【創作小説】・「ロケット超人鉄影 虚無という名の虚無」

(最新のエントリは、この記事の下です。)

ロケット超人鉄影 虚無という名の虚無(ピクシブ)
新作の自作小説です。
太平洋戦争時に「超人血清」を投与されて以来、不死身の超人として日本や世界を守ってきたスーパーヒーロー「鉄影」。
彼とサイドキックの打出乃ハルモは、総理大臣から「日本超人収容所」に潜入し、極秘である超人を抹殺してくれ、と依頼される。その超人とは何者か、そして彼を抹殺しろという意味は……。
という内容です。
ヒマつぶしにでも、ぜひ読んでください。

さて、今回は「あとがき」めいたものを書いておきます。

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【テレビ】・「『プロジェクトX』の功罪」

「プロジェクトX」が経営者たちに「仕事の為に社員が徹夜したり無理すると凄い成果が出る」という考えを植え付けてしまった可能性について、というのがトゥゲッターにあったので、私がこの番組について思うところを書きたいと思います。

「プロジェクトX~挑戦者たち」(2000年~2005年)は、今で言う「日本スゴイ」番組の嚆矢、ということは言えると思います。
つまり「終わりの始まりだった」という解釈もできるのですが、私はひとつの番組に、今の経営者が影響されてブラック企業があるというような見解は取りません。これでは「エロマンガの影響で性犯罪が増える」というロジックとまったく同じです。
まあ、少しは影響はあったかもしれませんが。

70~80年代にはイメージとして「高度成長期のサラリーマン」とは、「仕事、仕事で家庭を顧みない父親像」、「日本は文化的なことは輸出せず、自動車や家電(だけ)を輸出し続けて来た」というのが「ベタなおとしどころ」でした。
「日本のアニメやマンガは世界一」などと、俗に言われるのはこの頃のコンプレックスの反転、という側面も、確実にあります。

とくに80年代は、一億総中流、という意識の中で、「自由を謳歌しよう!」という雰囲気がみなぎっていましたからね。
「いい大学を出ていい会社に入ることが幸福なのか?」みたいな問いも、「ベタ」としてあった時代です。
つまり「高度成長期のモーレツサラリーマン」は、「忘れ去られるべき存在」ですらありました。
確かに「24時間戦えますか」というCMが流行ったり(1989年)、「むちゃくちゃ働くほど偉い」という価値観はその後もあったんですが、同時に「5時から男」なんてコピーも流行った時代。仕事もレジャーも恋愛も、全体的にいろんなことが膨れ上がったのが80年代中盤からバブル崩壊時くらいまでで、「ひたすら仕事」というイメージの高度成長期とは、やはりニュアンスが違うんです。

で、そうした「高度成長期のサラリーマン」のベタなイメージに生命を吹き込んだのが、「プロジェクトX」だったと言えます。
70年代~80年代は、「顔の見える」スターがひたすらに持ち上げられていた時代です(90年代はちょっとわからない)。当然、その裏にはスタッフがいるのですが、それはあくまで黒子として認識されていた。
高度成長期に開発された商品だって、だれがつくっているかなんて、業界以外の人は知らなかった。
そうした「高度成長期にがむしゃらに働いてきた人々」の「顔」を見せた、一個の人間としてクローズアップした、ということは、この番組の功績のひとつだと思います。

それと、「プロジェクト」という観点ですね。一人の天才ではなく、チームで成し遂げた仕事を番組で取り上げた。
そうした部分も、非常に大きかったと思います。
その後始まった「プロフェッショナル」では、また「すごい人」にスポットが当たるように戻っちゃってますけどね。よくも悪くも。

事実をねじまげたのは問題ですが(私が印象に残っているのは、あさま山荘事件でカップラーメンを無視したこと)、それまでのエンターテインメントにおけるオトウサンたちの「扱い」を観ると、「プロジェクトX」のヒットは必然だったし、「いい面も悪い面もあった」というのが、妥当な評価じゃないでしょうか。

たとえば産業史とかをやっている人からするとムチャクチャな番組に思えるかもしれませんが、テレビの視聴者はそういう人たちが当たり前に思っているところにまで、まったく到達していなかったんですよ。前述のように、「プロジェクト」の興味深さというのは理解されづらかった。そこに目を向けさせたというのは、やはり意味があると思います。

なお、「無理」の部分ですが、「徹夜なんていやだし、非人間的」と思っている人でも、がむしゃらにがんばっている人を見るとやはり感動してしまうことにこそ、目を向けるべきだと思いますね。
たとえば「ブラックジャック創作秘話」なんて「手塚プロってムチャクチャだな」って思うんだけど、やはり感動してしまう。
「プロジェクトX」を批判して、他の「無理や無茶をしている人たち」に感動してしまうとしたら、それは矛盾なのだ、ということにはしっかり向き合うべきだと思います。

以上、「プロジェクトX」についてのフォローでした。

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【表現】・「ラッキースケベ、および少年ラブコメ問題」その2(完結)

ちょっと気になったのが、一連の騒動を通して、
「ジャンプってマチスモでしょ」
と捨て台詞のように一行、だれかがツイートしていたことである。
検索すると「マチスモ」とは、ラテン・アメリカの男性優位主義のことのようだが、この場合は「マッチョイムズ」程度の意味だろう。

こうなってくると「ゆらぎ荘の幽奈さん」は、そもそも男性優位なマンガなのか? というところから議論を始めないといけないが、「だいぶマイルドにした、『おちぶれたマッチョイムズ』」だというのが、70年代後半以降の少年ラブコメや少年エッチマンガである、というのが私の認識だ。

だから、「幽奈さん」に限らず、ハーレムラブコメ作品にまつわる問題というのは、批判者側からすれば、「おちぶれたマッチョイムズを放置するのか、潰すのか」ということになるだろう。

そもそも、ハーレムの設定が「コメディ」として描かれていること自体、マッチョイムズをまともに描くのはアホらしいという含意がある。
こういう傾向が始まったのは、七十年代後半頃から。
「うる星やつら」とか、美少女二人どっちを取るかというあだち充の「みゆき」などが嚆矢となるだろう。
当時は「少年ラブコメ」と言った。もっと正確に言えば「ラブコメ」。少年誌だけで流通していた言葉だからだ。
(少女マンガのラブコメと少年マンガのラブコメはかなり違っていた。)

時代的には、松田優作主演のテレビドラマ「探偵物語」(79~80年)が、コメディ調に描かれていたことと重なる。
もちろん、同時代にも大藪春彦のハードボイルドの映画化や、渡哲也の「大門軍団」みたいな「男らしさ」を持ち上げる傾向は続くのだが、それでも70年代前半とは違ってきていた。

設定としては、多くの場合、主人公は優柔不断、何となく本命の女の子はいるのだが告白できず、そのうちなぜかいろんな美少女が集まってきてしまうというパターンである。
しかし、ときおり不良にからまれたりとか、冬山の山荘に二人きりになったりしたときには男気を見せる。
エロ描写で言えば、サービスショット的なものもときおり入っていたと思う。
(少年エッチマンガを、ラブコメ作品ととらえるかは面倒だがここではとりあえず、別物とする。)

ここにははっきりと「理想の男性像」の変質がある。別に昔っから同じことをやってきたわけではないのだ。

そのあげく、「ラッキースケベ」の導入となった。こうなったら、たとえ合意でも好きなこと手を握ったり、キスしたりすることもむずかしい。
つまり、そこまで「旧来の男像」を骨抜きにしたのが現在の「ハーレムラブコメ」の主人公なのだ。

だから、問題とするならそうしたハーレムものの構造自体を問題にしないといけない。

そもそも、すでに「幽奈さん」は6巻くらいまで単行本が出ている。
しかも、週刊少年ジャンプという超メジャー誌だ。
それが巻頭カラーになって「見つかり」、騒ぎ立てられる。

たまたま子供の買ってきたジャンプを観て、顔をしかめる母親、というのはわかる。
だが、それに寄ってきてわーわー言っている人は、「そういうのの監視員」としても、ぬるすぎる。

むろん私としては、繰り返すが「放置しても何ら問題ない」という考えである。
まあはっきり言って、どうでもいいということだ。
たとえば、「優奈さん」がこの騒動で打ち切りになったら、世の中変わるのだろうか?
まず変わらないだろう。

少年マンガ界が今まで無法地帯で何もやってこなかったのならともかく、時代の流れで、主人公の少年のキャラ設定まで「ヘタレ」になっているのに、それでもまだ批判する意味がわからない。
まあ、ジャンプも客商売だからクレームが来れば考慮はするだろう。

だがそれにしても、どうでもいい話だ。
フェミニズム的な課題にしぼったとしても、他に考えるべきことはたくさんあるはずだ。

(関連)
「ゆらぎ荘の幽奈さん」巻頭カラー問題

「ラッキースケベ、および少年ラブコメ問題」その1

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【表現】・「ラッキースケベ、および少年ラブコメ問題」その1

「ラッキースケベ」の語源については、いろいろあるのかもしれないがとりあえず、ネットで検索していちばん最初に出てくるのは「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」(2004~2005年)の作中に出て来たという話。
その後、「少年主人公の側から、絶対にエッチなことを仕掛けないようにしよう」と、原作者とマンガ家のあいだで決めたという「To LOVEる -とらぶる-」が2006~2009年まで週刊少年ジャンプで連載されている。
(この「取り決め」に関しては、単行本の1巻に書いてあったと記憶するが、今手元にない。すいません。)

ネットを観ると「To LOVEる -とらぶる-」が、少年誌エッチの限界を超えた、みたいな意見が多く誤解されがちだが、連載当初に、「少年主人公の側から、絶対にエッチなことを仕掛けないようにしよう」と決めた、というのはすなわち、
「ラッキースケベなシチュエーションしか登場しない」
ということである。

ではなぜ「ラッキースケベ」なシチュエーションが多様されるようになったかと言えば、現場でどういう話し合いがあったか知らないが、普通に考えて「少年主人公からのセクハラ的な行動を描かない、要するにセクハラを描かない」ということが目的だとしか、考えられない。
(80年代には、「少年主人公やその仲間たちが、女子更衣室や女風呂を覗く、などの明確にセクハラなシチュエーションが定番化していた。)

くわしく調べていないが、2004年に「用語」として「ラッキースケベ」が登場しているということは、シチュエーション自体はそれより前からあったと考えられる。
また、こちらも調べていないので申し訳ないが、「女性の乳首を描かない」というのも自主規制としてずいぶん前から行われてきた。
これも立派な自主規制である。

もちろん「時代は変わったのだから、もっと厳しくすべき」という意見もあるだろうが、個人的にはピンと来ない。
少年マンガなんだから、戦いや恋愛や、多少の(ここが反対派にとっては問題なのだろうが)エッチシーンが出るのは普通だとしか思えない。

なお、「エロではなくハラスメントだからいけないのだ」という意見に関しては、風でスカートがめくれるとか、雨でブラウスが透けてしまうとか、水着が吹き飛ばされてしまうとかいったシチュエーションに、「ハラスメントする側」がないので、成立しづらいと思う。
「作者がハラスメントをする側だ」という意見もあるだろうが、それでもマンガ作品内で行われる非・道徳的行為(暴力や殺人、ほかの違法行為)よりも率先して規制されるべきという理由が見当たらない。

そもそもが「ラッキースケベ」自体が妥協の産物なのだから、それに反対するなら、「もう時代が変わったんだからそれすらも許されない」というロジックがなければならない。

では「ラッキースケベ」に到達する前は少年マンガはどうだったのか、ということについて、気力があれば次回、説明する。

続く。

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【問題】・「ゆらぎ荘の幽奈さん巻頭カラー問題」

少年ジャンプマンガの「ゆらぎ荘の幽奈さん」セクハラ騒動、個人的にはこのツイートがいちばんしっくりきますね。

(引用開始)
話がズレてしまいましたが、PC的なもの、あるいは合意に基づく性という性教育は学校教育、メインストリームがきっちり担うべきもので、少年ジャンプをはじめとする資本主義の中のサブカルチャーのすべてが「正しい」ものである必要はないと思います。それらはカオスの海に浮かんでいるべき微生物です
(引用終わり)

ただし、「18禁以外の娯楽作品」って、常に「こんなに面白いんだからメジャーであるべき」という「気持ち」にもオタクはさらされてきたので、そこで矛盾が生じ、繰り返し問題になるというところはあるでしょう。
多くのオタクは、「シン・ゴジラ」や「君の名は」が大ヒットしたことを、嬉しく思ったでしょう。それらの作品は「微生物か?」という問題が常にある。
立派なメジャー作品なんだから、影響力も強い、だからちゃんとしてほしい、という意見も一方であると思うんです。

だから、全年齢向けの作品については、最初から18禁の作品に難色を示すのとは、ちょっと違うんですよね。
海女さんのゆるキャラとかのときもそうでしたが。

にしても、私個人は今回、「何の問題もない」と思っている派です。
意見の違う人にはきらわれてしまうかもしれないけど、「問題がないから問題がない」と言っているのではなく、「何か多少道徳上、問題があったとしてもことさら問題にする必要はない」という見解です。

それは、たいていの性的な表現以外でも同じです。
「だから何!?」としか思えません。
「進撃の巨人」で言えば、人間が壁をつくったら、もっと大きな巨人が来たみたいな。
「進撃の巨人の壁」にたとえたのは、「ゆらぎ荘の幽奈さん」自体が、ここ半世紀の少年マンガにおける自主規制の産物だからです。

道徳的・倫理的な問題なら、「ありのままの私を認めてくれるだれか」を求める少女マンガ、「生き残るためなら何をやってもいい」とするデス・ゲームものなどの方が、よほど悪いと思います。

そもそも「ラッキースケベ」というのは「少年主人公によるセクハラの回避」という自主規制上の要請からできたもののはずで、「ラッキースケベがセクハラである」というのは、自主規制したらまたワンランク、厳しくしてきたな、という見解しか持てません。
(「ラッキースケベ」問題については、やる気が残っていれば後述します。)

それと、性表現を規制したい人々というのはほとんどそれだけをグイグイ押してくる人が多いので錯覚しがちですけど、
やっていることは昔の「年金党」とか「減税日本」みたいな、ワン・イシューで押してくるのと同じ。
だから「他に重要なことがあるのでは?」と返すと「論点をずらしてる」みたいな感じになりますが、本当、繰り返しますが「他に重要なことがあるのでは?」と思います。
あるいは、性表現反対について、マルチ・イシューのひとつとして「ハラスメントだからダメなんだ」と、「人権」全般で押してくる人もいますけど、イメージの世界なんでね。絵だし。人権そのものがおかされているわけではない。
だったら電通の自殺した女性のことをもっと考えるべきです。

運動論的には、表現規制は成果を得やすい、ということが確実にあると思いますね(最初に抗議めいた発言をしたのは、運動に参加していない人かもしれませんが、あっという間に賛成反対両陣営、集まってきた印象です)。
いつまで経っても成果の出ない運動を続けることは、キツいですから、潜在意識として「潰しやすいところから手を付けている」ということは、あるかもしれないと思っています。。
CMなんかあっという間に中止になりますから、さぞかし抗議のしがいがあると思います。

繰り返し書きますが、とにかく今回「え!? 少年誌でここまで!?」というわけでもないし、抗議が来ないかと言えばまあ不快に思う人もいるだろうし、という日常レベルの話で、議論としてまったく面白くなかったです。

なお、「ウチの子供には読ませたくないから読ませない」というのは、別にその人の勝手で、いいんじゃないかと思います。

続く。

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【ブログ】・「良記事なので、貼っておく」

すべてのブログ執筆者・サービス運営者にあっぱれ~中川淳一郎の今月のあっぱれ
良記事なので、貼っておく。
やはり刹那的に、ツイッターとかフェイスブックばかりやっていたらダメだな、と思った。

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