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・「究極超人あ〜る」全9巻 ゆうきまさみ(1986〜87、小学館)

kyukyoku

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少年サンデー連載。のんびりした校風の春風高校。その中の「光画部」(写真部)に、ドサクサまぎれで入部したアンドロイド、R・田中一郎と部員・OBたちの日常を描く。

80年代にひたりたい!というわけで大物に手をつけましたよ。
いきなり自分語りをすれば、私はR・田中一郎や大戸島さんごと同じ世代なんだよねー。さんごもあと数年すれば40歳ですよ。ははははは。
で、私個人はリアルタイムでの本作を実はあまりよく知らない。年齢的にはマンガを読むことを、卒業するかどうかみたいに考えていたんで。80年代後半も、マンガそのものの売り上げは右肩上がり、「日本の大学生は電車の中でマンガを読んでいる」などと言われたが、同時に「もうマンガってトシじゃねぇだろ」と真剣に考えるマジメな青少年もいたに違いない。
まさかこのトシになるまで「きかんしゃトーマス」とか読んでるとは当時は思わなかったよ。

さて、とりあえずゆうきまさみという作家の個性は置いておいて、本作の「80年代的部分」を箇条書きすると以下のようになる。

・主人公・田中一郎の存在や光画部への関わり自体に必然性がない
・起こる事件に、必然性や切実さがまったくといっていいほどない
・卒業しても部室にいりびたるOBたち(終わらない学生気分)
・教師たちも春高のOBであり、若いOB連と同じくずっと学校に居続けているかのように見える
・人間関係のドロドロも、恋愛沙汰もない

とくに、ストーリー展開の必然性のなさは、同時代でサンデー系の高橋留美子、あだち充、細野不二彦、島本和彦といった面々と比べても突出している。
「うる星やつら」が、言ってみれば個人のエゴのぶつかり合いがドラマを動かしていたのに対し、本作ではみんな驚くほど淡泊。生徒会に部室が使えなくなるように妨害され、バリケードを築いて決起しても、問題解決にならないことはみんな自覚していたりする。
幽霊の女の子とその祖母のエピソードも、高橋留美子だったら両者を対決させただろうに、二人がキチンと会話を交わすシーンもロクにない(作風がカブることを恐れてわざとはずしたことも考えられるが)。

そもそも、田中一郎自体が、出自は「鉄腕アトム」のパロディにもかかわらず、彼のモデルとなった博士の息子がいまだに生きていたり、
高校に行く理由も、たとえばアンドロイドなんだから「人間性を学ぶため」なんてのがあってもいいようなものだが、そういうのもまったくない。

でも、みんな将来的には「何とかなる」と思っていて、実際なりゆき上そのとおり「何とかなって」しまう。
恋愛に関しても、サンデーで他作品と作風を棲み分けていたことも考えられるが、むしろこの当時の高校生ってまずまず、こんなもんだったんじゃないかと思う。

文化系サークルの、一種のユートピアとしてこれほど完璧なものはあるまい。
「光画部」に関しては実際のモデルがあるようだが、このダラケた感じ、まったり具合はほぼどこの高校の文化系の部活にも共通しているものだったと思う。
高校・大学の文化系サークルの歴史を概観すれば、70年代に多かったらしいきまじめで議論とかしていた雰囲気がすっかり鳴りを潜め、形骸化しつつも部の存在意義はかろうじてあった、といったような感じだろうか。
最近の「げんしけん」まで行っちゃうと、学内の文化系サークルの意義そのものが問われてしまい、自他ともにそれを認めてしまうんだけど、80年代半ばのこの頃ってむしろ「サークルという体裁を保ちつつ、何もやらない」っていうことに意義を見いだしたりしていた気がする。
後ろ向きの反抗精神というかね。

本作の登場人物にそう言ったとしたら「そんなつもりはない」って即答するだろうけど。
とにかく、そういう時代ではあった。

それともうひとつ、オタクネタを多大に盛り込みつつ、堂々と「わかる人にしかわからないネタ」が入っていること。
そういう作風自体が、とり・みきもそうだったけど何かの意志の現れだったように思う。
今は当たり前になっちゃってるけどね。

ここから先はゆうきまさみ個人の資質、ということになるんだろうけど、
まずマンガとしては、徹底してやりとりをズラしていくというギャグですよね。
「オバQ」とか「ウメ星デンカ」みたいに、毎回のテーマがあって起承転結があるというわけではない。
かといって、同時代の「うる星」みたいに、何かのガジェットが登場してお話を転がしていくというわけでもない。
田中一郎すら、ときどき首が取れたりするだけでお話を動かす上での大きな原動力ではない。

幽霊だった子が、実は一種の生き霊だったことがわかって、生身の人間として登場するけど、属性としては他のちょっと変わったやつらと大差なかったりする。
「新しいカメラを買ったから撮影会をしよう」という話でも、撮影しないまま終わってしまったり。

ギャグマンガが長期連載化する際にあるように、ときどきシリアスな話を挟んでクッションにする、というようなこともほとんどない。
徹底したズラしギャグ。ズラしてズラして、ズラしまくる。

そういう、話がどんどん無意味に横滑りしていくような手法が、一見古くなりがちな「ある時代の青春を切り取った作品」の鮮度を保たせている理由だと思う。

まあ、「ちょっと変わった連中が集まるサークルの話」は、これ一作あればいいんじゃないですかね。

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