【創作小説】・「ロケット超人鉄影 虚無という名の虚無」

(最新のエントリは、この記事の下です。)

ロケット超人鉄影 虚無という名の虚無(ピクシブ)
新作の自作小説です。
太平洋戦争時に「超人血清」を投与されて以来、不死身の超人として日本や世界を守ってきたスーパーヒーロー「鉄影」。
彼とサイドキックの打出乃ハルモは、総理大臣から「日本超人収容所」に潜入し、極秘である超人を抹殺してくれ、と依頼される。その超人とは何者か、そして彼を抹殺しろという意味は……。
という内容です。
ヒマつぶしにでも、ぜひ読んでください。

さて、今回は「あとがき」めいたものを書いておきます。

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【創作小説】・「怒り、怒り、怒り!」

怒り、怒り、怒り!(ピクシブ)
深夜に、自転車で人をひいてしまった加藤拓馬。仕方なく、ひいた男を家に連れて行ったら面倒なことに……。しかしそれは怒りが爆発する予兆でしかなかった。

400字詰めで38枚くらいの短編小説。短いのですぐに読めると思います。
面白いかつまらないかは、あなた次第。

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【アニメ】・「ミスター味っ子」

アニメ「ミスター味っ子」、最終回まで観終わる。
以下は、私が感じたたわごとです。

私はアニメの「味っ子」は、疑似家族の話だと思っていて(マンガの方は知らない)、「味皇料理会」の存在そのものがそうだし、物語の前半では、料理は天才的だがコドモの陽一を、父親代わりの味皇さまや丸井のおっちゃんが見守っている、という構図だった。
それと、味勝負において至るところで、陽一は亡き父の業績を知るわけです(味っ子の父ちゃんは、外見はいたって普通だが、早世したわりには伝説を残しまくっている)。
やがて亡父のエピソードはだんだん出なくなり(亡父越えは果たした?)、味将軍に味皇料理会が大攻勢をかけられてからは、ひたすらに「姿を消した味皇」を探すことが物語のメインとなる。

「味頭巾」があまりにアホらしい設定なのでずっと気づかなかったが、姿を消した味皇は、陽一ほか、みんなにとっての追求すべき「味」の象徴であり、父親でもあった。

ところが、やっと見つけた味皇は記憶をなくしていた。後は、最終回まで味皇の記憶を、料理でどうやって取り戻せるかというのが主眼となる。

で、一馬が「味頭巾」を親のように思っていたが味勝負に敗れ、「親」や「家」を獲得したいという願望をかなえることに失敗し、姿を消す(孤児らしき一馬は、常にだれかに囲まれている陽一とは対照的な存在。または陽一の周囲のにぎやかさをきわだたせ、その「家族らしさ」を引き立てる存在でもある)。

ラスト三回、ものすごく不穏な展開になる。別に狙ったわけではないだろうが、絵柄も毎回違い、観ている者の気持ちをざわつかせる。
一馬は姿を消し、味皇料理会の面々はそれぞれが(とくに理由もなく)修行のためにバラバラになってゆく。
そして、母親までもが丸井と再婚してイタリアに行くと言い出し、陽一は激しく動揺する。

その動揺の果てに、ガールフレンドのみつ子の弟のしげるが交通事故にあってしまう。これは間接的に陽一が原因で、しげるの意識が戻るまでは、みつ子の心までが陽一から離れてしまうような描写がある。
すごい不穏な感覚!!

だが、意識を取り戻したしげるに、みつ子が「料理をつくってやりたい」と言ったことから、陽一の行き詰まりに光が差し始める。
(その前に、甲来軒のおっさんの奥さんが手料理をつくってくれ、そこにもヒントがある。)

そして陽一は、味皇の記憶を取り戻させる。その理由に関しては他愛ないというかありがちな感じではあるが、それまであまりに不穏な展開だったため、かなりホッとさせる。
結果的には、味皇の記憶回復は、疑似的な家族に守られてきた陽一が、独り立ちしていくことの象徴となっている。

(味皇が、幼い頃から「家族」に対する飢餓感を抱えていたという描写もあり、この辺、丁寧だ。)

この結末、どの程度狙っていたのか知らないが、個人的にはいい意味で意外だった。
「家族っていいよね」というのは、かなり最強の落としどころなのだが(OPの一人で空を見上げる陽一のもとに、他のキャラクターたちがやってくるところはまさにそれ)、それをいったん描いた後、再び散っていく人々と合わせて陽一の人間的成長を描いた、と言うのは丹念で良い。

一馬の過去のエピソードがあまりに突拍子もないのと(スポンサーだった建設会社のおっさんが突然、元料理人という設定が出てきたり)、彼だけがアンハッピーエンドのまま放り出されているので、エンディングあたりで説明が欲しかった。
普通に考えたら、一馬の孤独を埋めるのはコオロギ以外いないと思うが。

しげるが、陽一の母親を気遣うところや、しげるの交通事故をきっかけにみつ子も成長する描写などは、かなりしっくりきたと思う。

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【評論】・「活動家という言葉」

現代マスコミ人批判 ・・・波瀾万丈の物語の作者や読者になるより登場人物になったほうがいいに決まっている(「人民の敵」ウェブ版)
確かにこのテキストにあるように、「活動家」が侮蔑語として使われることがある。
以前、どこかの大臣が記者を怒鳴りつけたシーンがテレビでまるまる放送されてしまった。この件に関し、「たとえどんな理不尽な質問を受けようと、テレビカメラの前で激昂した大臣の負けだ」とツイッターに書いたら、知らない人から「記者ではありません、活動家です」とリプライが来た。

いや、だから「活動家だろうが何だろうが、挑発されて乗っちゃったんだからダメでしょう」ということで、私の意見は変わらない。

「活動家」が「なんだかヤバいやつ」という意味を持つようになったのは、いつ頃からかは知らないが、悪口として使うからには、「今の社会はすでに完成されていて完璧である」という前提が必要であるはず。
悪口としてだれかを「活動家」呼ばわり(?)したい人はそこを肝に銘じておくべきだろう。

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