス期間は長いし、
ブログ内での検索窓は無いし、


どうしようもねえよ。
でもやめないけど。


なんでかというと、これでまた移ったらアクセス数減っちゃうからね。


あと、どのブログもそうだろうけど、「記事の作成」のところが別のURLになっているところが使いにくい。
まあ、私の知るかぎりテキストを閲覧できるところから編集画面に入れるのってはてなダイアリーだけだけどね。


なんか最近、ちょっと突き詰めてものを考えると気持ち悪くなって来ちゃうんだよね。


生まれ変わったら、象使いの少年になろうと思う。
あくまでも「少年」ね。


そんで、日本に来て重要文化財とかを壊しまくる。


なぜなら、反抗期だから。


それと、「日本のアニメは世界で一番!」って主張しまくる。
その根拠は、
「おんぶおばけ」
を見たから。


それと小説を書く。
「エヌ氏とエス氏が、銀河系の中を銀色のロケットで飛んでいた。」
という出だしで。


しかしそこはヴァーチャルワールドで、実はエヌ氏とエス氏はお互いが殺し合うことによって、地球の命運が決められるという役割を担わされていた。
だが二人ともそんなことはすっかり忘れていた。

お互いにかにばさみをかけまくっていた。


完。

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【映画】機動戦士ZガンダムIII   星の鼓動は愛

公式ページ

原作・脚本・絵コンテ・総監督:富野由悠季

えー私はテレビシリーズは後半ほとんど見てません。
で、その上で思うんだが、たぶんダイジェストとしてはよくできているんだろうと思うんですよ。
あるいはテレビシリーズを知っている人なら、ラストの改変があるらしいので感慨があるかもしれない。

でも、好きな人には本当に申し訳ないんですが、私は「ゼータ」を今映画化する意味って、最後まで見たけどよくわかりませんでした。
とくに富野監督は「キングゲイナー」などでも現役っぷりを発揮しているわけで、過去のコンテンツにすがる意味もないわけですし。

テレビシリーズのゼータにしても、ひととおりリアルロボット路線が一巡したうえにリリースされたという印象しか(結果的には)なく、
もちろん「ガンダム」という作品の延命や、ファーストの評判を聞いた下の世代の興味をつなげる役割は担ったかもしれませんが、
どうもその役割がいまいち掴めないんですよねえ……。

まあでも、朝イチで見たけどかなりお客さんは入っていて、三部構成にしてテレビシリーズを劇場公開用に仕立て直す、この形式でお客を入れられるのはたぶん現状ではガンダムだけでしょう。
それは認めるんですけども。

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・「僕の小規模な失敗」 福満しげゆき(2005、青林工藝舎)

bokunosyokibo

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「アックス」連載。
女の子にもモテず、いい学校にも入れず、アルバイトもうまくいかない、年がら年中悩んでいる青年の日常を描く。
いやーこれはものすごく面白いね。
なんかねー……マジメさを感じる。
定時制の高校で、卒業式に号泣している、友人になれそうでなれなかった青年のところとかホロリとしちゃいましたよ。
柔道部をつくる話しも面白いしねえ。
あと、第16話「持ってるマンガを全部売るの巻」で、女の子とデートしているときに、やることないからってマンガを描かせる! そして持ち込みまでさせる! この展開にはビックリした。いちおう相手は音大に行ってるコという設定になってるけど……。
主人公はとことん気が弱そうなのに、突発的にこういう大胆なことをするのがすごく面白い。

そして第17話「サラリーマンになりネクタイをするの巻」。これには正直、驚いてしまった。
もしかして、掲載当時は何らかの補足情報があったのかもしれないけど、17話から最終回(?)の18話までの展開を読んでから、過去のストーカー呼ばわりされる女の子との話の展開を読み直してみると、主人公のかなり違った人物像が浮かび上がってくるんですよ。
それがものすごく面白かった。

しかもこの展開には重要な意味があると思う。結局、自信のあるなしって根拠がないんだという、まあひとまずは単純な教訓が導き出されるんだけど、もうちょっと深いことを考えれば本作の中に出てくる「しかし人生は続く」ということになるのだろうなあ。

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・「カワイコちゃんを2度見る」 福満しげゆき(2003、青林工藝舎)

kawaikochan

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短編集。
連作「日本のアルバイト」は、凶暴なゾンビを捕まえるバイトをしている青年の話。
ゾンビがいるのが当たり前、たいして気にもしていないけどいたらいたで迷惑。一般庶民の感覚はその程度な日常が、淡々と描かれる。
こういう展開ってあまりにクールに描いちゃうと読んでいてイヤな気持ちしか残らないのだが、どこかに人間のおかしさと哀しさみたいなものがにじみ出ている。

「飼ってはいけない居候」は……、あっこれ「別冊ヤングマガジン」で読んだことあるよ!「ダッチワイフを自作する」という、前向きだか後ろ向きだかわからん行為が面白かった記憶がある。
「僕の宗教に入れよ」、これはちょっと文章で表現できないほど素晴らしいな。超好み。

何ていうのかな……やっぱりこの作者はすごく前向きだと思う。いや、ダメ人間って自覚してしまうような人っていうのはたいていすごく前向きなんだよな。
でも自分の立ち位置がわかってしまう、あるいは異様に低く見積もってしまうので常に苦悩してしまう……そうそう、そんな感じがする。

本当にダメな人って、自分がダメだっていうことに気づかないからね。
じゃあ自分自身を傷つけ続ける「自意識」って何だ、って話になるんだけど……。
この辺は考え出したらキリがないので、また別の機会に。

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・「まだ旅立ってもいないのに」 福満しげゆき(2003、青林工藝舎)

madatabi

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「ダメ人間」って言葉をつくったのは大槻ケンヂなのかな。
とにかく「ダメ人間もの」みたいなジャンルがありますよね。
で、まあ太宰治とかそういうのは私は知りませんよ。
でもマンガにおいては、「ダメ人間もの」って結局はギャグセンスが問われると思うんですよ。

永野のりこ然り、山田花子然り、あびゅうきょ然り、小田原ドラゴン然り(ヤンマガ系が多いな)。
私は「ダメ人間がどうやったら生きていけるか」とか、そういうのはあまり興味がなくなってきてる。
それはもう、けっきょく社会システムでどうにもならなかったら、他のところで何とかするしかないわけで、個別具体的な問題になっちゃうから。

ただ、ギャグセンスとかユーモアのセンスのある人間は生き残れるんじゃないかとは漠然と思ってますよ。
#まあ、ときどきギャグを突き詰めすぎて自殺しちゃう人もいるんだけど。

それで本作。結論から言うと、面白い。
で、自分より若い作家の「自分をダメと思う気持ち」において、かなり「わかる、わかる」っていう部分があった。
たとえば、この作品では女の子はほとんどの場合、あこがれの対象であると同時に裏切る存在。
それがすごくイマ風だなと。

20年くらい前だと男性の描く女性って、どんなにリアルに描いてもどこか理想化しているところがある。
「絶望している自分」とは切り離されたところで、ピュアの象徴みたいな感じで女の子が出てきたりする。本作ではそれがない。もうそういう時代じゃないんだろう。
でも、露悪的に描いてやろうってんじゃなくて、女の子のキャラクターはかわいく描いてある。
だから、かえってどこかリアリティがあるね。

あと、弱いものばかり出てくるけどどこか妙に打たれ強い面もあって、ダメ人間を描くときにハマりがちなナルシシズムや、極端な方向へ走る絶望感というのがない。

これはもう、漠然とした表現をすると「その空間を掴む芸人」みたいな感じで、その人が出てきて空気感が決定する、というような感じ。つまり違う人が同じことをやってもたぶんだめなんだろうな。

なんか、そういうところが面白いと思いましたよ。

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【書籍】・「トンデモ本?違う、SFだ!RETURNS」山本弘(2006、洋泉社)

sfdareturn

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SF作家でありSFマニアの著者が、小説、映画、マンガ、アニメなどの中から陽のあたらないマイナーSF作品をピックアップ、それらを通してSFの面白さについて語る単行本の第2弾。

一読して思うのは、「芯」の通った人は違うなあ、ということ。本書の場合は「SF」という芯のことなんだけど。やっぱり、人間どこかにそういう座標軸を持っていないとダメだなと痛感しました。
「SF」に限らずね。

いろいろと面白そうな作品が紹介されているのは、前のときと同じ。

この他にも、著者のSFに対するポリシーがうかがえて興味深い。
たとえば「デタラメでも何でも、面白ければいいのでは?」という疑問に対しては、
「『デタラメでも面白ければいい』と言っていいのは読者だけ。作者がそれを言うのは許されない」と、実に明解。
2ちゃんねるをときおり騒がせるパクリ問題に関しても、いろいろ書いてあって面白い。

80年代半ばから10年くらいかな?「日本SF冬の時代」なんてのがあったことを思うと、今SFはわりと追い風なんではないかと思う。
それも、不遇の中で情熱を維持してきた人のおかげという部分もあるだろう。
それを考えると、まあ他のダメダメなジャンルに関してもちょっとは希望が出てきたかな、と思ったりしましたね。

「トンデモ本?違う、SFだ!」山本弘(2004、洋泉社)感想

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【映画】ダイヤモンド・イン・パラダイス

監督:ブラット・ラトナー

ダイヤ専門の大泥棒・マックス(ピアース・ブロスナン)は相棒のローラ(サルマ・ハエック)と大きな仕事を終えた後引退し、南の島で快適な生活。しかし、ダイヤモンドクルーズの船が停泊することを聞いてマックスの泥棒心が激しく動き出す。

「何もかも手に入れたアウトローが、さらにもっともっと手に入れる」という実に見ても見なくてもいい悪い意味でのデートムービー。若いカップルはマックスとローラに自分を重ね合わせて「今度南の島行きたいねー」とでも言っていればいいのではないでしょうか。

しかし、くだらないと評価はしつつ、脚本はいちおうひねってあって、とにかくなんかそういう「ムダに層が厚い」むこうさんの実力を見せつけられるという部分もある。

なお、全編に流れるギャグ(というかくすぐりというか)がすべて滑っているというか、シーズンスポーツ系のサークルでの飲み会で大ウケ! みたいなノリで萎えた。
FBI捜査官との駆け引きや、FBI捜査官の地元美人警官とのやりとりなど、むしろこっちを主人公にして最後は勝たせた方がスッキリした映画ができただろう。まあブロスナンありきならそんなふうにするわけもないのだが。

よく「敵対する二人に奇妙な友情が芽生える」みたいのが描かれる場合があるが、主人公・マックスとFBI捜査官がホモ関係だと誤解されるというギャグは、その辺を愚弄していて不愉快を通り越して乾いた笑いが漏れるのみであった。

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マス大山映画「風のファイター」

大山倍達の半生を描いた韓国映画、「風のファイター」公開。
「力道山」に続いて、って感じなのかな。
平山あやが出ていて、撮影は数年前に終わっていた記憶があるが、いよいよ日本でもやるようです。

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【イベント】ご来場ありがとうございました

鶴岡法斎さんのイベント「エログロハイセンス」で、アシスタント的なことをする。
今回は十時間の長丁場。しかも翌朝は平日。
しかし、かなりのお客さんが朝まで残っていてくれました。

私はともかくとして、鶴岡さん本人、ほかゲストのトークはどれも個性的で非常に面白かった。

切通さんは、なんか自分のネガなことを語っているのにネガに感じられない不思議さ。すごく「男」を感じた。
小林銅蟲さんが理系だというのはこの日に知った。内容も語り口も面白い。

永田王さんにはミニコミをいただいた。自分はわりとこういうことはいつまでも感謝している人間。

ゲストのメンツとしては事前に構成として「どうなるのだろう?」と思ったんだけど、フタを開けてみると混沌としていながら、ある種のつながりがあったように思う。

翌日会社のあるお客さんにもおつきあいいただいて、たいへん感謝してます。
私もいろいろとがんばろう。

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・「昭和不老不死伝説 バンパイア」(3) 徳弘正也(2006、集英社)

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スーパージャンプ連載。
不老不死の美女・マリアはバンパイア。自分の不死の秘密を探り出そうとする人間たちと、古来から戦いを繰り広げてきた。
マリアは自分の身を守るため、超能力者としての素質のある少年・本田昇平を一人前の戦士に育て上げようとする。
一方、かつてマリアに育てられ、現在はマリアを神格化したカルト集団「マリア会」の主催者・十文字篤彦の狂気性が、次第にあきらかになってゆく……。

話はマリアの不死の秘密を探ろうとする「比丘尼会」から、マリアを守ろうという考えから日本を支配しようとするところにまで発想が飛躍してしまっている「マリア会」へ移っている。

「欲望を排除した精緻な世界」をつくろうという動機が、結果的にディストピアを構築してしまうという考えは同じ作者の「狂四郎2030」でも見られた。簡単に言えば「いいことをしようとして、結果的に悪いことになってしまう」ということである。
それはマリアの言うのとは別の意味で「100倍やっかい」なのである。
なぜなら、「いいことをしたい」というのも、人間の欲望のひとつだからだ。
「悪いことをしたい」という欲望をあやすことはある程度考えられてきているが、「いいことをしたい」という欲望を制御することは、むしろむずかしい。

「いいことも悪いこともある程度許容し、ある程度制御する社会」というのはイメージするのもむずかしいしね。

その辺どう描いていくのか、今後楽しみです。

2巻の感想

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【映画】アサルト13

監督: ジャン=フランソワ・リシェ
脚本、共同製作: ジェームズ・デモナコ
オリジナル脚本: ジョン・カーペンター

吹雪の大晦日、犯罪者を乗せた護送車が警察署にやってくる。そこには数人の犯罪者と、警官殺しの大物・ビショップ(ローレンス・フィッシュバーン)が乗っていた。
とつじょ攻撃を加えてくる謎の集団。ビショップを奪還に来た子分たちかと思いきや、それは意外な人物の差し金だった!

ジョン・カーペンター作品のリメイクだそう。そっちは見てません。
導入部、最初の30分でモタつきが感じられ、少し集中力がそがれた。アクションものとしては中くらいの出来だと思う。
しかし、リメイクされるだけあって脚本がいい。あんまり書くとネタバレになってしまうが、善と悪が対立し、手を結び、再び「おたがい善は善らしく、悪は悪らしくやっていこうぜ」みたいに言いながら終わっていくさまはひたすらカッコいい。
とにかく、ローレンス・フィッシュバーン(「マトリックス」でゴツい男の役をやっていたゴツい人)がとてもカッコいいので、まあそれで持ってる感じですかね。

プロットもまあありえないと言えばありえないんだけど、「犯罪者とセックスしたい病」という設定の網タイツはいた婦警、アレはやりすぎだろう(笑)。

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某エントリで、トラックバックの受付をいったん終了しようと思ったら、それは「今までのトラックバックは活かす」という意味ではなくて、なんかぜんぶたどれなくなっちゃってて。
トラバくれた方々、すいません。

なんかどうもトラックバックの概念を理解してないですね、自分。

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【イベント告知】鶴岡法斎のエログロハイセンスVol.6

「鶴岡法斎のエログロハイセンスVol.6」
(ひょっとしたら)10時間耐久トークイベント。自らの無駄話の限界に挑戦! そして意外な真実も明らかに。

ここへ来て、ゲストが続々と決定しております。

【日時】3月5日(日)

【出演】鶴岡法斎、新田五郎

OPEN18:30/START19:00

¥1,000(+1drinkから)

切通理作さん、永田王さん、ねぎ姉さんの作者さんなどのゲストが決まったようです。

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・「究極超人あ〜る」全9巻 ゆうきまさみ(1986〜87、小学館)

kyukyoku

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少年サンデー連載。のんびりした校風の春風高校。その中の「光画部」(写真部)に、ドサクサまぎれで入部したアンドロイド、R・田中一郎と部員・OBたちの日常を描く。

80年代にひたりたい!というわけで大物に手をつけましたよ。
いきなり自分語りをすれば、私はR・田中一郎や大戸島さんごと同じ世代なんだよねー。さんごもあと数年すれば40歳ですよ。ははははは。
で、私個人はリアルタイムでの本作を実はあまりよく知らない。年齢的にはマンガを読むことを、卒業するかどうかみたいに考えていたんで。80年代後半も、マンガそのものの売り上げは右肩上がり、「日本の大学生は電車の中でマンガを読んでいる」などと言われたが、同時に「もうマンガってトシじゃねぇだろ」と真剣に考えるマジメな青少年もいたに違いない。
まさかこのトシになるまで「きかんしゃトーマス」とか読んでるとは当時は思わなかったよ。

さて、とりあえずゆうきまさみという作家の個性は置いておいて、本作の「80年代的部分」を箇条書きすると以下のようになる。

・主人公・田中一郎の存在や光画部への関わり自体に必然性がない
・起こる事件に、必然性や切実さがまったくといっていいほどない
・卒業しても部室にいりびたるOBたち(終わらない学生気分)
・教師たちも春高のOBであり、若いOB連と同じくずっと学校に居続けているかのように見える
・人間関係のドロドロも、恋愛沙汰もない

とくに、ストーリー展開の必然性のなさは、同時代でサンデー系の高橋留美子、あだち充、細野不二彦、島本和彦といった面々と比べても突出している。
「うる星やつら」が、言ってみれば個人のエゴのぶつかり合いがドラマを動かしていたのに対し、本作ではみんな驚くほど淡泊。生徒会に部室が使えなくなるように妨害され、バリケードを築いて決起しても、問題解決にならないことはみんな自覚していたりする。
幽霊の女の子とその祖母のエピソードも、高橋留美子だったら両者を対決させただろうに、二人がキチンと会話を交わすシーンもロクにない(作風がカブることを恐れてわざとはずしたことも考えられるが)。

そもそも、田中一郎自体が、出自は「鉄腕アトム」のパロディにもかかわらず、彼のモデルとなった博士の息子がいまだに生きていたり、
高校に行く理由も、たとえばアンドロイドなんだから「人間性を学ぶため」なんてのがあってもいいようなものだが、そういうのもまったくない。

でも、みんな将来的には「何とかなる」と思っていて、実際なりゆき上そのとおり「何とかなって」しまう。
恋愛に関しても、サンデーで他作品と作風を棲み分けていたことも考えられるが、むしろこの当時の高校生ってまずまず、こんなもんだったんじゃないかと思う。

文化系サークルの、一種のユートピアとしてこれほど完璧なものはあるまい。
「光画部」に関しては実際のモデルがあるようだが、このダラケた感じ、まったり具合はほぼどこの高校の文化系の部活にも共通しているものだったと思う。
高校・大学の文化系サークルの歴史を概観すれば、70年代に多かったらしいきまじめで議論とかしていた雰囲気がすっかり鳴りを潜め、形骸化しつつも部の存在意義はかろうじてあった、といったような感じだろうか。
最近の「げんしけん」まで行っちゃうと、学内の文化系サークルの意義そのものが問われてしまい、自他ともにそれを認めてしまうんだけど、80年代半ばのこの頃ってむしろ「サークルという体裁を保ちつつ、何もやらない」っていうことに意義を見いだしたりしていた気がする。
後ろ向きの反抗精神というかね。

本作の登場人物にそう言ったとしたら「そんなつもりはない」って即答するだろうけど。
とにかく、そういう時代ではあった。

それともうひとつ、オタクネタを多大に盛り込みつつ、堂々と「わかる人にしかわからないネタ」が入っていること。
そういう作風自体が、とり・みきもそうだったけど何かの意志の現れだったように思う。
今は当たり前になっちゃってるけどね。

ここから先はゆうきまさみ個人の資質、ということになるんだろうけど、
まずマンガとしては、徹底してやりとりをズラしていくというギャグですよね。
「オバQ」とか「ウメ星デンカ」みたいに、毎回のテーマがあって起承転結があるというわけではない。
かといって、同時代の「うる星」みたいに、何かのガジェットが登場してお話を転がしていくというわけでもない。
田中一郎すら、ときどき首が取れたりするだけでお話を動かす上での大きな原動力ではない。

幽霊だった子が、実は一種の生き霊だったことがわかって、生身の人間として登場するけど、属性としては他のちょっと変わったやつらと大差なかったりする。
「新しいカメラを買ったから撮影会をしよう」という話でも、撮影しないまま終わってしまったり。

ギャグマンガが長期連載化する際にあるように、ときどきシリアスな話を挟んでクッションにする、というようなこともほとんどない。
徹底したズラしギャグ。ズラしてズラして、ズラしまくる。

そういう、話がどんどん無意味に横滑りしていくような手法が、一見古くなりがちな「ある時代の青春を切り取った作品」の鮮度を保たせている理由だと思う。

まあ、「ちょっと変わった連中が集まるサークルの話」は、これ一作あればいいんじゃないですかね。

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・「きかんしゃトーマス まほうのせんろ」 ブリット・オールクロフト、小林たつよし(2000、小学館)

マンガです。
劇場版「きかんしゃトーマス 魔法の線路」[amazon]のコミカライズ。
コロコロコミックで「ドラゴン拳」などを連載していた小林たつよしが描いているので買ったんですが、
内容がさっぱりわからない!

小林たつよしは、しっかりした実力のあるマンガ家、というより劇画家に近い人ですので、変に物語をシュールにしようとかそういう気持ちはこれっぽっちもないはず。
それなのにわからない。
全1巻なのに、意味がとれないので読んでいて何度も眠ってしまいました……。

あらすじを簡単に説明すると、
まず人間界があって、人間界とトーマスのような機関車に意志がある世界がつながっている。
ある老人は、トーマスの世界の秘密を知っていてかつてはそこに行っていたらしい。
「ミスター・コンダクター」という人間界では小さな小さな車掌さんが、トーマスの世界ではトーマスと釣り合った縮尺である。彼は「金の魔法の粉」というのを持っていて、それで自由にテレポーテーション(?)することによって機関車たちを守っている。
「金の粉」は、もう残り少ない。
「ディーゼル10」という悪い乱暴者の機関車が、トーマスたちを追いかけ回す。
トーマスを救うために、人間界にやってきたミスター・コンダクターとかジュニアが、なんやかんやして魔法の粉を手に入れようと努力する。
人間界には、ディーゼル10に傷つけられて逃げてきた機関車「レディー」があった。
「レディー」はトーマスの世界の石炭によって動き出す。
「レディー」は、トーマスの世界では顔が出てきてトーマスの仲間っぽくなった。
みんなでディーゼル10をやっつける。
「金の粉」は、レディーが走り出したときに出てきたけずりくず(石炭のけずりくず? わからん)を水に浸し、空に向かって投げ上げるとできることが発覚。
車掌さんたちは「金の粉」を補充する。
めでたしめでたし。

なんだかさっぱりわからねぇ〜っ!!
たぶん、原作となった映画がわけがわからないものだったのだと思う。
小林たつよしは悪くないと思う。

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少年誌における思い出のスケベ漫画データベース

少年誌における思い出のスケベ漫画データベース
以前は私が大好きだった「少年スケベマンガ」っていうサイトがずいぶん前に消えちゃって以来、ひさしぶりに見つけたこのテの作品のデータベース。
ざっと見たところ、本当にデータベースに徹していて個人の思い入れとかはよくも悪くも書いてないですね。
でもこういうのないと、日本は滅びるからね。

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